白黒の紙芝居

 人は声から忘れてゆくものらしい。
 そういった俗説を聞いたのがいつだったかは覚えていないが、重雲にはひどく納得のできることであった。なぜならば、最近になって桃琳の声を思い出せないことが増えているからだ。
 彼女の言葉は覚えている。その笑顔も、香りも。しかし、果たしてその言葉はどんな音で紡がれていただろうか? どのような声色で、どんなふうに笑い声をあげていたか。少し舌足らずなときもあった彼女のリズムなど、そういったものが、少しずつ思い出せなくなっている。
 人の声を記録しておく方法はないのだろうかと、探ったことは何度もある。たとえば旋曜玉帛をいじくったり、方術を転用したり……気分的には少々憚られるが、やろうと思えばきっといくらでも方法はあるのだろう。
 とはいえ、何を考えてもすべては後の祭りだ。いくら音を記録する方法があったとて、失われたものを蘇らせることはできない。桃琳本人がここに存在しない限り、どんな望みも叶いはしないのだ。

「今日も璃月港は賑やかだな」
「そうだね。街を通る潮風はいつもと変わらぬ匂いをしているし、万民堂の味も不変だ。きっと、重雲たち方士一門をはじめ、皆がこの国を守るために尽力しているからだろう」
「ああ。……きっとそうだ」

 行秋と共に璃月港を歩く。あてもなくぶらつくことはそう珍しくないが、思えば桃琳の死後、こうして行秋に誘われて外に出ることが増えた。親友の細やかな気配りには、何度感謝してもしたりない。
 何をするでもなく、他愛ない話を交えながら歩く町中はとてもきれいで安らぐ。璃月港が賑わっているのを見ると、もっともっと方士として精進すべきだとぐっと背筋が伸びるのだ。
 しかし、そうして人混みに目を向けていると、その隙間に桃琳のすがたを探してしまう自分を目の当たりにすることになる。それは浅はかで諦めの悪いおのれの性分が露呈するようで、ひどく惨めでもあった。
 重雲は璃月港を、璃月という国を愛している。氷のように清らかで責任感のある彼は、方士としての職務など関係なく、ひとりの人間として、この国を守っていきたいと考えている。
 その一方で、この世界は時おり無音の紙芝居へと形を変えるのだ。景色はやがて白黒になり、そこに咲く桃色を探してしまう。心が彼女を求めるたび、重雲の世界には不穏でおぞましいフィルターがかかった。
 
 思わず足を止めてしまった重雲を、行秋は決して追い立てない。彼は親友の痛みに寄り添うだけの優しさを持っている。重雲の痛みは重雲だけのもので、そこに何人たりとも触れてはいけないということを、彼はよく知っていた。
 行秋は重雲の視線をなぞる。その向こうにある色とりどりの世界に、彼女の「欠片」を探すためだ。
 

#novelmber 15.録音
2025/11/09

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