去っていく僕、隣にいる君

「終わったのか?」

 テントの影から、天馬がおずおずとすがたを現す。
 一部始終を見守ってくれていたのだろう、無粋な質問を投げつけることはせず、けれどもどこか様子を窺うような目を向けてくる。私はカイトさんが去っていったほうに視線を戻し、小さく息を吐いたあと……罪滅ぼしも兼ねて、事のあらましを説明するため口を開く。

「私の話……聞いてくれる?」

 泣きやんだばかりで聞き苦しい私の声にも、天馬はいっさい不快そうな素振りを見せない。ゆっくりとうなずいて、静かに耳を傾けてくれた。

「いきなり重い話してごめんなんだけど……私さ、本当はお兄ちゃんがいたんだよね」

 それは、いきなりぶちまけるにはあまりにも大きすぎること。それでも天馬は私の隣に立ち、小さな相づちだけ打って、続きを促してくれる。

「私、お兄ちゃんのことが大好きだったんだけど……小学生のとき、両親が離婚しちゃってさ。お兄ちゃんは病気がちなお母さんを助けるために、そっちに行っちゃったの」

 もう十年近く前の話だ。両親の離婚も、兄がいなくなることも、母親に置いていかれることも、私にとってはすべてが哀しくて、死にたいくらいにつらいことで。幼い私はすぐに耐えきれなくなって、逃げるようにカイトさんにのめり込んでいった。いつだって優しく微笑みながら歌を聞かせてくれるカイトさんは、当時の私にとって救い以外の何者でもなかったのだ。

「私ね、カイトさんにお兄ちゃんを重ねてたんだと思う。どこが似てるんだって言われても答えられないけど……うん、きっと、そうなんだ」

 結局私の「初恋」はそんなに綺麗なものじゃなくて、ただ淋しさをごまかすためだけの投影でしかなかったのかもしれない。
 ――バカみたいだ。私はずっと夢と現実の区別もつかない子供でしかなくて、デモデモダッテを繰り返しながら、なあなあでここまでやってきてしまったのだ。
 気が狂ったような恋心のせいで傷つけた人、迷惑をかけた人は無数にいる。……隣でずっと気遣わしげな目を向けてくれている、天馬だってその一人。
 私がだいたいをぶちまけても、天馬は依然としてしゃべらない。やがて眉間にシワを寄せながら、私のほうを向き直る。

「……まだ、すっきりしてはいないのか?」
「え――」
「みくびってもらっては困るな、オレは未来のスターになる男だぞ? 仲間の……いや、お前の考えていることくらい、手にとるようにわかるさ」

 いつもと変わらない様子のまま、天馬はとん、と自分の胸を叩いて私を見る。自信満々な表情は痛いくらいの優しさを感じさせるもので、ようやっとクリアになった視界が、再び滲んでしまいそうだ。

「なあ、輝夜。オレとお前は一蓮托生、今年一年を共にするパートナーだろう? お前はいつも相方としてオレを助けてくれているのだし、今くらいは甘えてもいいんだぞ」
「な……なんで、」
「なんで、か。……はて、なんでだろうな。理由こそ、うまく言葉にできないが――」

 天馬はいつものように考え込む素振りを見せたあと、すぐに視線を上げて私のほうを見る。
 目があった途端、天馬はゆっくりと微笑んで――そして、私の体を強く抱き寄せたのだった。

「すまないが、オレにはお前の痛みはわからん。お前のように痛いくらいの恋をしたことも、あんなふうに終わりを迎えたこともないからな」

 天馬は、ひどく優しく私の後頭部を撫でる。その手つきは夢に見たカイトさんのようでもあり、在りし日のお兄ちゃんのようでもあり――

「ただ、目の前で苦しんでいるお前に何もしないでいられるほど、腐った人間のつもりはない。今にも泣きそうなやつを前に何もしないなんて、未来のスターが聞いて呆れるというものだ」

 天馬司という男の懐の深さと慈愛を、このうえなく伝えるようでもあった。

「お前自身は気づいてないかもしれないがな、お前が笑うとその場がぱっと明るくなるんだ。和むというか、落ち着くというか……もちろん、だからといって無理に笑う必要はないからな。お前はお前のタイミングで笑えばいいのだ、そのためならオレは何だってしてやると約束しよう」

 天馬の言葉は、まるで水のように私の心に染み込んでゆく。渇ききっていた心の奥が少しずつ浄化されていくような、麻痺した傷が開くような。あたたかだけれど、どこか苦しい。

「だから……そんなに淋しそうな顔をしないでくれ。オレが、そばにいるのだから」

 それはゆっくりと溶けるようにして、私の奥の奥にある、柔らかなところに触れる。
 私が嗚咽を漏らすまで、そう時間はかからなかった。

 
  ◇◇◇
 

 結局私が泣きやんでも、天馬がその腕の力を緩めることはなかった。
 彼の優しい拘束から私が解放されたのは背中を三回ほどシバいたあたりで、そこまで抵抗してやっと私がもう「大丈夫」であることを理解したらしい。
 涙ですっかり汚れてしまったメガネを外して向き直ると、天馬はまるで、初めて私の顔を見たみたいにぼうっとしたり、考え込んだり。相変わらずの百面相になんとなくほっとして、私は照れ隠しの憎まれ口を叩く。

「なに、メガネがないとらしくないって思ってる?」
「ハッ!? ああいや、そういうわけではなく――ずいぶん雰囲気が変わるな、と」

 なんとなく、挙動不審になった天馬。いつもの堂々とした振る舞いはどこへやら、しどろもどろな様子はなんとなくおかしい。そういえば、前にもこんなふうに取り乱した天馬を見たような気がするな。
 こうやって慌てふためく彼を見るのは、意外と嫌いではなかったりする。

「……そうだね。なんかすっきりしたし、もうこれ、いらないかも」
「む……大丈夫なのか? 裸眼で生活するなど、色々と支障が出るのでは」
「ヘーキヘーキ。そもそも伊達だったしね」
「なにッ!? 確かにショーのとき、不便そうな素振りを見せていないと思っていたが……!」

 天馬は、またころころと表情を変える。見ていて飽きないとはまさしくこのことなのだろう、いつも予想外なことばかりする彼は、私の人生にとってあまりにもイレギュラーで、そして――

「ありがとうね、天馬。いっつも私のこと、助けてくれて」

 きっとこれから、一蓮托生のパートナーとしてかけがえのない存在になるのだろう。
 あまりにも現金な考えではあるが、彼の顔を見ていると、そんな予感ばかりが溢れてたまらなかった。

第一章、完

2022/03/02
2022/09/01 加筆修正