ハートアメざいく

「――ん、うん。わかった」

 どこかくすぐったそうに肩をすくめるその姿には、「あのダンデを打ち倒した稀代の新チャンピオン」という謳い文句で日夜騒がれた際の威厳や風格など、微塵も感じられなかった。
 もちろんそれは彼をくさした印象ではなく、まだまだあどけない年相応の少年の顔をしているという意味である。等身大でありのままの幼気なその振る舞いには、彼がガラルのトップを突き進む実力者であるとはいっさい思わせないある種のか弱さすらあった。
 彼は――マサル少年は、スマホロトムを熱心に耳に当て、幸せそうに電話を続けている。どこか甘くとろけた声色は彼が意中の人……もとい、恋人と話していることを察するにはあまりあるもので、彼をよく知る人間ならばその相手すらも瞬時に把握できてしまうだろう。
 甘ったるい、優しい声で、その名前を呼ばずとも。

「でも本当によかったよ、フシギダネの調子が良くなって。今朝ちょっとしんどそうだったから」

 とはいえ、どんなに甘い様子を見せようと、彼が話すことといえばやはりポケモンの話題が主となってしまうのだけれど――
 トレーナーデビューから瞬く間にチャンピオンまで上りつめただけあって、彼のポケモンに対する熱意や愛情は一際だ。寝ても覚めてもポケモンのことばかり……というほどではないけれど、おそらくはそれに限りなく近い感情をもって今日を生きていると思う。
 だからこそ、恋人である少女が連れているフシギダネのことを気にかけているのだろう。先日なんかもヨクバリスの習性について熱心に勉強していたはずだ。

「ん、わかった。それじゃあ――っと、ちょっと待って」

 ふ、と。もうすぐ通話が終わらんとしたタイミングで、何かに気がついたようにマサルが声をあげる。
 彼はぽり、と軽く頬を掻きながら口をもごもごと動かして、そして――

「好きだよ、リナリア。……うん、ふふ。じゃあ、また夜にね」

 まるでマホイップのアメざいくを溶かしたような、とっておきの愛の言葉を吐いたのである。
 かくもチャンピオンとして有名人になってしまった彼だ。きっと仄かに想いを寄せるような、はたまたいわゆる「ガチ恋」を名乗る者も少なくはないだろう。かつてのダンデも――否、未だに彼がファンに騒がれて困惑している場面は度々見かけてしまう。
 ガラル地方における「チャンピオン」とはきっととても大きく意味の強い肩書きで、時には英雄、時にはアイドル、時には崇拝対象のような特異な扱いを受けかねない。
 だのにマサルは、そんな人間たちが聞いたら卒倒するような言葉を事もなげに吐いてしまった。別に彼を軽率だ何だと貶す気は毛頭ないが、それでもシュートシティの往来の路肩、こんなにも人通りの多いところで口にしていいような言葉ではないだろう。当人よりはむしろ第三者のほうがヒヤヒヤとしてしまいそうなワンシーンが、今この場でなんの気なしに繰り広げられている。
 ――そして、まさにその決定的瞬間に出くわしてしまった「第三者」は、友人のささやかで軽率な言動により、思わず肝を冷やしてしまったのであった。

「おうい、マサル! 見てたぞ見てたぞ。おまえなかなかやるんだな!」

 だから、居ても立ってもいられずに思わず声を出していたのは、文字通り考えるより先に体が動いてしまった結果の行動であった。
 背後から肩を組むように飛びついてやると、マサルは目をぱちくりさせながら驚愕と困惑が複雑に絡んだ表情を浮かべる。

「ホップ……!? な、なんでここに――」
「いやー、オレは嬉しいぞ! おまえたちが仲良しだと、こっちまで笑顔になっちゃうからな!」
「は……ま、まさか聞いてたの……!?」
「声かけようと思って様子を窺ってたんだぞ。そうしたらリナリアと電話でいちゃつき始めたからびっくりした」

 ホップがありのままを伝えた途端、意外にもマサルは顔を覆ってうつむいてしまった。
 指の間から覗く頬はなかなかに赤くなっていて、こんなにも隙だらけな彼は滅多に見えないぞと思わず口角が上がる。何語かもわからないうなり声が傍らから聞こえてきた頃には、思わずけらけらと笑ってしまったほどだ。

「仲よきことは美しきかな、つまりすっごくいいことだぞ。これからもずーっとラブラブでいてくれよな」

 ――ただ、できるだけ周りに迷惑はかけない範囲でよろしく頼むぞ!
 ぐっと飲み込んだその一言は、腹の中で長らく熟成されることになるのだろう。
 一切こちらを向くこともないまま、とうとうその場にしゃがみ込んだマサルを見ながら、ホップは彼らのこれからを思い、人知れず頭を悩ませるのだった。

 
まだまだ新米チャンピオンのマサルくんと、チャンピオンの振る舞いについて理解度が高いホップくん
20210913