最初で最後のさよならを

 カイトさんが息を呑む。いつも優しく細められている目を見開いて、私のことをじっと見ている。
 まさか、あのカイトさんからこんなふうに見つめられる日がくるなんて。理由こそとても心苦しいものだけれど、彼の意識が私に注がれているという事実にほんの少しの優越感をおぼえてしまう私は、本当にダメな女だ。

「輝夜ちゃん、それは――」
「私! ……カイトさんのことが、ずっとずっと、好きだったんです」

 カイトさんが何かを言う前に、私は私の声で彼のすべてを遮った。……怖かったからだ。
 私の気迫に覚悟を決めたらしいカイトさんは、それきり口を閉ざし、私の言葉を待ってくれているように見えた。その事実すら申し訳なくて、けれどひどく嬉しくて、私の心はもうめちゃくちゃだ。

「小学生くらいのときに、私、すごく悲しいことがあって。毎日つらくて仕方なくて、すっかり鬱ぎ込んじゃったんですけど……でも、カイトさんに出会って救われて――」

 私は今、生まれて初めて好きになった人へ、人生で初めての告白をしている。
 それはひどく不格好で、情けなくて。同年代の子が見れば蔑みそうなくらいにみっともないものだろうけれど――それでも、私にとっては精いっぱいの、心からの言葉だ。

「リアルとバーチャルの区別もついてなかった私は、文字どおり住むセカイの――次元の違うあなたに恋をして、のめり込んで……でも、それからは毎日がキラキラしてたんです。悲しいことは悲しいままだったけど、それでもなんとか立ち直って、今までみたいに過ごせるようになりました」
「輝夜ちゃん……」
「でも、それがただの現実逃避なんだってことも薄々は気づいていて。次第にカイトさんを想うこと自体を苦しく思うようになりました。悲しいことから逃げたくてカイトさんにのめり込んだのに、今度はそのせいで、つらくて。中学時代なんて、ちょっと荒れてたくらい」
「――」
「私は、狡くて最低の女です。このセカイでカイトさんに出会えたことを嬉しく思う反面、チャンスと捉えてしまった。自分ではもうどうにもできないカイトさんへの気持ちを、カイトさんの言葉で絶ち切ってもらえたら、なんて。……そんなの、カイトさんを困らせるだけだって、わかってるのに――」

 言い終わる前に、私はとうとう涙をこらえきれずに言葉を切ってしまった。泣かないって決めたのに、誓いとは裏腹に涙が溢れてくる。
 一度堰を切ったそれは留まることを知らず、一瞬で私の視界は滲み、何もかもをあやふやにして、ぐちゃぐちゃなように映した。嵐のごとく激しい感情と、凪のように客観視する静かな自分が混在していて、もう本当に、どうしていいかわからない。

「……、な、さい。ごめんなさぃ、ごめ、なさい……っ!」

 私は今、ひどく自分勝手な「救われたい」という想いだけで、たくさんの人を振りまわしている。ここに連れてきてくれた天馬も、いま目の前にいるカイトさんも、空気を読んで席を外してくれたミクたちも、いつの間にかいなくなっていたぬいぐるみたちも。みんなみんな、私のことを思って行動してくれているのに、私はそのすべてを踏みにじるような真似ばかりして。
 けれど、私は私の「恋心」という怪物に今にも喰い殺されてしまいそうで、ひどくこわくて、しかたなかった。この怪物をやっつけてくれる「ヒーロー」を、私だけの「王子様」を、無意識に誰かに求めてしまっている。
 もう、訳がわからない。頭のなかがぐちゃぐちゃで、自分が何をしたかったのかも、何のためにここに来たのかもわからなくなってしまった。
 私はただただ泣きじゃくり、みっともない泣き声をあげて、もう、何も言えないままだった。

 そうして、どれだけの時が経ったか――
 先に動き出したのは、やはりカイトさんのほう。そ気配を察した途端大袈裟にビクついた私を見て、彼は何を思ったのだろう。

「……そう、だな。僕はまず、輝夜ちゃんに『ありがとう』を伝えなくちゃいけないね」
「え……?」

 思いもよらないカイトさんの言葉に、私はすっかりぐちゃぐちゃな顔のことも忘れて、カイトさんのほうを見る。
 滲む視界の中心には、私がずっと憧れていたままの、少しだけ困ったように笑うカイトさんのすがたがあった。

「僕たちバーチャル・シンガーは、みんなの好意のうえに成り立っているものだからね。輝夜ちゃんのその想いだってきっと、しっかりと今の僕に繋がってるんだよ」
「で、でも。私の『好き』は、そんな綺麗なものじゃなくて――」
「そんなふうには言わないでほしいな。だって、少なくともその『好き』をもらっている僕が、とてもまっすぐで、直向きなものだと思ったんだよ。……ありがとう、輝夜ちゃん。何年も何年も、僕のことを好きでいてくれて」
「あ――」
「確かに輝夜ちゃんの言うとおり、僕たちが同じセカイで生きていくことはできない。だから、僕が君の想いに応えてあげることはできないけれど――ただ、無理に忘れようとする必要もないんじゃないかな、と僕は思うよ」

 これまた予想外なカイトさんの言葉に、私は思わず素っ頓狂な声をあげそうになる。
 声こそ抑えたものの、きっと表情は間抜けでどうしようもないものだったのだろう。カイトさんはどこかおかしそうに、けれどもふざけるような素振りは見せず、ゆっくりと言葉を紡いでくれた。

「僕が言うのもおかしいけれど、恋の痛みは時間が忘れさせてくれるものなんだろう? あとは……そうだな、たとえば新しい恋、とかさ」
「あ……え、ええと、つまり……?」
「忘れるために無理なことをするよりは、ゆっくりそのときを待ってみるのもありかもしれないよってことさ。……案外、そういうのはものすごく身近なところに落ちているものだからね」

 最後にひとつだけ「ごめんね」という言葉を付け足して、カイトさんはひどく気遣わしげに、私の頭に手のひらを置いた。

 
2022/03/02
2022/09/01 加筆修正