希う

『珍しいモンスターを保護したから、デズにも見に来て欲しイ』

 そんな誘い文句につられて、オレはガジの家へと出向いていた。
 彼はこのドワーフの集落の中でも特に親しい友人で、普段からどこか飄々としている掴みどころのないやつだ。家だってわりと近いほうだし、いわゆる幼なじみに数えてもいいほど長い付き合いでもある。気心の知れた仲なのだ。
 そういえば、彼はこの前の嵐の夜にふらりとどこかへ出掛けていた。血相を変えて帰ってきたかと思えば、ついさっきまで少しも顔を合わせることなく今日である。なるほど、その間ずっとそのモンスターの看病にあたっていたのかもしれない。いつも鉄や宝石とばかり向き合っているオレと違って、あいつはお人好しであるから。困っている誰彼を見ると、放っておけないのだそう。
 オレとは大違いなそこに、いつだってオレは憧れていた――そんなとりとめのないことを考えていると、ガジの家がもうすぐそこまで迫っていた。いつものようにノックをして、返事を聞く前に上がり込む。いつものことだ。
 ほどなくして奥から現れたガジの顔は、よく見ると少しやつれたようにも見える。煤を被ったかまどを見るに、鍛冶にも手を出していないらしい。
 ……それは、あまりに珍しすぎることではないだろうか。あのガジが数日間かまどに向き合わず過ごしているだなんて、きっと弟が聞いたら目を見開いてしまうことだろう。
 もしやモンスターというのはガジのジョークで、珍しいのは本人のこの状態のことなのでは? ――これだ! という考えに至ったオレには目もくれず、ガジは家の裏にある倉庫へとオレを連れ誘う。ぎぃ、という重苦しい音とともに、木の扉が開いた。よく見ると傷だらけである。

「あれハ……」
「あア。フワリダ」
「なんだ、大して珍しくもないじゃないカ」

 ついつまらなそうな声をもらすと、ガジはこちらを見ながらゆるりと微笑む。唯一の窓にかかるカーテンを開くと、その全貌が明らかになった。

「! 黒い、のカ……」

 通常、フワリは芥子色をしている。大きな黒い瞳と、愛らしい仕草が特徴だ。
 ところがどうだろう、この目の前にいるフワリは、あろうことか紫がかった黒い毛皮に、鈍い光を灯した青い瞳をしている。身体中ボロボロで、ふうふうといきりたってもいた。

「向かいのおじさんに診てもらったけど、外見じゃわからないところまでボロボロになってるらしイ。普通じゃ考えられないくらいニ」
「どうしテ……」
「わからなイ。オレは、岩の隙間で震えてるこの子を拾ってきただけだかラ」

 苦労したヨと、ガジは言う。
 医者に診せるにも、暴れて暴れて仕方なかったのだと。食べ物で眠らせようにも口をつけようとしないし、結局暴れ疲れて眠ってくれた粘り勝ちだったとか。元々個体としての強さもなく、その辺では助かったと笑っている。

「でも、どうしてお前はこの子の世話ヲ? 誰か……それこそおじさんに預けておいてもよかったんじゃないカ?」

 オレのめんどくさい問いかけにも、ガジはただ微笑むだけだった。そのまま目を閉じ、自分の中の答えを探しているらしい。

「呼ばれた気がしたから……かナ」
「……呼ばれタ?」
「あア。この子がね、オレのことを呼んでる気がしテ。なにを言ってたかとかはわからないけど……でも、確かにオレはこの子に呼ばれタ」

 ガジが触れようとしても、このフワリは頑なにそれを拒む。今なんか噛まれそうになったくらいだ。フワリは基本的に温厚で、こちらがなにもしなければ自分から掴みかかることなどほとんどないというのに。
 拒絶しかされていないながらも、ガジはフワリに向かい合う。フワリが自分を呼んでいるという。わからない。オレには、フワリの声など聞こえない。

「だけど、このままじゃこの子は弱るばっかりダ。今だって、ホーネットからはちみつをもらってなんとか耐えてる状態だからナ」
「……じゃあ、どうしてオレヲ?」
「ン? うーん……どうしてだろうナ?」

