狡い女

 エーテルパラダイス2階、ポケモン保護区の片隅にて。各地をまわる財団員により保護されて療養中のポケモンたちの活動音が響くなか、グラジオさまは傷ついたポケモンを慈しむように見つめている。その痛わしげな目つきはどこかルザミーネさまを彷彿とさせるもので、わたしはそのままルザミーネさまのいらっしゃる遠き地・カントー地方へと思いを馳せた。
 遠く離れた誰も知り合いすらいないような土地で、疲弊した母と2人きり。果たしてお嬢様はうまくやっていけるのだろうか――なんて、わたしの無用な心配など要らぬと誰かに告げられた気がした。それも決して撥ねつける意図や諦めの混じったものではなく、ただ彼女のことを――お嬢様のことを信じていられるからだ。
「お嬢様は『がんばリーリエ』なんですものね」
 旅立ちの直前にお話した際のハツラツとしたお嬢様。以前の可憐さはそのままであったけれど、儚げな振る舞いから一転、非常に快活でバイタリティにお溢れになっていた。今すぐにでもモンスターボールを取り出しそうなくらい活気なお姿にわたしも思わず目頭が熱くなったほどなのですが、兄のお目付け役というポジションのわたしですらこれなのですから、実兄でらっしゃるグラジオさまは感動もひとしおなのではないでしょうか。
 花が綻ぶように笑うお嬢様はおっしゃっていました。旅路を危惧するわたしに「今のわたしはがんばリーリエなので心配はいりません!」と。
「お見送りこそ出来ませんでしたけど、少なくとも最後にお会いしたときは空元気というふうでもなくて。お元気そうで安心しました」
「そうだな。リーリエならきっと母上のことも――」
 す、と考え込むように瞳を伏せるグラジオさま。とうとう最後まで紡がれなかった言葉は、けれど沈黙だけで痛いくらいに気持ちが伝わってくる、気がする。
「心配、ですか?」
「当たり前だ。かけがえのない肉親なのだからな」
 肉親。肉親かあ。わたしにはよくわからない感覚です。今のわたしには肉親と呼べる人間がいないので、グラジオさまがあの方々に想う気持ちをきっとわたしは半分も理解できていないのでしょう。「母」「妹」そういった間柄の誰かに抱くものに共感することは叶わず、わたしはただグラジオさまのお気持ちを「想像」するだけ。淋しいようなもどかしいようなこの感覚が、気持ち悪いけれどひどく愛おしくもあるのはきっとグラジオさまよりもたらされるものだからなのでしょうね。
「心配はしても、不安はない。リーリエを信じているからな」
 アイツならきっと大丈夫だと頷くグラジオさまは、とても強い意志をもった瞳でわたしのことを見つめてくる。矜持と決意にあふれたこの目は財団を飛び出したときお見せになったものと同じで、嗚呼おそらくお父様も同じ目をしてらっしゃったのでしょう。わたしも同じ気持ちです、そう答えれば口元は優しく笑みをかたどられた。
「……今のグラジオさまは『まっすグラジオ』ですかね」
「は……?」
「少し前までは『ギャングラジオ』といった感じで……いえ、グラジオさまはいつでもまっすぐでいらっしゃいました」
 とても、とても素敵です。そう、心のままにお伝えするとグラジオさまは白い頬をほんのりとお染めになりました。可愛らしいですね、これまた素直にお伝えしようかと思いましたがそれはさすがに飲み込みました。
 代わりに微笑みを返すとグラジオさまは頬をお染めになったまま、どこか気恥ずかしそうながらわたしから目を逸らすことはなさりません。
「ピエリス、オマエ……」
「はい?」
「オレのことをおちょくっているのか」
「いいえ」
 このピエリス、グラジオさまのことをからかったりなぞしたことはただの1度もありません。
 ひとつ申し上げるならば、わたしはひどく恐ろしいのです。たとえばもしわたしがこの思いの丈をあなたにぶつけたとして、あなたはそれを受け止めてくださいますか? 受け入れてはくださいますか? 拒絶されればきっとわたしは「わたし」のまま居られないでしょうし、もしもで受け入れてなどくださりましたら、それこそわたしは歯止めが効かなくなる予感がしているのです。
 まだお若くいらっしゃるグラジオさまへ伝えるには重すぎるこの胸の内、もう少し、もう少しだけ秘めさせてはくださいませんか。
「わたし、グラジオさまのことをとてもお慕いしていますから」
 けれどそれでも、どうかあなたがわたしから離れられなくなるように。少しずつ、少しずつあなたの意識を奪おうとしているわたしは、ひどく狡い女なのでしょうね。

 
20161223