私の知らない君が増えてく

 ――夢を見た。嘉明が翹英荘を出ていく日の、何も言えなかったときの夢。
 この夢を見るのはいったい何度目になるだろう。きっと、両手両足すべての指を使っても数え切れないくらいの回数、私は嘉明を見送っている。いつもいつも何も言えなくて、いつもいつも嘉明は振り返らない。私だけが取り残されて、私だけがここで足踏みしている、そんな夢。
「置いてかないで」って言えてたら何か変わったのかな。もちろん、私なんかのひと言で揺らぐような軽い気持ちで嘉明が出ていったとか、そんなふうに思ってるわけじゃないけど……

「おかしいでしょ、どう考えてもさ。嘉明とおじさんはもう仲直りしたし、ちょくちょく翹英荘にも帰ってきてくれるようになった。それなのにまだこんな夢見てるなんてさ」

 まだ薄暗い室内で、私はぐずぐずと鼻を鳴らしながら独りごちている。悪夢にうなされて目を覚ますたび私の顔は涙でぐしゃぐしゃになっていて、なかなか収まっちゃくれなかった。
 ――ずっと、忘れられないでいる。嘉明に置いていかれたときの淋しさが。ふとしたときに私のいっさいを苛んで、まるで岩元素でも浴びたみたいにぱったりと動けなくなってしまうのだ。
 こうして一人で泣いているあいだにも、私の知らない嘉明がどんどん増えているってのに――その事実が余計につらくて、苦しくて、結局私は朝日がのぼりきる時間になるまで、起き上がることができなかった。

あなたが×××で書く本日の140字SSのお題は『置いていかないで』です
https://shindanmaker.com/613463

2024/10/01