 誰かにこの話を聞いてもらいたかったのかもしれなイ。
 そう続けて、ガジは再び黒いフワリへと近づいた。曰くあのフワリは♀であるらしく、まだそこまで成長しきっているわけでもないらしい。例えるなら、まだ未発達な少女のようであると。
 まだ子供だというのに、そんな過酷な生き方をしてきたというのか。人間たちの欲深さに傷つけられ、身も心もボロボロだというのか。
 たった1匹で嵐に震えていたのかと思うと、涙もろさも手伝って視界が滲んでしまいそうだ。

「でも……このままじゃ、ダメなんダ」
「……ガジ?」
「このままじゃ、きっとこのフワリは死んでしまウ。それは避けなくちゃいけなイ。言っただろウ? 呼ばれている気がしたっテ。今もダ。今もこの子は、オレのことを呼んでいル」

 ゆっくりと、ガジの手がフワリに伸ばされる。ぶるぶると震えるフワリは、まるで我を忘れているかのように、フワリらしからぬ雄叫びをあげた。
 気が立っていた、そんな一言で表せるような状況ではない。鈍く青い光は瞬く間に鋭いものとなり、ある種の気迫すら感じさせる。見た目がフワリでなければ――いや、フワリであるからこそ恐ろしい。自然界に反したようなアンバランスさが、背筋をぞくりと粟立たせる。
 きっとそれは、ガジも同じだったのだろう。いつも飄々としていて、恐れを知らぬとまで言われた彼が、一瞬びくりと怯んだのだから。
 そしてその一瞬の隙が、取り返しのつかない悲劇となって襲いかかる。

「ガジ!!! ――――――……」

 
  ◇◇◇
 

「大丈夫だよ、片目だけだシ。左はちゃんと健在ダ」
「だけド……」
「辛気くさいのはやめてくレ。オレまで滅入ってしまうだロ」

 ガジの右目は、光をなくした。
 ……あのとき。弾かれたようにして飛びついてきたフワリは、普通じゃ考えられないくらいに歪な爪をもって、ガジの右目を切り裂いた。痛みに喘ぐガジを横目に通りすぎたあのフワリの顔を、オレは決して忘れないだろう。
 恐ろしい。気味が悪い。おぞましい。そのどれもが適切であり、そぐわなくもある。例えるなら、そう、ノーラッドに住まう竜の――

「しばらくは安静だそうダ。鍛冶ができないのはつらいけど、まあ仕方ないナ」

 もしオレが、代わりにフワリに手を差しのべていたら。
 もしオレが、怯えずにガジをかばえていたら。
 もしオレが、ガジを止めることができていたなら。
 ……そうしたらガジは今も、

「オレが悪い部分もあったんダ。無理に力むのはよくないナ」
「…………」
「まあいいさ、片目が見えなくなったからって一生鍛冶ができなくなるわけじゃないしネ」

 からりと笑うガジを見て、余計に胸が痛む。
 ……それからのガジは、なんだか変わった。
 元より本音を隠す傾向にあったけれど、それに拍車がかかったように思う。のらりくらりと周りをかわして、自身の核心についてはなにも言わない。
 お人好しさもまた濃くなった。最近では素性のわからない女の子を引き取って、シアレンスに構えた店のバイトとして住まわせているらしい。
 そして、誰彼に優しく生きているくせに、どこか関わりをおじているようにも見える。鍛冶に打ち込むことで、必要以上に周りと関わることを避けているような。好きな人がいると言っていたけれど、その様もどこか痛々しくてぎこちない。
 もっとも、変わったのはガジだけじゃない。オレもそうだ。一番わかりやすいのは、やはり視界を隠すこの前髪だろうか。
 こうすれば、ガジの見ている世界を感じられるかもしれないと思った。ガジの気持ちがわかるかもしれないと思った。ガジの苦しみを、分かち合えるかもしれないと思った。
 我ながら不純な動機だ。そして今も、それはなにひとつ叶っていない。
 ……もし。もし、ガジを変えられる人がいるとしたら。ガジの張った見えない壁を、切り崩せるような誰かがいるとしたなら。オレにできなかったことをどれかひとつでも、できるならすべて、叶えられる誰かが現れたとしたなら。
 ガジの隣にいる「誰か」が、そういう誰かであるように、オレは願う。唯一無二の親友に、明るい世界を取り戻してあげて欲しいと。
 願わくば、その誰かがまぶしい笑顔の持ち主であるように。日の光を抱いて咲く、花のような誰かであるように。
 ……そう、希う。