壊れたゆめの先で

「いやあ、にしてもいっぱい遊んだねえ」

 シュートシティの絶景を眺めながら、感嘆と休息のため息を吐く。わたしの向かいに座るマサルは静かにうなずいて、わたしの視線を追うかのように、広い敷地へと目を向けた。
 初めてのシュートランドはいくら歩いても見たことのないアトラクションばかりで、柄にもなくはしゃぎ倒してしまった気がする。ギャラドスの形をしたダイジェットコースターとか、ヒメグマと一緒にはちみつを探すアトラクションとか、ガラルギャロップのメリーゴーランドとか――どれもこれもがわたしの好奇心を刺激して、マサルのことを振りまわしてしまったのではないか、と心配になるほどだ。
 ……なんか、ちょっと恥ずかしいな。思い返されるのはおのれの子供っぽい振る舞いばかりで、わたしは羞恥から高まった体温を冷やすため、ハタハタと顔を仰いだ。
 
 しかし、ここは本当に気合いの入った遊園地だと思う。この数のアトラクションを一日でまわりきるなんてどう考えても無理な話だ。現にわたしたちは半日ほどあっちこっち歩きまわって遊んだけれど、この遊園地のすべてをまわりきれただなんてとてもじゃないが言えない。
 そうしていくつものアトラクションを渡り歩き、何も考えずに大迷路へ突撃してしまった結果、わたしたちの両足は限界を訴えはじめた。メタモンやミミッキュがたくさん潜んだ迷路をなんとかクリアした頃には、二人とも足が棒のようになってしまっていたのである。
 そろそろ休憩しない? そう言ってマサルが指差したのが、シュートランドの目玉である巨大観覧車で――今まさに、わたしたちはそのゴンドラのなかで腰を落ち着けている。
 幸か不幸か、わたしたちにまわってきたのはラブラブボールのゴンドラだった。カップル御用達と言わんばかりのそれに足がすくんだわたしを、マサルが優しく引っ張ってくれたのだれど……わたしたちが乗り込むその瞬間までずっと注がれていたスタッフさんの生暖かい視線を、わたしはしばらく忘れられそうにない。

「さすがのリナリアもちょっと疲れた?」
「そんな、まだまだイケるよ――と言いたいとこだけど、心地いい疲労感はあるかな。多分、人に酔っちゃったんだと思う」
「ターフタウンの出身だから?」
「あっ……もう! それは言わないでってば!」

 くすくすと笑うマサルに、あの日の面影がだぶついた。
 エンジンシティの路地裏で一人うつむいていたわたしを、マサルだけが見つけてくれた。それだけじゃない、この遊園地のゲート前で打ちひしがれていたわたしにも、マサルは声をかけてくれたんだ。
 あの日、わたしの運命は変わった。その手応えはあるけれど、しかし、理由だけがわからない。マサルにたいする疑問はずっと、わたしの胸の奥の奥で、やけどのようにくすぶり続けている。
 ……今なら、聞いても許されるだろうか。わたしが迷うような視線を送ると、マサルは優しく微笑みながらわたしの言葉を促してくれた。

「……あのね。聞いてもいい?」
「いいよ。なに?」
「えっとね……わたし、今でもたまに考えるんだ。あの日、どうしてマサルはわたしに優しくしてくれたんだろうって」

 わたしの言う「あの日」に思い当たる節があるのだろう。マサルは先立っての微笑みを一瞬で仕舞い込み、ひどく神妙な表情に着替えた。
 あのときマサルと出会ったからこそ、わたしはマリィにたいする誤解やわだかまりを消し去ることができた。今までの鬱屈とした気持ちを少しだけ払拭して、上を向くことができるようになったんだ。
 わたしの「人生の転機」を起こした「スイッチ」が、他でもないマサルである。しかし、だからこそわたしは考え、悩むのだ。その「スイッチ」が、どうして突然わたしの目の前に現れたのかと――
 わたしたちの間に、しばしの沈黙が横たわる。風の音のみが鳴り響く静寂を破ったのはマサルだ。

「……知りたいの?」
「え?」
「ぼくがリナリアに声をかけた理由。……後悔しない?」

 打って変わって、マサルの声はひどく重たいものになった。
 その声を聞いてしまえば、彼の心の裏側に隠された事情があることくらい、すぐに察せてしまうだろう。
 マサルの言葉にわたしはうなずく。躊躇いなんて含む余地もなく、ただひたすら、まっすぐに。

「わたし、全部知りたいよ。マサルの考えてること、もっと教えてほしいんだ」

 躊躇のないわたしに向けて、「ほんとうに?」とマサルが訊ねる。わたしがもう一度うなずくと、マサルはサングラスの向こうにある瞳を痛ましそうに伏せて、「わかった」とひと言つぶやいた。
 一拍、二拍、三拍――ありったけの深呼吸を挟んで、マサルは重たいくちびるを開く。

「――都合の良い人間がほしかったんだ」

 マサルのひと声は、雑音のすべてを覆い隠すように凛と響いた。決して声を荒らげたわけでも、怒鳴りつけられたわけでもない。けれど、その言葉を聞いた途端にわたしの聴覚はいっさいの音を遮断して、マサルの声しか拾わなくなってしまったようだった。

「ぼくのことを見てほしかった。『チャンピオン』でも、『英雄』でもない、ただの一人として、ぼくのことを」

 マサルの沈痛な面持ちが、わたしの胸をぐっさりと刺す。それは自分が傷つけられたからではなく、「彼」という存在が、ひどくちいさく、憐れなように見えてしまったからだ。
 気づけばわたしは誘われるようにマサルへと手を伸ばしていて、先日のバウタウンでの邂逅と同じように、彼の手を握りしめていた。揺れるゴンドラのなかで動きまわるのが危険なことはわかっているけれど、今はそんなことを気にしている余裕なんてなかった。

