20XX年5月15日

 日々を創司郎と一緒に過ごすようになって、果たして何年の月日が経っただろうか。
 スマホの画面を見ながらそんなことを思うのは、この数字がリセットされた瞬間が、私たちにとってある種の節目と言える時であるからかもしれない。住み慣れてきたアパートの壁を視界の端に映しながら、私は時計の秒針と同じくらいの、規則正しい呼吸を繰り返す。

「――あ、」

 もやもやと考えているうちに、ついにそのときはやってきた。
 けれど、思考とは裏腹に私の口は思ったより気が抜けていたようで、頭のなかで何度もこねくりまわしていた言葉よりも、感嘆の声が先に出てきてしまう。……正直、少し間抜けだった。
 創司郎が、怪訝そうにこちらを見る気配がする。これはよくない、と思い直して、私はちいさく咳払いをしてしっかり向き直ってから、一番に伝えるはずだった言葉をつむぐ。

「創司郎、誕生日おめでとう」

 創司郎は一瞬面食らったような顔をしながらも、すぐにそれをくしゃりと歪めて、噛みしめるような表情を浮かべる。感極まったのか否か、ひっついていただけの私の体を力強く抱き寄せた。
 こんなふうに強引に抱きしめてくるのは、実はそれほど珍しいことでもないのだけれど――今回ばかりは、なんとなくいつものそれとは違う気がする。宥めるように薄い背中に手のひらを置いた。

「どうしたの、創司郎」
「……すみません、その。なんだか、言葉にならなくて」

 ありがとうございます、という口に馴染んだ並びですらも、普段と比べてひどく拙い。
 震えたそれは彼の心情を強く表しているのか、まるで私まで胸がふるえてしまったような、そんな錯覚にまで陥らせた。

「期待、してはいました。三笑さんがお祝いしてくれること、わかっていたはずなのに」
「うん……」
「でも、こうして本当に言ってもらえると……なんだか、胸が詰まってしまって」

 おかしいですよね、毎年もらっているはずなのに。
 笑いながらも、創司郎はいっさい私の体を離そうとしない。力強く、けれど、痛みがあるほどでもない絶妙な力加減で、私は自由を奪われている。
 余裕なんてあまりないだろうに、私のことを気遣ってギリギリのところで堪えてくれているのだろう。不器用だけれど確かな優しさは、創司郎のかけがえない魅力のひとつだ。
 彼の魅力に浸りながら、私はもうひとつの、伝えるべきだった言葉を思い出す。むしろこれからが本番だろうに。

「創司郎、プレゼントは何がほしい?」
「え――」
「本当はね、事前に何か用意しておこうと思ったんだけど……でも、どうせならちゃんと君の欲しいものをあげたかったから。だからいま訊いて、明日デートついでに買いに行くのもいいかなってさ」

 思いつくものはだいたい、今までの誕生日であげたしね――
 私がそう続けると、創司郎は私の肩に顔を伏せ、ゆっくりと息を吐く。まるい頭と広い背中を優しく撫でれば、ギリギリのところで保たれた腕の力が少しばかり強まった。
 息が詰まる……けれど、それがひどく心地よい。叶うのなら、このまま死んでもいいとすら思う。

「――いりません」

 創司郎から返ってきたのは、予想外の答えだった。
 私は彼に見えないところで静かに目を見開きながら、どうして? と訊ねる。

「その……物じゃ、ないんです。欲しいものは」

 創司郎の、求めるもの――
 それはどうやら、金で買えるほど簡単なものではないようだ。私が沈黙で続きを促すと、創司郎はなんとなく躊躇い混じりに、ゆっくりと言葉を続ける。

「ただ……その。明日はずっと、僕と一緒にいてほしい、です。文字通り、本当に片時も離れず」
「そんなの、いつもやってるのに」
「そうです。……いつもどおりが、いいんです」

 ずっと僕のとなりにいて、一瞬だって、離れないで。
 創司郎の言葉に悲痛さが込められているのは、もしかすると、今日という日に何かしらの思い入れがあるからなのかもしれない。これまでの誕生日ではいっさい出してこなかった何かを、今ここでゆらゆらと、ほんの少し顕そうとしている。
 もう少しで形を成そうとしているその何かを、私はちゃんと掬って、拾ってやることができるだろうか――否、私のやるべきはそんなことではなく、もっと大きなこと。創司郎の見せるすべてを、余すことなく受け止めることだ。
 受け止めて、受け入れて、創司郎の心に溜まった膿をすべて吸い出してやりたい。無遠慮に手を入れたそれを、最後の最後までしっかりと握りしめて、ずっと捉えておくことが、私の与えるべき愛し方。
 私は――この子の傷も、膿も、すべてにふれて、飲んで、私のなかに取り込みたいのだから。

「……わかった。いいよ。今日は――ううん、これからはもっともっと、創司郎と一緒にいるね」
「はい……」
「ご所望ならトイレも一緒でいいけど」
「あ、い、いや。さすがにそれは……」

 なんとなく言いよどむ創司郎は、私の言葉がおかしかったのか否か、張りつめた空気を少しだけ緩ませてくすりと笑った。その一連の所作がひどく愛おしくて、私は擦り寄るように創司郎の体を抱きしめる。

「……愛してるよ、創司郎。君の欲しいものは、何だって私があげるから」

 縋りつく体を優しく離して、創司郎の瞳を見る。暗く濁ったようなそれがこのうえなく愛おしく、庇護欲を激しく刺激した。
 ……燃える。私の心の底のある、炎のような感情が。激情と呼ぶべき私の想いはきっと、この身のみならず創司郎をもまとめて包み、燃やして尽くしてしまうのだろう。

「だから、全部見せてね。私の全部を君にあげるから、君の悪いものを、膿ですらも、全部ぜんぶ、私にちょうだい」

 途端に一瞬わなないた、薄ったい唇を塞ぐ。もう何も言わなくていいし、何も、聞きたくはなかった。
 ついばむように口づけながら、少しずつ深くなっていくそれをねっとりと味わって、創司郎の影を引き出していく。もっと、もっと見せて――私の想いが通じたのか創司郎の舌は激しさを増し、少しずつ乱暴になってゆく。

「三笑さん――」

 この顔が合図だ。熱に溺れたような、野獣をギリギリで抑えているような、欲に駆られたケダモノの顔。私は、こうして奥の奥をさらけ出す創司郎が、狂おしいほど好きだった。
 がぶり寄ってくる創司郎を甘ったるく受け止めたとき。私たちの夜が――創司郎の「誕生日」が、ようやっと始まりを告げる。

 
世長誕生日おめでとう
2022/05/15