心に足を踏み入れる

「――と、いうわけで、だ。今から台本を配るぞ」

 私にとって初めての練習が、今日、ついに始まる。なんとか平静を装ってはいるが心臓は早鐘よろしく、どくり、どくりとうるさいくらいの鼓動によって、高揚と緊張を実感させられていた。
 内心で慌てふためく私をよそに、天馬の手によって作られた台本がまさに今、配られんとしている。ホッチキスで止められた冊子は薄ったい紙が数枚束になっただけのはずなのに、手に取った途端それ以上の重みを感じて、一瞬視界が揺れてしまった。

「今回のストーリーはラプンツェルをモチーフに書かせてもらった。みんなにも許可をとったとおり、輝夜の案を採用している」
「ラプンツェルって、塔の上に閉じ込められてたお姫様のやつだっけ?」
「そのとおり! もちろん、我らがワンダーランズ×ショウタイムで演じるにあたって、オレなりのアレンジを加えさせてもらっているがな」

 自信満々に言う天馬は、どこか誇らしげな様子で台本をめくる。今日は内容の確認と、必要ならばブラッシュアップをし、簡単な読み合わせもするのだそう。

「輝夜が入ってくれたおかげで、我々メインキャストは晴れて女性が三人になったからな。今回はそこを推していこうと思う。つまり何が言いたいかと言うと――ラプンツェルは三人いる」
「はあ……!?」
「塔をのぼる王子はもちろんオレで、類にはラプンツェルを閉じ込めていた魔法使いの役をメインでやってもらう。笑いあり、涙あり、時にはときめいてもみたり、いいとこ取りのドタバタ活劇だ!」

 仰け反るような調子で宣う天馬を横目に、私は台本をめくって内容を確かめる。……たしかにこれは、いいとこ取りのドタバタ活劇かもしれない。
 物語は、森の中で道に迷った王子の独白から始まる。彼は遠くから聞こえてくる美しい歌声に引き寄せられ、不自然に高い塔へとたどり着くのだ。
 入り口の見当たらない塔の周りをくるくるとまわり、誰かいるのかと声をかけると、遥か上方についた窓から長い髪が降ろされる……というのは、ほぼほぼ基本と同じ部分だ。
 しかし、塔をのぼった先にいたのは一人ではない。見てくれも様相もまったく違う、三人の女の子だったのだ。
 一人は緑の歌姫――さきほど王子を導いた歌声の持ち主である。引っ込み思案であるが王都の歌人にも劣らない美しい歌声をしているとある、寧々にピッタリの役柄だろう。
 もう一人は天真爛漫な桃色の少女。えむに当てられた役らしく、活発で元気で、彼女のあけすけな言葉によってラプンツェルたちの事情がテンポよく説明されていく。
 そして最後の一人は、花を愛でる心を持つ藍の乙女――消去法で言えば、おそらくこれが私だ。二人に比べると大人しく目立たないが、彼女の手には美しい花冠が携えられている。

「そのとき王子は気づくのだ。塔のなかは、森にも負けないくらいの美しい花々が咲き乱れていることに」

 桃色の少女がきらびやかに種をまき、藍の乙女が花を育て、緑の歌姫の歌によってそれらは見事に咲き誇る。そういったサイクルでこの塔は――否、この森は作り上げられているのだと天馬は言う。物語にはそれほど関係のない部分だが、こういった裏設定を固めておくと物語に深みができるのだとか。
 自分たちと魔法使い以外の人間に会ったことがない三つ子は、その純粋な瞳でもって、王子を泊めることを条件に夜通し外の世界の話を聞いた。人がごった返す王都、草木の育たない火山、景色の変わらない砂漠――王子の口から出てくる話は三つ子の好奇心をこのうえなく刺激し、彼女たちが長年押し込めていた外への関心を膨らませてやまない。
 三つ子の心情を察した王子は、なんとか魔法使いの目をかいくぐって三人を外の世界に連れ出そうとする。持ち前の知恵と身体能力を活かし、なんとか三つ子を塔から解放した――まではよかったの、だが。

「三つ子は初めての外の世界に大興奮! 王子の静止の声も聞かず、森の中に消えていってしまうのだ……! たとえこの森の創造主と言えど、外に出ればただの女の子。三つ子を危険な目にあわせてはならんと、王子は散り散りになった三人を探すために森の中を奔走する――というのが、この物語の主軸だな」

 台本を読み終わった天馬が、いやに上品な仕草で冊子を閉じる。真剣な眼差しからは彼が真摯にこれを描いたことが伝わってきた。

「うん、良いんじゃないかな? ……そうだね、塔の場面ではステージを縦に使い、森のシーンでは横に広がりをつくれば――ああ、演出のアイデアが浮かんでとまらないよ」
「あたし、司くんの書いてくれるお話大好き! 今回もとっても楽しそうで、すっごくわんだほーい! な気分になってきたよ!」
「……まあ、あんたにしてはなかなか良いんじゃない? 最初はどうなることかと思ったけど、思ったよりぶっ飛んでなかったし……歌姫役は、やりがいある、かも」

 みんな自分の役目を果たすため、早速それぞれに意見や感想を出しあっている。天馬いわくまだまだ粗が散見するので、練習の過程で各所を見直しながら、少しずつブラッシュアップを重ねていきたいということだった。
 さっきまでは和気あいあいとしていたのに――もちろん今も険悪になったわけではないが――途端に役者、ショーキャストとしての顔つきになるみんなを前に、ほんの少しだけ怖気づきそうになった。
 こんなところに私なんかが混ざってしまっていいのだろうか。私のような初心者がみだりに引っ掻きまわすような真似をして、みんなの連帯感や、今まで積み重ねてきたものをめちゃくちゃにしてしまうんじゃないかと――少し前、否、ほんの数十分前の私ならそう思っていただろう。
 けれど今、私の意識はもうすっかり、目の前の台本に釘づけとなっていて――

「どうだ、輝夜。今回はお前らしさを前面に出した役柄にしてみたが、やれそうか?」
「――そう、」
「うん……?」

 様子をうかがうため、天馬が私の顔を覗き込む。
 私の表情を見た天馬は一瞬驚いたような素振りを見せたものの、すぐにいつもどおりの自信に満ちた笑みに戻った。安堵、にも似ているかもしれない。

「たのし、そう。……私、これなら頑張れる、と思う」

 私はもはや、未知の体験と期待を前に、胸が震えっぱなしだった。

 
2022/02/21
2022/09/01 加筆修正