「そのためにきみに声をかけたんだ。ひとりぼっちで、さみしそうで、迷子みたいにうずくまっているきみなら、ぼくの求めている存在になってくれると思った」
「うん、」
「……利用したんだ。わかるだろ? 自信がなさげで、落ちこぼれで、簡単に手懐けられそうなきみを、ぼくしか見ない、ぼくにとって『都合のいい女』に作り変えようとしたんだよ。……結局、失敗しちゃったみたいだけどね」

 ――失敗? わたしが首を傾げると、マサルは自嘲をはらんだ笑みを漏らしながら続ける。

「きみにはぼくだけじゃない。ぼくにホップがいるのと同じように、マリィっていう大親友がいるんだもんね。……あーあ、本当にバカみたいだよ。利用したくて近づいたくせに、失敗したらしたでこれまた勝手に傷つくなんてさ」
「マサルっ……」
「きみの人生に、ぼくは必要なかったみたいだ。……ごめんね、リナリア。声をかけたのも、こうして遊びに誘ったのも、きみにとっては全部、迷惑だったかもしれないけど――」
「そんなことない!」

 わたしがこれほどおおきな声を出すなんて思ってもみなかったのだろう、マサルはおおきく目を見開く。声はびりびりとゴンドラのなかを反響し、おかげですぐさまわたしの頭をれいせいにさせてくれた。
 しかし、れいせいにはなれども発言を撤回するわけにはいかない。わたしはマサルの足元にひざまずき、ぐっと両の目を見つめた。レンズの向こうにあるのは少しぼんやりとした双眸で、その虚ろな雰囲気から彼の葛藤の程が見て取れる。

「迷惑なんて思ったことないよ。だってわたし、マサルと一緒にいるのすごく楽しいし」
「でも、そう思えるのはリナリアが変われたからだよ。ぼくだからじゃない、全部マリィのおかげで――」

 言いながら、マサルははっと口を押さえる。ごめん、という謝罪の声はやはり震えていて、わたしはマサルの顔を見上げながら続きを待った。これも、マサルがわたしにしてくれたことだ。

「……ごめん。本当は、こんなことを言いたかったわけじゃなくて……」
「うん、わかってるよ。マサルはそういう人じゃないもんね」

 それすらもわたしが肯定すると、マサルは息をつまらせるような素振りを見せる。戸惑うような彼の表情を視界の端に移しながら、わたしは彼の右手首に輝くダイマックスバンドを外した。
 なぜ自分がこんな行動に出たのか、どうしてマサルがそれを許したのか、理由はちっともわからない。ただなんとなく、こうすればマサルの心の奥を覗けるような気がしたのだ。
 軽くなった手首を見つめながら、マサルはかすれた声を漏らす。

「――一番最初は、特に何とも思ってなくて……利用するつもりで近づいたのが、シュートランドで会ったとき。傷ついてる様子のきみにつけこんでやろうと思った。だからきみに優しくしたし、率先して声をかけて……でも、ちょっとずつ気が変わっていった」
「うん」
「だんだん、罪悪感が芽生えていったんだ。きみを利用するのが心苦しくなって、ぼくがしたいことは、求めているのはこんなことじゃないって、思うようになって」
「、うん」
「どうしてだと思う? ……多分ね、きみのことを本気で好きになっちゃったからだ。少しずつきみのことを考える時間が増えて、会うのが楽しみになって、元気になっていくきみを見るのが、ほんの少しさみしくて……嘘でも方便でもなく、本当の意味できみのことが気になるようになった。『都合のいい女』だからじゃない、リナリア、きみだけに――きみだからこそ、ぼくのことを受け入れてほしいって思うようになって――」 

 ――最低だろ? そう言って自嘲気味に笑うマサルは、まるで迷い子のような瞳を、暗いレンズの向こうに押し込めていた。

 
「……わたしは、それでもいいよ」

 本当は、もっと他に言うべきことがあるはずなのに。けれど、わたしの口が真っ先に吐き出したのは、マサルにたいする肯定の言葉だった。
 否定なんてしたくなかった。今この瞬間にマサルが本心を打ち明けてくれたことの意味を、正面から受け止めたかった。たとえそこにどんな思惑があろうと、あの日のマサルがわたしを見つけてくれたように、わたしもマサルを受け入れたかった。
 わたしはずっと、誰かの――マサルの「何か」になってみたかったから。
 再びマサルの手をつなぎ直して、わたしはマサルに笑顔を向けた。
 
「マサルがわたしのことを利用したのなら、わたしもおんなじことをするだけだよ」
「リナリア……?」
「わたしね、ずっと誰かに愛されたかったんだ。誰かのためになりたかった。ネズさんへの気持ちを諦めたときから……ううん、もっともっと昔から、大好きな人の『一番』になりたかったんだよ」

 ゆっくりと言葉を紡ぐわたしに、マサルは静かに耳を傾けてくれている。

「今わたしがマサルのことを好きって言っても、マサルは多分、それを信じてくれないでしょう? だから、わたしもあなたを『利用』する。わたしの願いを叶えてもらうために。……それでいいよね?」

 わたしがそう言うと、マサルは嗚咽にも似たような声を漏らしてうつむいた。顔を隠してうなだれるマサルを、わたしはまるで誘われるように柔らかく抱きしめる。

「……でも、誤解はしないでね。わたしが今ここにいるのはわたしの意志だし、あなたのためになりたいから、『それでもいい』って思うんだよ」

 震えた声を漏らすマサルと、彼を隠すように抱きしめるわたし。もうすぐ訪れる地上世界を拒むかのごとく、わたしたちは静謐な空気のなかに身を置いていた。

 
2025/02/11

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