サラダよりもにがいもの

「あたし、なんでこんなことやってるんだろう……」

 ナタネは困惑していた。それは置かれている現状というより、こんな行動に出てしまったおのれに対して、である。
 ため息混じりに声を潜める彼女は、ハクタイジム近くのとある電気屋に足を運んでいる。否、足を運ぶといっても店内に入るわけではなく、物陰からそっと様子をうかがっているだけなのだけれど――

『実は、近所の電気屋さんでバイトを始めることにしたんですよ。知ってます? ハクタイデンキ』

 シラシメからそう聞かされたのは先週のことだった。夕食時、彼の口に野菜サラダを突っ込むことに成功した直後だったはずだ。
 突然のカミングアウトにナタネが言葉を失っていると、彼は苦々しい顔でふた口目のサラダと見つめ合いながら、続ける。

『さすがにずっとナタネさんのお世話になるわけにもいかないから……いえ、別にここを出ていくつもりはないですよ。ただ、将来のために考えるべきことってたくさんあるよな、と思って』

 彼の意志は尊重したいし、疑っているわけでもないが……しかし、どうにも心配が勝ってしまう。ゆえにこうして、彼の勤務先にやってきてしまったというわけだ。
 我ながら過保護の自覚はある。シラシメはもう子供ではないし、そもそも自分と彼は恋人であれ、ただの他人だ。ここまで干渉すべきではないとわかっているが、どうしても自分は出会った頃を――ハクタイのもりで泣きべそをかいていた子供の姿を忘れられないらしい。ジバコイルがあしらわれたハクタイデンキの看板を見ながら、ナタネはぼんやりと考え込む。
 
「いらっしゃいませ――」刹那、聞き覚えのある声を耳にして、反射的に身を隠す。
 ……シラシメくんだ! 気づかれないようこっそり覗くと、そこには看板と同じロゴが描かれたエプロンを身にまとう彼がいた。隣にいるジバコイルは店長のポケモンだろうか? その子とはやけに仲が良さげで、そういえば彼がライチュウを筆頭に、でんきタイプやはがねタイプのポケモンと気が合うことを思い出した。

「娘のポケッチが壊れてしまって……こちらで直せたりするかしら」
「ポケッチですね。故障の具合を確認しますので、まずは店内へどうぞ」

 滞りなく接客している彼の姿を見て、気の抜けたような息が出る。ため息とも言いづらいそれはナタネの体を脱力させ、その場にへたんとへたりこませた。
 ――この感情は何だろう。安心したのは確かだが、ほんの少し複雑でもある。彼が彼なりのコミュニティを築くことは大切で、年上としてそれを快く送り出してやるべきなのに、心のどこかで「お金のことなら心配しなくていいのに」なんて、勝手なことばかりを考えてしまう。
 膝を抱えて、そのまま突っ伏す。今の自分はなんだかひどく情けなかった。ハクタイシティを代表するジムリーダーともあろう者が、外でこんな姿を晒していいわけがないのに。

「今のあたし、世界で一番かっこわるいかも……」

 ハクタイの湿った空気に霧散する独り言は、その日、シラシメを出迎えてもなお、ナタネの胸に刺さったままだった。

 
2025/09/22

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