※無双黄燎ルートクリア後。ネタバレ注意
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「ごきげんよう、盟主様。……いえ、今は国王様と呼んだほうがいいかしらね」
それは、ファーガス神聖王国――とくに王都フェルディアのような寒冷地において――にしては比較的気温も落ちついている、青海の節も真っ只中のことだった。
珍しく雪解けを迎えた王都へと、クロードは足を運んでいた。理由は他でもない、ファーガス神聖王国とレスター連邦国の国交のためだ。
一時に比べればひどく穏やかで真っ当な関係を築けているものの、しかし、現状にあぐらをかくわけにはいかない。そうして理解をなまけた結果、少しずつ誤解が生じて人間関係は崩れてゆくのだから。
もちろんそれは国交のようなおおきな括りのみならず、一個人の付き合いに至っても、だ。ちょっとしたすれ違いがやがて修復できないくらいの溝にまで膨れ上がっていくところを、クロードは二十年の人生で何度も目にしてきた。
「おいおい、随分な言い方をしてくれるじゃないか? まるで俺が国王に相応しくないとでも言いたげだな」
「そんなつもりはなくってよ。ただ、レスターが悪戯に侵略してきたおかげで亡くしたものがあるということを、当の国王様は覚えていらっしゃるのかと思ってね」
彼女が――ウィノナが何を言いたいのか、追求せずともわかるつもりだ。クロードは腹に抱えた苛立ちを隠し、平静を装って口を開く。
「幼なじみ……なんだっけか?」
「さあね。教えてさしあげる義理はないわよ」
相変わらずの冷たい物言いに、クロードは感情を隠す間もなくあからさまに肩をすくめた。
かつてレスターがファーガスに攻め入ろうとした際――もちろん本気で潰すつもりなどなかったのだけれど――奪ってしまった命があった。指で数え切れないくらいのそのなかに、アッシュ=デュランという大きなそれがあったのだ。
ウィノナとアッシュが幼なじみだという話は、先日使者としてやってきたファーガスの騎士が言っていた。また、今回の国交はクロードのほうからフェルディアを訪れる手はずとなっているが、現在諸用でドゥドゥーが出払っているために、フェルディアで一番に顔を合わせるのがウィノナになるであろう忠告も、それはそれは気遣わしげな口ぶりで。
――気をつけてくださいね。彼女、アッシュ様を大切に想っていらしたみたいですから。
そう耳打ちしてくれた騎士は、怒りと悲嘆を綯い交ぜにした瞳でクロードのことを見ていた。
(まあ、それで短絡的な復讐に走るほど愚かな女だとは思わないが……ちっとばかし、手懐けるのに時間がかかるかもな)
――手懐ける。自然とそんな言葉が出てきてしまった自分に、ほんの少しだけ驚いた。
彼女とは――ウィノナとは、学生時代もとりわけ親しかったわけではないのに。むしろ当時はほんの数回言葉を交わしたくらいで、目立った交流なんてほとんどなかったはずだ。
それなのに、なぜだか興味をそそられる。その凍りついた胸のうちを、あられもないほど赤裸々に暴いてやりたくなるのだ。
それはまるで、本能的な何かが。第六感ともいうべきそれが、静かなさざなみのように、クロードに語りかけてきていた。
「なあ、ウィノナ。おまえ、このあと時間はあるか?」
気づけばクロードは、考えるよりも先に彼女の予定を聞き出していた。本用が終わったわけでもないのに、もうすでに後のことを考えてしまっている。
「あら、国王様ともあろう方が随分と軽い口を叩くのね? 大事な国民が泣いてしまうわよ」
「べつに口説いてるわけじゃないさ。せっかくの機会だし、おまえと話してみたくてね。俺とおまえが親しくなれば、そちらの国王様――ディミトリだってやりやすくなるだろ。これからのファーガスとレスターの和平のためにも、断る理由はないと思うが」
国のこと――ひいてはその向こう側に鎮座するディミトリのことを引き出せば、ウィノナは渋々といった調子でうなずく。半ば脅すようなやり方になってしまったが、やはり国王を……否、敬愛する弟の名を出されると弱いようだ。
