永遠にあなたのもの

 その花は、奇しくも彼女の性質に――ひいては彼女を見つけたあの日の情景に、よく似ていると思ったのだ。
 決して派手な様相ではない。いっとう目立つような雰囲気ではなく、いうなれば日常に溶け込むような、身近で、自然な存在だった。ふと街路や花壇に目を向けて、数回ほど視線を動かした頃、やっと目に留まるような花。
 けれど、今まではそれほど印象に残るような花でなかったはずなのに、ひとたび彼女を意識すれば、瞬きのわずかな刹那にすらオレのまぶたを彩った。
 まるで、彼女を見つけた瞬間と同じ。たった一人、地べたにしゃがみ込んで花壇の手入れをしていた彼女。誰の目に映るかもわからない、もしかすると誰にも見てもらえないかもしれないのに、それでも彼女は懸命にその花を愛でた。必死に育てて、肥料をやって、日当たりを計算したり、水をやったり。緑化委員会の活動の範疇を超えて、彼女はあの花壇をひどく愛していたのだろう。
 そして、その思い出があるからこそ、オレは思わず立ち止まってしまったのだと思う。
 
 七月末、ある目的を持ってオレは花屋を訪れていた。
 以前彼女が世話になったと言っていたこの花屋は、内装はもちろん店員の雰囲気もとても良くて、置いてある花たちも瑞々しく、生き生きとしているように見えた。
 隅から隅まで無駄なく植物が配置されているこの花屋で息づく、数多ある花々のなかで、オレの視線を奪ったのは前述の青い花だった。
 まだ蕾の状態ながらも、凛と佇んでいるように見えたそれ。店員いわく、今時分ならもうとっくに咲いているはずなのだけれど、この株だけは開花の兆しを見せず、未だ小さいままらしい。「少し遅咲きですけど、数日もすれば綺麗に咲くと思いますよ」という店員の言葉にひらめいて、オレは店員の話を聞きながら、この鉢を買うことに決めた。

 ――大切な人へのプレゼントですか?

 レジで会計を済ませ、プレゼント用のラッピングをお願いしている際。店員にそう訊かれ、オレは胸を張りながら答えた。

 ――もちろんだとも! 一蓮托生、唯一無二の相方への、とびっきりのプレゼントだ!

 
  ◇◇◇

 
「えっ……これ、私に……!?」

 来たる八月七日、午前十時。運命のこの日に、オレは彼女の――輝夜の家を訪れていた。……元々二人で出かけようと約束していたので、迎えに来ただけなのだが。
 約束の時間ぴったりにインターホンを押して、いつもよりオシャレに着飾った輝夜に出迎えられて。照れ臭そうに笑い、「荷物持ってくるから待ってて」と言った彼女を引き止めて、オレは小脇に抱えていた“それ”を手渡した。
 一瞬なんのことかわからないようだったが、輝夜は夜空色の瞳をまんまるに見開いて、こわごわとしながらそれを――オレの咲かせた、ブルーサルビアを受け取ったのである。
 細い腕に抱えられている鉢花は、植えられている花を邪魔しないよう、ラッピングペーパーやリボンは青や水色を貴重にして、差し色として黄色いチュールがあしらわれているものだ。
 まるで星空のような色合いをしているなと――花屋でこれを受け取ったとき、思わず感嘆の声をあげた。注文をつけたわけでもないのに、まるですべてを見透かしたかのごとくすっきりとまとめきったあの店員の手腕を、オレはオレの持てるすべてで褒めちぎって帰ってきた。
 しばらく呆然としたあと、輝夜は鉢花を抱きしめて顔を綻ばせた。いつも物静かな表情筋を柔らかくしたその顔を見れば、彼女の喜びのほどは手に取るようにわかる。

「この花……サルビアでしょ。赤いやつ、私の誕生花だよね」

 赤いやつ、ということは――もしや、青いものは輝夜の誕生花ではないのだろうか。この天馬司という男にあるまじき失態のような気もするが、もし仮にその事実を知っていたとしても、オレはきっとこのブルーサルビアを選んで贈っていたであろうので、それについては不問だ。
 なぜならば、この青は他でもない、輝夜の色であるからだ。愛おしい彼女のことを思い起こさせる、深い、深い、青の色。少し紫がかったそれは夜空の絶妙なグラデーションにもよく似ていて、「輝夜」という名前をした彼女にひときわ似合うと思えた。

「知っているのか?」
「当たり前じゃん。私、花好きだし……自分の誕生花って、なんとなく特別だからつい覚えちゃうんだよね」

 輝夜は、感じ入るように鉢植えを抱える。ガラス越しではなくなって久しい彼女の瞳はとろけるような色をしていて――下手をすれば往来のみならず彼女の父親に見られる可能性だってあるというのに、居ても立ってもいられないくらい、激しく胸を揺さぶられた。
 今までいっさい見せてくれなかった顔。ただの「相方」ではなく、「恋人」としての輝夜の表情。その振る舞いのひとつひとつ、呼吸に至るまでのすべてが、オレの心を鷲掴みにする。
 結局オレは、誘惑に打ち勝つことができなかった。その熱っぽい瞳にオレだけを映してほしくて、ほんのり染まった頬に触れて、輝夜の視線を花からオレに移させる。
 オレの突飛な行動に輝夜は少しだけ身じろいだが――それでも、行為のいっさいを拒絶されることはなかった。

「誕生日おめでとう、輝夜。今日は世界で一番幸せにしてやるからな」

 目を細めながらそう言うと、輝夜はまるで幼い子どものように、無邪気な笑顔を見せたのだった。

 
夢主の誕生日でした。おめでとう
2022/08/07