精神の美

「咲希、お誕生日おめでとう。これ、私からのプレゼントなんだけど……受け取ってもらえると嬉しいな」

 本日五月九日が咲希の誕生日であることは、他でもない司から耳にタコができるほど聞いた。学校でも、放課後でも、何ならフェニックスワンダーランドにいるときだって、彼の口はとどまることなく、ずっと咲希の話をする。
 その傾向はここしばらくでひときわ強くなっていて、今日という日が近づくにつれ、どんどん饒舌になっていった。話すことといえば、やれ咲希がどれほど懸命な子であるかだの、やれいつの年にどんなプレゼントを贈ったか、だの。
 ただ、そのひどく騒がしい言葉の隙間に、優しい兄の顔をしながら「家で誕生日を迎えられるのはいつぶりだろうな」と言っていたのが、強く印象に残っている。
 きっと、今日は特別な日なのだ。輝夜や世間一般の人間が思うよりも、天馬家にとって「咲希の誕生日」は、強い意味を孕んでいる。
 だから、まるで誘われるような足取りでここに――天馬家へとやってきた。立派な邸宅の立派な玄関口にて、咲希と司をまじえた三人で立ち話をしている。プレゼントを渡したら、すぐに帰るつもりだったので。
 咲希は他でもない司の最愛の妹で、輝夜自身も個人的に仲良くしてもらっている子だ。彼女の眩しい笑顔にはいつも元気をもらっているし、落ち込んでいるときに彼女に会うと、くよくよ思い悩んでなんかいられないな、という気持ちにさせられる。
 咲希がひたすらにいい子で、まっすぐで、懸命に生きていることくらい、ほんの少しすれ違っただけの輝夜ですら深く理解しているのだから。それよりも近しいところにいる家族や幼なじみたちなんかは、きっと、輝夜以上に咲希からたくさんのものをもらっているのだろう。
 そんなことを考えてしまう程度には、咲希はただ純粋にまっすぐ生きるのその姿だけで、人の心を揺さぶるような、どこか不思議な力があった。

「えっ、え~!? うそ、たまちゃん、アタシの誕生日お祝いしにきてくれたの!?」
「そうだよ。今日が咲希の誕生日だっていうのは、司から聞いて知ってたから」
「そうなんだ……! えへへっ、お兄ちゃんもたまちゃんも、ありがと! アタシ、すっごく幸せ!」

 咲希は、ひたすら朗らかに笑う。全身で喜びを表現する姿は天真爛漫そのもので、聞きかじったつらい過去など、露ほども感じさせなかった。

「……開けてみて。喜んでもらえるかは、わからないけど」

 プレゼントの中身が気になっているのだろう、咲希は輝夜と包みを交互に見ながらそわそわしているようだった。輝夜が開封をうながすと、咲希は待ってました! と言わんばかりにラッピングを開いていく。彼女や彼女の笑顔を意識した黄色い包装紙とリボンが、驚くほど丁寧に解かれていった。
 中から出てきたのは、輝夜が普段使っているとっておきのヘアオイルだ。以前司に買わせたそれは、優しくてほんのり甘い香りがして、すぐに輝夜のお気に入りとなったのである。
 咲希とは髪質が似ているので、おそらく肌に合うのではないかな、と思ったのだけれど――

「わっ、すごーい! これ、有名ブランドのやつだよね? アタシもずーっと気になってたんだけど、ちょっと高くて手が出せなかったんだあ」

 案の定、咲希は目いっぱい喜んでくれた。期待通り――否、それ以上の反応にほっと胸をなでおろす。

「わかる。自分で買うにはなかなか勇気がいる値段だよね。でも、値段どおり――むしろ、それ以上の使い心地だから、きっと満足してもらえると思うな」
「本当に? やったあ! ありがと、たまちゃん!」

 満面の笑みを浮かべながら、咲希は思いっきり輝夜に抱きついてくる。弾みで少しよろけてしまったが、隣に立っていた司がさり気なく支えてくれたおかげで、転ぶようなことはなかった。
 司にしては珍しく静かにしているな、と思ったけれど、そういえば彼は咲希のことになると驚くほど思慮深くなるのだと、以前類が言っていた気がした。

「そうだ、咲希。どうせなら、お前の誕生日パーティーに輝夜にも出席してもらわないか?」

 ただ、静かにしていても司は司で、それ以外の何者でもない。彼は事もなげに参加の提案をしてきたわけで、輝夜は予想外の展開に、思わず彼をガン見してしまった。
 何かしらを訴えかける彼女の視線が、司に届いているのか否か――嗚呼、輝夜の期待虚しく、それがおそらく後者なのだろうことが、話の流れで伝わってきた。輝夜の意見など知らぬという風合いで、どんどん話が進んでいく。

「それ、いい! すっごくいいよ! ねえたまちゃん、よかったらたまちゃんも参加してほしいな。お菓子もジュースもたっくさん用意してあるから、足りなくなるなんてこともないと思うし」
「で、でも。私、邪魔になりそうで――」
「まさか! みんな、たまちゃんがきてくれたら喜ぶと思う。いっちゃんなんか、この前『玉村先輩に会いたいな……』なーんて言ってたくらいだし」

 だから、ねえ、お願い――! 両手をあわせ、上目遣いで懇願する咲希を前にそれを撥ねつけることなんて、多少の情がある人間ならば、決してできないだろうと思えた。

「じゃ……じゃあ。ちょっとだけ、おじゃまします――」
「ああ、遠慮なくくつろいでいってくれ! ……よかったな、咲希」
「うん!」

 焦げ茶のコインローファーを脱いで、天馬家へと足を踏み入れる。何回も訪れているはずなのにやけに緊張するのは、きっと、咲希の誕生日パーティーというシチュエーションのせいだろう。
 けれど、一度了承してしまったのならそろそろ腹をくくらなければ。輝夜は小さく深呼吸をして、決意を胸に、しっかりと顔を上げたのだった。
 

咲希お誕生日おめでとう!
2022/05/09