お気づきですか、デートです

 くい、と背後から手を引かれて立ち止まる。考えるより先に振り向けばそこにいたのは案の定グラジオさまで、どこか居づらそうに視線をさ迷わせながら口を開いては閉じていた。どうしましたか、そう訊ねるとやはり口をもごもごと動かして小さな声でお返事をくださる。すまないが、少し外に出る。と。
「はあ、行ってらっしゃいませ。保護区はわたしにおまかせくださいね」
「……それはビッケに頼んだ」
「あらまあ、ならザオボーさまのお手伝いでも――」
「ピエリス!」
 わたしの手を握りしめるグラジオさまの手は、おやおや、気づかぬうちにとても熱くなっていて。なんとなくギリギリと締めつけられているような心地を感じつつ続きを待つ。唇を噛みしめながらわたしを見上げる、彼の瞳はまっすぐだ。
「……オマエも、一緒に来てほしい」
 オマエと出かけたいんだ。
 鬼気迫るグラジオさまのご様子を前に、よもやわたしからノーなんて言葉が出るわけもなく。いいですよ、そう答えればグラジオさまは、まるで力が抜けたようにその場にしゃがみ込んでいた。

 

 2対のリザードンを乗りこなし、辿りついたのはハウオリシティだった。アローラ地方で一番の都会であるこの街へ来ればだいたいの用は片づくのだから、なるほどグラジオさまが向かわれたのも極めて合意的だと言える。いつ訪れても顔ぶれの違うここはその都度新鮮な驚きをくれるので、実のところわたしもこの街をそれなりに好んでいるのだった。
「……ピエリス」
 わたしの数歩先を歩くグラジオさまがふと足を止める。なんでしょうと訊く前に、グラジオさまはわたしのほうを振り返って、言った。
「その……となり、歩かないか」
「おとなり? わたしがですか?」
「オマエ以外にいないだろう」
 ほら、とわたしの手を引っ張って隣に立たせるグラジオさま。少し視線を下げた先にあるグラジオさまのお顔は相変わらず愛らしくて、愛らし、――?
「グラジオさま、身長、お伸びになりました……?」
 つい先日に比べても、グラジオさまは少しだけ顔立ちが男らしくなったように思える。それはもちろん表情だけの問題でなくグラジオさま本人が成長なさったからなのだろう、よくよく見れば身長にだって変化があった。以前はもう少し首を傾けた先にあったはずのお顔が思ったよりも近くにあって、それは喜ばしいことであるのになぜだかグラジオさまをとても遠く感じてしまう。
 距離も目線も近づいているはずなのに、どこかグラジオさまがとおくとおく離れていってしまったように感じるのは、きっとわたしのなかに驕りがあるからなのでしょう。この方の近くにいて、世話係という役割をいただいていた、自負を越えた先の傲慢が巣食っているからにほかならない。いつも一緒、いつまでも共に、そんな願望にも等しい「当たり前」にわたしが固執してしまっているから。
「――な、なんだ」
 じいっとわたしに見つめられていることを不思議に思ったのでしょう、グラジオさまは照れたように顔を背けながら言う。よく見ると真っ白な頬はほんのり桜色に染まっていて、ああ、こういうところは本当に可愛らしいのに。
「グラジオさまも男の子なんだなあ。なんて、感慨にふけっておりました」
「む……そんな当然のこと――」
「『当然』だとしても。……改めて思うと、なんだか胸が苦しくなります」
 たとえわたしがどんなにあなたのそばを願おうと、あなたはいつかわたしの元から離れていってしまうでしょう。男の子なのだから、そう、かつてヌルを連れてルザミーネさまの元を去ったときのように、いつかあなたが代表代理の立場から解放されたとき、あなたはきっと小鳥のようにこのアローラを巣立つはずだ。
 強く、大きく、頼もしい大人の男になって。わたしの手なんか必要としないくらいの、立派な男性になる日もきっとそう遠くない。
「少しだけ、さみしくなりました」
 思いのほか素直な言葉を吐いた自分に驚いた。
 困らせてしまっただろうか、そう思って顔を上げると弾かれたように振り向いていたグラジオさまは目を大きく見開いていて、けれど瞳をしばたたかせるとすぐにいつもの凛々しいお顔に戻る。
 しばしの沈黙のあと。待っていろ、わたしにそうひと言告げたあと、グラジオさまはどこかへ向かわれてしまった。
「……迂闊でしたねえ」
 よもやあんな弱々しい言葉をこぼしてしまうだなんて。あの人の邪魔にはならないと決めたはずであるのに、わたしはなんて浅ましいのでしょう。傍らのベンチに腰掛けつつ、わたしは深い深いため息をついた。
 ハウオリシティショッピングエリアの片隅で、わたしは大人しくグラジオさまの帰りを待つ。ぼうっと何を考えるでもなく目の前の人や景色を眺めているのだけれど、改めて見ると本当に人がたくさんだ。普段エーテルパラダイスでのんびり過ごしているものだから少し人に酔ってしまいそう、けれど美醜もそれぞれな老若男女をこうして見るのはなんとなくワクワクもしてしまう。道行く人々は多種多様の様相をしていて、彼らは彼ら自身のありのままの姿を使い、このアローラという土地の象徴を示しているようにも思えた。わたしのような、どこで何をしていたかもわからないような女ですら迎えてくれる、アローラというあたたかい大地。人もポケモンも優しくおおらかで、のびのびと過ごせるここが、きっとわたしは大好きなのだろうと思う。
「――すまん、遅くなった」
 そうこうしているうちにグラジオさまがお帰りになっていた。息を切らしているのでお急ぎになったのでしょう、わたしに気を遣う必要なんて微塵もありませんのに。
 グラジオさまは両の手にまっしろなアイスを持っていらして、その片方をわたしに向かって突き出す。
「おかえりなさいませ……と、これは」
「ヒウンアイスだ。オマエもよく知っているだろう」
 曰く、イッシュ地方はヒウンシティの名物であるこのアイスが食べたくて、今日のグラジオさまはここ、ハウオリシティに足を運ぼうとお考えになったらしい。パニプッチをかたどったバニラアイスはとてもクリーミィで濃厚、けれどくどくはなく爽やかだと評判であり、わたしもこれは大好きだった。グラジオさまがひと口お食べになったのを確認してからわたしもぺろりと舌を這わせ、飽きが来ない味わいに舌鼓を打つ。
 わたしが黙々と食べているのを見るグラジオさまはとてもお優しい顔で笑っていらして、その微笑みになんとなく胸が高鳴るのを感じた。男の子から男性へと、着実な変化を遂げているグラジオさまは、なんだか、ええと――
「また食べに来よう。……ふたりでな」
 そうおっしゃるグラジオさまに対しても。逸る心臓を抑えられないまま、わたしは曖昧に頷くのがやっとだった。

 
20170317