「……以上が、今回の経過報告となります。結論といたしまして、多少の小競り合いこそあるものの、当該地域の情勢は概ね安定しており――」
イネスが言葉を切ったのは、前方から注がれている視線に気がついてしまったからだった。
……おかしいな。ついさっきまで、「お父様」も書類に目を通していたはずなのに。予想外の行動に一瞬面食らったが、動揺はすぐに仮面の下へと隠される。
「……『お父様』? どうかなさいました?」
イネスが微笑みながら訊ねると、アルレッキーノは上下に視線を動かしながら、どこか考え込むような素振りを見せる。その舐めるような視線はかつて晒された好奇の目と似たような動きをしていたが、アルレッキーノのそれが値踏みではないことをイネスはよく知っているため、不快感は特になかった。
「いや……随分と大きくなったものだな、と思ってね」
はた、とイネスが瞬きを繰り返す。確かに、イネスの視線の先にあるのはアルレッキーノの鮮烈な瞳ではなく、前髪で覆い隠された額だった。
此度の報告はアルレッキーノの執務室で行われているが、ちょうど席を立っているところに出くわしたため、こうして立ち話のような形で遂行されている。お互い忙しい身の上であるために立ったまま話し込むことはたびたびあるのだが、どうして今になってそんなことを言い出したのだろう。
「大きく……ですか?」
「君が私に縋りついてきたとき、君はまだ……そう、ちょうど私の肩くらいしかなかっただろう」
「私、そんなに小さかったでしょうか。……いえ、『お父様』のことを疑っているわけではないのですが、自分の成長を客観的に記憶するのは、難しくて」
イネスが続けると、アルレッキーノは僅かに口元を緩めながら目を伏せる。その表情から察するに、かつての出会いについて想いを馳せているのだろう。
「よく覚えているよ。なぜなら君は、私にとって最初の『子供』なのだからね」
そうして、在りし日を思い描いた彼女の口がつむぐ音は、普段のそれより何倍も優しく、穏やかだった。それはまるで彼女に誰よりも愛されているかのような傲慢な錯覚を起こさせ、イネスの涙腺をじんわりと刺激する。
こぼれそうになった涙を飲み込み、再びアルレッキーノへと視線を戻す。静かに開かれた赤月の瞳は身を凍らせるほど恐ろしくもあるが、イネスはその向こう側にある慈愛をよく知っていた。
……これから話す「冗談」を、彼女が嫌わないことも。
「明日から、ヒールを少し削ったほうがいいでしょうか」
「……そこまではしなくていい」
2025/09/19
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