いつもそうだ!

 巷では六月の第一日曜日を「プロポーズの日」と呼び、あちらこちらで様々なイベントを開催している。
 ただ、プロポーズの日なんてたいそうな名前を冠してはいれど、別にプロポーズを推奨するような日でもないらしい。どちらかというともっと静的で、一歩を踏み出す勇気がない人たちに対し、ほんの少しでも背中を押せれば、手助けになれればいいというような、悩める人々を応援するための日なのだとか。
 なるほど、だから決まった日付ではなく「第一日曜日」なのか。相対的な制定に首を傾げていたが、そういった理由で設けられた日であるなら合点がいく。例えば今日のように六月五日なんて日付を決めて、それが平日のど真ん中に当たってしまっては元も子もないだろうから。
 自室のベッドに寝転がり、お気に入りのクッションを抱きながらスマホを弄っていると、そんな情報があちこちから入ってくる。
 ニュース記事を読むのは好きだ。自分の知り得ないことや時事ネタを目に入れ、咀嚼すると、少しずつ知識が蓄積されていくようでなんとなく気持ちがいい。……あまり馴染みのない話題の場合は、来週くらいに忘れているかもしれないけれど。
 ――プロポーズか。女の子なら誰しもが憧れるその言葉には、例に漏れず輝夜にだって、それなりに思うところがあった。

「去年とか一昨年は、カイトさんのことばかり考えてたっけ……」

 輝夜の脳裏に浮かんでいたのは、やはり真っ青な彼のこと。今日という日に限らず、以前の輝夜は暇さえあれば彼のことを想い、ずーっとインターネットの海をふらふらと泳いでいた。
 彼のことを――カイトのことを考えない日なんてなかった。好きで好きで仕方なくて、飽きもせずにスマホを触って、彼の欠片を求めて毎日を過ごしていた。
 けれど悲しいことに、輝夜には自分で何かを生み出せるだけの力はなかったのである。カイトとの間にあるまやかしの絆を、頭のなかで膨らんでは消えてゆく妄想を具現化することができなくて、歯がゆい気持ちになりながらも、有志が創り出してくれたものを喜んで咀嚼していた日々。
 何度か挑戦はしてみたけれど、思うように形にできず、誰の目に入れることもなくすぐに消し去るばかりで。――めげずに創り続けていれば上達していたかもしれないし、もしかすると自分のような飢えた人間の助けになれていたかもしれないと今更ながらに思うけれど――しかし、それはまさしく後の祭りなのだ。
 自分と彼の物語に思いを馳せて、何年も何年も、途方も生産性もない日々ばかりを送っていた。それが輝夜にとっての日常で、“いつもどおり”で、空虚こそあれど幸せだった。六月なんかは特に甘ったるい物語が多くて、本当に命が救われる想いだったか。
 ――けれど。

「まさか自分がこんなふうになるなんて――こういうこと考えるとか、やっぱりちょっと現金かな」

 壁という壁に阻まれ続けたあの日々とは打って変わって、今は同じ次元の人を――同じクラスで、同じ委員会で、同じユニットに所属している同い年の男の子のことを、ぼんやりとだが思い描いている。
 夢を見てもいいだろうか。無数に広がるかたちのない夢ではなく、手を伸ばせば届きそうな希望へと、目を向けてもいいのだろうか。
 輝夜は今も考えている。そばにいてくれる一番星との――他でもない司との、おだやかで、輝かしい未来を。
 もしも自分たちがこのままの関係で大人になったら。仲睦まじく連れ添って、司の夢を支えながら、卒業しても、成人しても隣に立っていられたら――そうしたら司は、今まで何度も夢想したようなシチュエーションで、はたまた彼らしくまっすぐな言葉で、愛を伝えてくれたりするだろうか。
 輝夜の一番ほしい言葉を、最高よりも眩しいきらめきでもって、与えてくれるだろうか――

「私、自分で思ってるより、何倍も司のこと――」

 刹那、ぶるりと震えたスマホを片手に、輝夜は目を見開いた。

 
「――どうした輝夜、何かあったのか!?」

 どたどたと階段を駆け上がってきたのは、他でもない輝夜の父親だった。ひげ剃りの最中に急いで駆けつけてきてくれたのだろう、泡だらけの不格好な顎を晒して扉の脇に立っている。
 いつもならきちんとノックして入ってきてくれるのに、よほど切羽詰まった状態らしい。否、そうさせたのは輝夜本人なのだが。
 輝夜はベッドから落ちた体をなんとか正して、へろへろのまま笑ってみせる。

「だ、大丈夫……ごめん、ちょっとびっくりすることがあって、ベッドから落ちちゃった」
「べ、ベッドから……? 本当に大丈夫なのか?」
「問題ないよ! ごめんね、ひげ、ちゃんと剃ってきて。心配してくれてありがとう、お父さん」

 取り繕うような娘の様子に怪訝そうな顔をしながらも、彼は打って変わって静かな足音で、下の階へと帰ってゆく。
 無駄な心配、かけちゃったな――罪悪感に苛まれながら、輝夜はすっかり見えなくなるまで、父親の背中を見送った。

 先ほどのこっ恥ずかしい独り言が中途半端に途切れたのは、今まさに脳みそでこねくりまわしていた彼から、天馬司という男から急に連絡が来たからだ。もちろんその内容にプロポーズはいっさい関係なく、いつもどおりの、明日の放課後についてのことだ。委員会がどうのこうのと、いつもどおりの文体で、特に当たり障りのないメッセージが通知欄に表示されている。
 それでも、不意なアクションは予想の数倍輝夜の胸を刺激して、まるで早鐘のように心臓を騒がせた。驚きのあまりベッドから落ちてしまったし、抱きしめていたクッションも明後日の方向に投げ飛ばした。そのときの騒音のせいで、諸用に勤しむ父親をここまで走らせてしまったのだ。
 ――また、司にペースを乱された。いつもこうだ。あの男はいつもいつも、予想外の言動でもって輝夜のすべてを狂わせてゆく。

「も……ほんっとーに信じらんない……!」

 こんなところで嘆いたとて、それが司に届くことはない。ただ彼女のなかで、はたまた六畳の部屋の内側で、すっかり消え去ってしまうだけ。
 それでも、嗚呼、しかし。届かないのならば許してくれと言い訳じみた嘆願を込めて、輝夜は画面の向こうの司に対し、しどろもどろの悪態を吐いてしまうのであった。

 
プロポーズの日でした。
2022/06/05