「私と話がしたいなら、このあとの会合できちんと成果を出すことね」
どこまでも冷たく、まるで手負いの猫――この場合は獅子だろうか――のような物言いに、今度こそクロードは頭のなかでお手上げをするほかなかった。
◇◇◇
「――と、いうのが俺たちの“始まり”だったわけたが……どう思う?」
しみじみと、つぶやくようにクロードは言う。対面の相手に向けた瞳は愛おしさに満ちているが、反面どこか揶揄うような物言いをしているようでもあった。
「うるさいわね……いつまで引っ張るつもりよ」
「それはそうだろ。だって、その日は俺たちにとって特別で……ひどく、独特な契機なんだからな」
「にしては、話の振り方がずいぶん悪趣味だけれどね」
呆れたようにため息をつくのはウィノナだ。かつてはファーガスにてディミトリに仕える身であったが、今はレスターに身を寄せてクロードの隣にいる。
色んな縁と、数奇な運命の果てに。何をどうしたのか、気づけば自分たちは優しく寄り添うような関係へと発展していた。
「仕方ないでしょう? だって、あなたはアッシュの仇なんだもの。私がその事実を忘れることは一生ないわ」
カミツレの花茶を味わいながら、ウィノナは静かに言葉を吐く。それはクロードにとって、じんわりと背中に汗を伝わせるものであったが――連邦国の王という立場にある以上、否定をしてやることもできない。
クロードは“国”を背負っている。ゆえに、彼女の胸に残るしこりの責任はすべてその肩にかかっていた。
クロードは静かに花茶を飲み下し、沈黙でもって続きを促す。
「あなたもご存知だったようだけれど、あの子は私にとって、とても大切な存在だったの。……そうね、あなたの言葉を借りるなら“幼なじみ”、かしら?」
「幼い頃からの友人を殺されて、黙ってなんかいられないってか? それはまあ、立派なもんだが――」
「ふふ……どうかしらね。実際は“幼なじみ”なんて軽いものじゃない、私の人生を左右するほどの人であったかもしれないわ」
「――――」
「……まあ、とにかくそれくらいの存在だったのよ。私にとってのアッシュ=デュランは、陳腐な言葉なんかでは言い表せないくらいの人だった――」
喉の渇きを潤したいのか、それとも、話しすぎたことを恥じているのか――ウィノナはさっきよりもゆっくりと茶器に口をつけ、ぬるいそれを体内に落とし込む。
瞳を閉じて浸るのは味だけでなく、花茶を構成するすべて。香りも、舌触りも、何もかもを味わうような所作は、彼女が庶民の生まれだなんて感じさせないくらい流麗だった。
そうしてじっと見つめていると、藍玉の瞳がひどくおもむろに開かれる。ディミトリそっくりの鋭さを持った視線は、今だってまるで射抜くようにクロードのことを見つめていた。
クロードの背中を伝う汗は、また一筋新たな軌跡を描く。
「でも――それ以上に、引っかかっていることがあったのも確か」
ウィノナは言う。あの会合のおり、視線を交わした瞬間、クロードとの間に言いようのない縁を感じてしまったのだと。
アッシュの命を踏みにじった恨みとつらみを飲み込むような、無視のできない衝撃が襲った。目と目があわさった途端に稲妻が全身を撃ち抜いて、今にも立てなくなりそうなくらいに、“それ”はウィノナの世界を変えたのだと。視界がうっすら眩んで、すべてが上と下を取り替えてしまったように狂って見えて――今にも叫び出してしまいそうなほど、あの瞬間に、ウィノナは“何か”を感じていたらしい。
あの仏頂面の裏でそんな葛藤を繰り広げていたとは――ウィノナの強固な理性に膝を打ち、クロードは感嘆の声をあげた。
「私は、あなたのすべてを肯定したり、許したりするつもりはないけれど……それでも、あなたを愛してしまったことだって、紛れもない事実よ」
――だから、そろそろその意地悪な言い方はよしてちょうだい。
そう続けるウィノナの表情が、かつてファーガスで再会したときより何倍も安らかで、穏やかに微笑っているように見えたものだから――クロードのなかに生まれていたひどく意地悪でみみっちい衝動は、とうとう小さな氷のように、溶けてなくなってしまったのだった。
2023/02/18