五回目の別れ

 ――なあ、桃琳。ぼくは、とうとう前を向くべき時が来たのかもしれない。
 否、別に自分の生きかたが後ろ向きだとは思っていない。少しばかり視線が下に向いている自覚こそあるが、ネガティブなことしか考えないとか、毎日泣き暮らしているとか、そういったあからさまな傾向はないし、敷いて言うならぽっかりと空いた胸の穴を、埋めることができないでいるだけだ。
 ぼくの胸に空いた穴には、その中心部にひとつの刃が刺さっている。「後悔」という名のそれはいっさい抜ける気配がなく、ふとしたときにフラッシュバックして、時おりぼくの足をとめる。
 しかし、その後悔が原動力になっているのも事実である。ぼくはここに留まっているわけにはいかない。桃琳の遺した言葉を大切にするために。いつか地脈に還ったとき、胸を張って彼女に会えるように。そうして、またあの破天荒で幼い笑顔を、まっすぐ見つめられるように――
 そう思ってはいれど、やはり、どこかで少しためらいがあるのだと思う。彼女への想いについて、どう折り合いをつけるべきか。
 伝えられなかった初恋は、今もずっとぼくの胸のなかに、穴として、瑕として、形を持ったまま残っている。

(けど、このままじゃ誰のためにもならない。桃琳はもちろん、あの子のためにも)

 近頃になって、ふと脳裏に浮かびはじめた顔がある。桃琳とは似ても似つかないその子供は、ぼくよりいくつも年下で、けれどもひどく直向きな子だ。
 少しずつ付き合いが増えるようになって、ぼくは人生で初めて「この子なら」と思えるようになった。それは初恋の払拭を意味するのかもしれないが、ともすると裏切りとよく似たかたちをしているのかもしれない。
 しかし、これは桃琳も望んだことだ。何度も何度も読み返して擦り切れた詩歌の紙切れには、ぼくが前に進むことを祈る彼女の言葉が認められている。だから、桃琳だってぼくのことを祝福してくれるはずなんだ――そう自分に言い聞かせるたび、これは死者の言葉を騙ることになるのではないかと自問を繰り返してしまう。 
 こうして悩むことこそ、ぼくがあの子に惹かれていることの何よりの証左でもあるのだと、心のどこかでは気づいているくせに。

「参ったな。前に進む決心がついたことを報告しにきたのに、ここに立つとその決心も簡単に揺らいでしまうんだ……」

 やはりぼくは、未だにお前の元を抜け出せないらしい――
 秋風の吹きすさぶなか、ぼくはうず高い粗末な墓の前でしずかに項垂れている。今日は桃琳がいなくなって、ちょうど五年になる日だ。

 
原神5周年おめでとうございます!めでたい日にめでたい話を書けないことに定評がある。
2025/09/28

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