揺れる藍玉、溺れる翡翠

子供がいる、ネタバレある、捏造もある

「……さすがに、この時間ともなると宴も落ちついてくるわね」

 露台の向こうで煌めく王都を眺めながら、ウィノナはいくらか柔らかい声色でそう言った。傍らの揺りかごをまどろむように揺らしつつ、空いた手のひらは膨らみを主張しはじめた下腹部をゆったりと撫でている。その穏やかな表情は紛うことなき母親のものであり、先立っての公務中に能面を被っていた人間と同一には思えない。
 最愛の妻の横顔は愛おしくもあり、どことなく哀愁を誘うようにも見えた。月明かりの淋しさがそうさせるのかもしれないが。

「しかし、国民が皆宴好きで助かるぜ。俺も好きに騒げるからな」

 本日は七月二十四日――当代のパルミラ国王がこの世に生を受けた吉日である。先代まではそれほどでもなかったが、国王が代替わりしてからというもの、パルミラでは国王の就任日を皮切りに、節目節目で盛大な宴が行われるようになっていた。
 宴が開催されるようになったのは、他でもないカリード王が無類の宴好きだからであるが……一部の国民は、その“裏”にある策略の有無を探っているらしい。

「あら、三年目にもなってまだ国王様の自覚がないのかしら? あなたがそんなことでは、国の未来が危ぶまれるわよ」
「今日くらいは別にいいだろ。もちろん細心の注意を払っての行動なんだから」
「ふふ、そうね。私としたことが、なかなかの愚問だったみたい」

 ぐ、とちいさく伸びをしてから、クロードは夜風を浴びるウィノナの隣へ並び立つ。少し視線を下げれば揺りかごですやすやと穏やかな寝息を立てている長子が目に入り、クロードよりもほんの少しだけ淡い色をした頬はふっくらとしていて、健やかに成長していることが視覚からしっかりと伝わってくる。
 安らかな眠りを邪魔しないよう、少しずつ生えそろってきた髪を優しく撫でてやる。ふんわりした手触りはやはりパルミラ人より柔和なものであり、この子がフォドラの生まれであるウィノナとの間に生まれた子供である実感を強く湧かせた。
 許されるならこのまま抱き上げてやりたいが――せっかく眠っているのだ、このまま静かにしておいてやろう。

「悪かったな、身重の状態で前に出させて。可能であれば、お前たちの体が安定するまであまり衆目に晒したくはなかったんだが」
「問題ないわ。これも王妃の務めですもの。あなたのためなら公務くらい容易いことだし、そもそもそれほどヤワではないつもりよ」

 それに――と続けながら、ウィノナはそっとクロードに体を預けてくる。白い指先はクロードの手のひらをまるい下腹部へと誘って、あらたな生命の息吹を触覚にじんわりと味わわせてくるようだった。
 この胎の内には、すくすくと育っているであろう愛の結晶が眠っている。愛おしい妻との間に授かった命たち――その存在は少しずつ、クロードの思考回路を着実に組み替えていった。

「あなたの妻として――いいえ、あなたを愛する一人の女として。今日という特別な日には、誰よりもあなたの近くで胸を張っていたいでしょ。たまにはそれくらい許してほしいわ」

 揺れる藍玉が目に入った途端、やわい唇が重なりを求めてくる。ちゅ、ちゅう、と戯れるようなそれを数回繰り返してから、最後に下唇へと思い切り吸いついて、ウィノナはすんなりと離れていった。
 いたずらっぽく笑いながらそんなふうにされては、今すぐにでもその身を抱きすくめてやりたくなるが――一人の体ではない以上、そのような無体は許されない。奥歯をちいさく噛みしめながら、クロードは眼前で微笑む妻の艶っぽい目尻をぼんやりと見つめていた。

 
お誕生日おめでとう
2023/07/24