あなたと二人で生きること

 ――涙が落ちる音を聞いたことはあるか。
 その問いかけは、生憎とクロードにはあまりピンと来ないものだった。あんな小さなひとしずくが落ちたところで音が生じるわけはない。落涙で音が鳴るとすれば、それこそ飛竜のような巨大生物でもないと有り得ないだろう。
 そう思っていた。……そう、思っていたはずだった。
 士官学校に入学してからの目まぐるしい日々のおかげで、クロードの価値観には数多の刺激が与えられ、考え方も少しずつ変わっていった。あのかけがえのない一年をきっかけとしてクロードは様々な世界を知ることになり、そして、唯一無二の伴侶を得た。今日の涙は、いつもより寂しげな音を立ててこぼれ落ちる。

「……ごめんなさいね。恥ずかしいわ、急に涙が止まらなくなるだなんて」

 クロードの腕の中、ウィノナは小さく震えている。別に天幕の内部が冷えているわけではなく、きっと理由は内面的なものだ。まるで幼子のように頼りない肩をさすりながら言葉を手繰るが、適切なそれが出てくる気配はいっさいない。
 普段あれほど口がまわるというのに、おのれという人間は肝心なときに限って何も言えないのである。くちびるを噛みながら妻を慰める時間は、なんだかひどく無力に感じられた。
「……何かあったのか?」かろうじて絞り出せたひと言は、あまりにもありきたりな定型文でしかない。

「いいえ、特に何も。……ただ、昔のことを思い出してしまって」
「ファーガスにいた頃のことか」
「そうね。ああでも、誤解しないでちょうだい。悲しくて泣いているわけではないから」

 言いながら、ウィノナは少しやつれた頬をクロードの胸に擦りつけてくる。どことなく不器用なその振る舞いに、胸の奥が強く締めつけられた。
 ウィノナの様子がおかしくなったのは夕食後のことだった。首長との交渉を無事に終わらせたクロードは一目散に天幕へと帰り、ウィノナのことを抱きしめた。そうして彼女の作ってくれた夕餉に舌鼓を打ち、共に食後の片づけをしていたのだ。
 クロードの右方から聞こえてきたのは、ウィノナが皿を取り落とす音。そして、彼女の藍玉の瞳からほろほろと涙がこぼれ落ちる、か弱い雨音だった。

「あなたと一緒に過ごせている、今を噛みしめてしまったの。こんなふうに肩を並べて、お皿を片づけて……それがね、なんだか夢のように思えてならなかった。今の私はとても幸せで恵まれているのだと思ったら、つい」

 鼻を啜る音こそ聞こえるが、声色に悲嘆は見られない。つまるところこれは彼女の本心で、感極まって涙が抑えきれなくなった、ただそれだけのことなのだろう。
 最愛の妻の涙が枯れていないことに安堵しながら、クロードはウィノナの言葉に同意を返す。「……俺もだ。俺だって、お前と共にここまで来られたことを、何よりの幸甚だと思ってる」一度だけ身体を離し、潤んだ藍玉をまっすぐ見つめながらそう伝えてやれば、やがてウィノナは宝石のように美しい笑顔を見せてくれる。
 一度は粉々に砕けてしまったそれが、再び輝きを取り戻したこと。その事実を再確認しながら、クロードは再びウィノナのことを力強く抱きしめる。目の前の彼女が幻でも何でもないことを、誰よりも強く確かめるように。

 

×××へのお題は『幸せすぎて泣きたくなるの』です。
https://shindanmaker.com/392860
まいにちSS、完

2025/12/02

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