雛の巣立ち

真面目だなあ、過ぎるほどに

 静謐な雰囲気すら漂う図書室で聞こえてくる、控えめな息吹の音。ぱら、ぱらりと、呼吸よりもゆっくりと繰り返されるそれは、僕の右方で静かに鳴り響いていた。 ――否、“鳴り響く”なんてほどじゃない。公演の原典を学ぶ創司郎が、熱心に本をめくっていた…

こころに触れる

「――高科先輩。お誕生日、おめでとうございます」 それは、なんてことない夜のことだった。 寮の中庭で夜風に吹かれている高科へ、がそっと声をかけたのである。星のさやけさを邪魔しないよう、つとめて静かな語り口で。 なぜならば、今日は六月十四日。…

20XX年5月15日

 日々を創司郎と一緒に過ごすようになって、果たして何年の月日が経っただろうか。 スマホの画面を見ながらそんなことを思うのは、この数字がリセットされた瞬間が、私たちにとってある種の節目と言える時であるからかもしれない。住み慣れてきたアパートの…

君のその声で

 ――いい名前ですよね、「」って。 とある休日の、午後三時。玉阪から少し離れたワンルームマンションにて、私たちはゆったりとした時間を過ごしていた。大学に通うため始めたひとり暮らしはなかなか不便なところもあるが、こうして二人っきりで好きなよう…

meaning

 ――これ、さんに似合いそう。 思わず手にとってしまったのは、彼女の艷やかなくちびるを思い起こさせる上品な色のリップだった。すぐにでもやってくるだろう秋の香りをまとうそれは、少しくすんだ金髪と、女性にしては低い、響くような優しい声を五感に蘇…

いいやつだね

「同期に白田がいてくれて本当によかった」「え、どうしてですか?」「あいつがいると良いカモフラージュになるんだ」「あ……」「白田は本物の女より可愛い。だからあいつより背が高くて顔立ちの冷たい僕は、相対的に『中性的なジャック』でいられたんだ」「…

君の宝をいただいた

「なあ、立花」「はい?」「白田とか、忍成兄弟とか……ロードナイトの人間を見てると、自分たちの努力諸々が少し馬鹿らしく思えてくるよな」「あはは……それは本当に、先輩のおっしゃるとおりですね……」「ユニヴェールに入ってもう三年目になるけど、あい…

君は傷ついてくれるのか

「立花……ごめん。僕、やっぱりユニヴェールにはいられないみたいだ」 進級をすぐそこに控えた春の日、クォーツ寮の廊下にて。 ちょうど私室に至る道中ですれ違った立花に、僕はまっすぐとそう告げた。今日という日を楽しむためにだ。今までこういったイベ…

息吹と死滅

 ――高科更文は天才だが……お前はどうだ? 挑戦的な笑みを浮かべた校長先生の言葉が、今もこの胸に深く突き刺さっている。 高科更文は天才だ。それはこのクォーツにて、彼の後輩として過ごした一年間でいやというほど痛感させられた。彼は紛うことなき天…

10

 ふ、と夜中に目を覚ます。いっさいの音が聴こえない静寂のなか、カーテンの隙間から差し込む月明かりに照らされるのは、まだまだあどけない少年の寝顔だ。 色々なものをぶちまけたせいだろうか、以前より満ち足りたような、安らいだ表情にそっと胸を撫でお…

09

 人の気配は微塵も感じられない。静寂ばかりがこの場を統べるクォーツ稽古場に、僕たち二人は立っていた。 みんな冬公演の疲れを癒やしているのだろうか。驚くほど静かなこの場所はまるで僕たち以外の人間すべてがいなくなってしまったような錯覚を見せ、本…

08

 結論から言ってしまえば、冬公演は奮わなかった。「手応えがなかった」と言うほうが正しいかもしれない。 全力だった。本番はもちろん、本読みや役の掘り下げ、稽古の隅々に至るまですべて全力で挑んだはずだ。希佐ちゃんの隣に立つジャックエースとして、…