君は傷ついてくれるのか

「立花……ごめん。僕、やっぱりユニヴェールにはいられないみたいだ」
 進級をすぐそこに控えた春の日、クォーツ寮の廊下にて。
 ちょうど私室に至る道中ですれ違った立花に、僕はまっすぐとそう告げた。今日という日を楽しむためにだ。今までこういったイベントごとにあまり関心のなかった僕であるが、今年は少しだけ参加してみようと思った。ただ立花の笑う顔が見たかった、というしょうもない理由ではあるのだけど。
 しかし茶目っ気を出したつもりの僕とは打って変わって、言葉を受けた立花はまるっこい目を何度もしばたたかせながら呆然としている。しまいには思い切り詰め寄られる羽目になり、その勢いたるや、むしろ僕のほうが言葉をなくしてしまうほどだった。
「どっ……どうしてですか!? 何か問題が、それとも……そうだ、私、今から校長先生に掛けあってみますから――」
 今にも駆け出さん立花の腕を掴む。早くしないと間にあわなくなりますよ! と言う彼女を、なんとか宥めるために。
「待って、立花。そうじゃなくて」
「何が違うんですか! 私にやれることなら何でもやります、だから先輩も諦めないで――」
「エイプリルフールのつもりだったんだ。ただ……その、初めてだからあまり加減がわからなくて」
「ええ!? あ――もう! 雛杉先輩、ちょっと人が悪すぎますよ……!」
 僕が素直にネタばらしすると……さっきまでの慌てた様子はどこへやら、立花は僕との距離を離さないまま、今度は怒り心頭といった具合で迫ってくる。いつの間にか掴まれていた胸ぐらはぎちぎちと音を立てていて、いつか織巻が言っていた「立花を怒らせるなんて相当だぞ」という言葉が頭のなかによみがえった。
 ……そこまで怒ることだろうか。僕が眉をひそめていると、立花ははあ、と小さくため息をついた。胸ぐらを掴んでいたはずの細い手は、いつの間にか震えている。
「エイプリルフールって……人が不幸になる嘘はついちゃいけないんですよ」
 だから、そういう冗談は金輪際やめてください。
 そう言葉を次いで、立花はどこかふらついた足取りで僕の前から立ち去った。おそらく自室にもどったのだろう、意気消沈とした彼女の背を追う世長のすがたが視界に入る。
 ――不幸になるのか、と思って。立花がこの一年間ずっと退学の恐怖と戦い続けていたことを思い出し、思慮の足りないおのれを恥じる。せっかく慕ってくれている後輩をわざわざ傷つけるような真似をして、今年度から最高学年になるはずなのに僕は何をやっているのだろう。
「ごめん、立花……」
 口をついて出た無意味な謝罪は、その事実を突きつけるかのごとく誰の耳にも入らないまま消えた。

 
エイプリルフール
20210401