面影を見た

「そうだ、輝夜。お前は何か演りたい演目はあるか?」

 金曜日の放課後。委員会の集まりを終わらせて昇降口へと降りる途中、天馬が私に訊ねてくる。
 今日は家を手伝わなければいけないのでフェニランには行けそうにないと伝えたところ、じゃあ今のうちに、と投げかけられたのがさっきのひと言だ。
 私はいまいち要領を得なかったので、天馬の真意を問うため、無作法ながらも質問を返す。

「演りたい演目……って、もしかして、私が出るショーのこと?」
「もちろんだ。脚本は基本オレが担当することになっていてな、いつもはみんなであれやこれやと案を出し合って決めているんだが……ほら、お前は演劇経験もないんだろう? それなら、今回はお前の意見をメインに取り入れようと思って」
「そこまでしてくれなくても――」
「そう言うな。オレからの……いや、オレたちからの歓迎の印とでも思ってくれ。他のメンバーにも許可は取ってあるから」

 仲間たちのことを語る天馬は、相変わらずキラキラと輝いている。
 ……思えば、彼は一年のときからそうだったな。いつでも、どこにいても行動が耳に入ってくるくらい目立っていて、異質で。でも不思議と孤立はしない、みんなに愛される存在だった。
 思い返せば思い返すほど、こうして学級委員兼バイト仲間として仲良くしてもらっていることがまるで嘘みたいに、私たちは今までいっさい交わらないような人生を送ってきたのだと実感する。
 ここしばらくの出来事はまるで不思議な夢のようで、体温が少しだけ上がっているような、不思議な感覚に襲われていた。それは幼少期に大好きだった絵本を読むときに感じていた、独特の高揚感によく似ている。

「――あ」

 ふ、と。脳裏によぎったそれが天馬への「答え」であるような気がして、私は反射的に声をあげる。
 そんなに大きな声を出したつもりではなかったけれど、隣に立っていた天馬は聞き逃さなかったようで、私の顔を覗き込むように訊ねてきた。

「どうした、何か思いついたのか?」
「あ……えっと、私、小さい頃にすごく好きだった絵本があって。ラプンツェル、なんだけど」

 それは、幼い頃の私が肌身離さず持っていた絵本。塔の上に閉じ込められた女の子が、よそからやってきた王子様と恋に落ちて、波乱はあれども強い絆で結ばれるお話だ。
 絵本のなかではひどくロマンチックな物語として描かれていたけれど、原典は男女の逢瀬や性的な描写を多分に含むらしい。その事実を知ったとき、まるで夢を砕かれたような気分になったのも今となってはいい思い出だ。
 きっと、私はラプンツェルと王子の二人にひどく憧れていたのだと思う。私もいつかあんなふうに、たとえ一度離れても再び出会えるような深い結びつきを得たいと、幼心にずっと思っていた。
 ――もっとも、私の初恋は諸事情により、決して叶わないものとなってしまったのだけれど。

「ラプンツェルか……確かに、モチーフとしては扱いやすい部類かもしれないな。知名度もアレンジのしやすさも申し分ないし、森や花といった植物にまつわる話はお前によく似合うと思う」
「え……そ、そう?」
「ああ。なぜなら、オレが初めてお前のすがたを見たのが中庭の花壇のそばだったのだからな」

 懐かしいな、と目を細めながら天馬は言う。
 いわく、やけに熱心に花の世話をしている私のすがたはなんとなく異質で、ひどく印象に残ったらしい。軍手や肥料まで持参して、日当たりなんかも考慮して花を植えている様子には、ある種の感心すら覚えるようだったと。
 今まではその周到さを疑問に思っていたようだが、先日ホームセンターの話をしたとき、きちんと合点がいったらしい。
 私は、そうやってしっかり覚えていてくれたことを改めて実感して、嬉しくて――ついつい饒舌に、おのれの心情を吐露する。

