いつかの話

「アローラには、カントーやジョウトの文化がうまく溶け込んでいますよね」
 わたしは今、財団の職務を全うするため、グラジオさまについてマリエシティへ出向いている。
 少し時間があいたので2人でぶらりと街をぶらついてみたのだけれど、お店の軒先に並ぶ門松のような置物、しめ縄に似た飾りつけ、お安くなったお餅や限定品のおせちほか、アローラとは少し毛色の違うものが垣間見えた。アーカラ島のカンタイシティもそうであるけれど、マリエシティもまたジョウト地方からの異住民がつくりあげた街や庭園とあって記憶をなくしたわたしにもその佇まいはなんとなく「懐かしい」と感じられ、キバニアやユキワラシなどホウエン地方のポケモンが散見するアローラ地方において、わたしもかつてはこの子たちと馴染みある生活を送っていたのかな、もしかするとこんなポケモンたちとホウエン地方のジムをめぐる旅に出ていたかもしれない、だなんて、そんなことを考えたりする。
「オマエのいたホウエン地方もああなのか?」
 グラジオさまもまたアローラのご出身ではなく、時折かつていらした故郷に思いを馳せているような素振りを見せていらっしゃる。憂いを帯びた瞳は儚げで麗しく何度この胸を揺さぶられたかわからない。気安く声をかけることすら幅かられるような、けれど今すぐに抱きしめてしまいたいような矛盾を孕んだ衝動に駆られるあのお姿が今もこのまぶたの裏に焼きついている。
「どうでしょう……あまり覚えはありませんが、それでもなんとなく落ち着く心地はありますね」
「……そうか」
 すまない、とひと言おっしゃってグラジオさまはわたしに背を向ける。恐らく記憶のないわたしに故郷の話をふったことを指しておられるのだろうけれど、わたしとしては別に何を思うこともなかったのだった。そもそも話を始めたのはわたしのほうであるし、今の会話でグラジオさまが自らを責められるような要因は何ひとつとしてない。そう、何ひとつとして。
「たまに文献を見たり観光客の話をうかがったりしますけれど、マリエにはあまりホウエンの面影はないようですね。ジョウトより南に下るようなので」
「やはり差異があるのか?」
「そのようです。イッシュとアローラのようなものではないか、そう教えられました」
 位置的に近くはあるけれど、だからといって近しいものがあるわけでもない。特にマリエ庭園の景観はジョウト地方を極端にしたものにアローラ独自の解釈を加えたうえ、更に変遷を経たもののようであり、独特の空気感を持つマリエとホウエンを結びつけるのは少々困難であると聞かされた。
 わたしは足を運んだことはないけれど、話を聞くにイッシュ地方は近代的かつ自然的という相反するようなふたつの要素をうまく溶かし込んだ場所らしい。そんな絶妙なバランスで成り立つ地方とこのアローラ地方を一緒くたにすることが双方への誤解を生まんとするように、マリエシティとホウエン地方もきっと同じであるのだろう。そういえばオドリドリのまいまいスタイルもどちらかといえばジョウト地方寄りの姿をしているらしく、ジョウトからの観光客とバトルをした際にわたしのオドリドリにいたく興味を持たれたな。
「――面白いな、外の世界は」
 ふう、と深く息をつくグラジオさま。
 箱入り息子として育てられ、まともに外へ出られたのは2年前が初めて。けれどそれも心はどこかお母様に囚われていたのだろうし、お優しいグラジオさまであるからきっとお母様とお嬢様を想う気持ちは変わりこそすれ消えることなどないのでしょう。小さな傷は降り積もり、ある種の呪縛を抱えられたお心。そして今は代表代理という責務に縛られている。恐らく自嘲を込めてらっしゃるのだろう、ふ、と小さく息を吐き出すグラジオさまは、けれども背筋をぐっと伸ばして高い高い空を見上げられた。
「いつかオレも見てみたい。カントー、ジョウト、ホウエン、シンオウ。他にもたくさんの地方へ出て、様々なポケモンと出会って、そしてオレは強くなる」
 ヌルと一緒に、もっともっと力を手に入れる。
 握り拳を空へ突き上げたかと思うと、「何してやがる、オレ」と恥じらうように手をポケットへと移動させるグラジオさま。少し体をひねればほんのり染まった頬がちらりと見え、あまりの可愛らしさに思わず笑みがもれた。
「……笑うな、ピエリス」
「ふふ、申し訳ございません」
「ぐ……と、とにかく。オレはこんなところで留まってなんかいられない。現状は何も出来ないが、きっと道を切り開いて、新たなスタートを他でもないオレ自身が切る」
 いつか、必ず。そう誓いを立てるグラジオさまの背中を、わたしはただぼうっと見つめていた。
(――わたしは、そこにいるのでしょうか)

 
2016年の書き納めです
20161231