原神

薄氷のうえを少女は歩く

 ほぼひと月ぶりに、住み慣れた家の玄関扉を開ける。馴染みのある重量はに帰宅の実感を湧かせ、長らく家を離れていたことによる疲労を癒やしてくれたような、気がした。  大聖堂からの帰路は平穏無事と言って問題ないものであっただろう。途中、鹿狩りの前…

曇天に射し込む光

 あの日からしばらくして、教会内には「に赤いものを見せてはいけない」という暗黙の了解が生まれた。 しかしそれは看病を担う者による配慮であり、決して彼女を辟易した結果のルールではない。家族を亡くし、本人も重傷を受け、心身ともに弱りきっている少…

やがてすべてはひっくり返る

※嘔吐描写有 --- 「目が覚めたとき、そこにあったのは見慣れない天井だった」――創作物ではお決まりの文句であるが、の目覚めはその限りではなかった。 目を覚ました彼女を迎えたのは天井ではなく壁だ。正確には、少し古ぼけたような白い壁と、それを…

忘れられない誕生日

 両手いっぱいのセシリアの花が、夜風にくすぐられながら優しい芳香を振りまいている―― 鼻腔を通るそれを存分に堪能するは、荷馬車の隙間から星の夜へと目をやり、どこか熱っぽいため息を吐いた。真冬の冷たい空気に混じるそれはぼんやりとした形を保って…

01/21 01:12

「レイチェル――今日はいつにも増して飲みすぎじゃないか。明日はあの子の誕生日なんだろ」 時刻は深夜一時過ぎ、エンジェルズシェアのカウンター席にて。酔いつぶれてテーブルに突っ伏したまま動かない後頭部へ、ディルックは静かに声をかける。 レイチェ…

夢の蕾とふくらんだ種

 思わず目で追ってしまうような、唯一無二の背中があった。 凛とした立ち居振る舞いがひどく目を惹くその人は、騎士然とした柔和な笑みと勤勉な態度が印象的で、はまたたく間に彼の虜となってしまった。……もっとも、彼がモンド中の注目の的であるディルッ…

春風と灯火

 ――迷子に、なってしまったようだ。見覚えのない路地裏に立つ少女の脳内を、どこか客観的な言葉が占める。 さっきまで手を握ってくれていた母の姿は、今やどこにも存在しない。右を向いても左を向いても知らない路地の壁が広がるばかりで、うっすらと暗む…

甘ったるいアップルティー

「どうやら僕は、君に拒絶されることをひどく恐れているようだ」 ティーカップとソーサーが触れあう刹那、その小さな衝突音にかき消されそうな声がする。 しみじみと、まるで読書を終えたときのような口ぶりで言うディルックさんは、波紋の広がるティーカッ…

二人について・噂話

 アカツキワイナリーのディルックは近頃、とある女の子に夢中らしい――そんな噂がモンド城に蔓延するようになったのは、実のところ最近の話ではない。 昨年度にはじわじわと広まりつつあった件の風の便りは、しかし今となってはモンド城の人間の半数が周知…