「……好きなんだ。私の育てたお花で、みんなが喜んでくれるのが。ここではあんまり知られてなかったけど……ホームセンターでバイトしてるときなんかは、常連のおばさんたちも褒めてくれたし」
「もしかして、校庭の入り口にあるベリーの木々もお前が?」
「うーん……半分当たりで半分違う、かな? あれが植えられたのは私が緑化委員を辞めたあとなんだけど、今でもたまに、先輩たちに頼まれて様子を見に行ったりするよ」
「なるほど……頼りにされているんだな。お前の腕前は」
「……ん。まあね」

 私がにやりと笑ってやると、天馬は小さく頷いたあと、一瞬何か思いつめたような顔をする。どうしたの、と訊ねてみれば、返ってきたのはひどく思いやりに溢れた言葉だった。

「その……お前は、本当に植物の世話が好きなようだから。周りの推薦とはいえ、わざわざ緑化委員を辞めずともよかったのではないか、と」
「え――」
「ただ、もしもお前が緑化委員を続けていたなら、オレたちはこんなふうに親しくなることもなかっただろう? そう思うと複雑でな」

 すまないな、と天馬は言う。もうとっくの昔に下駄箱の前にいるというのに、私たちは靴を履き替えることもできずに立ち尽くしたままだ。遠くに見える夕焼けがやけに寂寥感を掻き立ててきて、なんとなく、胸がぎゅうと苦しくなる。
 ……そんななか、私は今頃になって気づくのだ。学級委員として過ごす日々を、天馬に振りまわされる毎日のことを、刺激的で、ひどく楽しいものだと思ってしまっていることに。

「――い、よ」
「うん?」
「私は……べつに、いいよ。確かに緑化委員は楽しかったし、学級委員になってすぐは、なんでこんなことにって思ってたけど……でも、私だって、天馬とこうして仲良くなれてよかったなって、思ってるし」
「……本当か?」
「こんなめんどくさい嘘なんか吐かないよ」

 そう言うと、天馬は両目を伏せて安堵の表情を浮かべる。やけに長いまつげと、普段の言動のせいで目立たないが整っている顔立ちを夕陽が優しく照らしていて、締めつけられていた私の心臓を、今度は力強く叩く。
 見とれていた、のかもしれない。私の視線を強く奪う彼は、確かに未来のスターの片鱗を感じさせた。

「――フフ」
「え?」
「フフフ、ハハ、ハッハッハ! なるほどな! オレのスター性は、別れを惜しむ気持ちよりも出会いの喜びを強くしてくれるらしい! ああ、さすがは天翔けるペガサス、天馬司だ……!」
「はあ!?」
「オレは自分のカリスマ性が恐ろしい……! なあ、輝夜! お前もこのオレに魅了された人間の一人だったとはな……!」

 絶句、とはまさにこのことで。私はがらんどうの校舎の隅から隅まで響き渡らん天馬の声を聞きながら、がっくりと肩を落とす。

「さあ輝夜、そろそろ帰ろうではないか! このままだと暗くなってしまって危ないぞ」
「うん……」
「なんだ、元気がないじゃないか! どうした、このオレが相談に乗ってやろうか?」
「いりません、結構です、間に合ってます」

 さっきまでのあれは何だったんだ。まるで嵐のように騒がしくなった天馬を横目に、私はそそくさとローファーに履き替えて昇降口を去ろうとする。これ以上ここにいたら頭痛でも起こしそうだ――!

「――なあ、輝夜」

 今まさに歩き出そうをしていた私を、またもや静かな天馬の声が呼び止める。その温度差に脳みそをグラグラにされながら、私は再び天馬のほうを見た。
 天馬は、自信に満ち溢れながらも穏やかで優しい笑みを浮かべている。そのすがたはまるで、かつて私が熱を上げていた、初恋の「彼」のようだった。

「受けてくれてありがとうな。……オレたちで世界一のショーをつくろう!」

 わかってるよ、という悪態だけを残して、私は足早にその場を去った。

 
2022/02/21
2022/09/01 加筆修正