わたしの秘密とひとりごと

 かしゅ、かしゅ、かしゅ。お屋敷の広々としたお庭にホウキを走らせながら、わたしはぼんやりと物思いに耽っていた。
 仕事の合間に小さくため息をついたおり、ふと何かの影がかかってわたしの視界が暗くなる。顔をあければそこにいたのは馴染みのバタフリーであった。頭上をひらひらと通り過ぎたバタフリーに手を振ると、くるりとその場で一回転して中庭のほうへ消えていった。なかなかに愛想のいい子である。
 長い長いスカートを翻しながら、わたしは遠く、海岸の方角へ目を向ける。先日ぼっちゃまに――グラジオさまにお会いした場所だ。
 グラジオさまがお屋敷を出て半年が経っただろうか。突然の決断に奥さまもお嬢さまも、使用人たちも皆慌てて彼のことを止めた。けれどグラジオさまの意志は固く、結果、彼を見送ることとなってしまったのだ。
 わたしは長らくグラジオさまのお世話係を任されており、実を言うと彼が旅立つことに賛成意見を抱いていたりした。強くなりたいと願うこと、広い世界を望むこと、それは男の子なら誰しもがえがく夢だろうと思ったから。だから快く見送ることを決め、そのせいなのかは知らないが何故かわたしにだけは連絡先をお渡しになってくれたのである。
 かたくかたく口止めされながら、定期的に逢瀬のようなものを繰り返していたわたしたち。もちろんわたしたちは恋人なんてものじゃなく、ただの主と使用人。そしてこの目的も甘ったるいものではなく、わたしのバトルの腕を買われて何度か彼に稽古をつけていただけなのだけれど。
 その甲斐あってかあの早朝の騒動にも出くわすことが叶い、そして。
 ――オマエのイワンコ、いい目をしている。オレのルガルガンそっくりだ。
 あの海岸でのひと言を聞くことができ、そして、他でもないその言葉が頭のなかにこだましているのだ。
 なんてことないひと言のはずで、きっと先だってのサトシ少年にしたらそれは賞賛に等しいものだろう。彼のイワンコもルガルガンに憧れていたようであるし、追うべき背中、またはライバル、そんなグラジオさまからかけられた言葉は彼にとって成長への大きな糸口となる。どんな苦境も逆境も、至極前向きに受け止めるタイプだと見受けられた。
 まっすぐで、眩しい少年だ。かつてのグラジオさまを思わせるような――そう、彼とグラジオさまも似た目をしているとわたしは思った。近しいものを持っている。きっとそれは程なくして確信に変わるだろう。
 けれど、ええ、だからこそ、わたしはひとつだけ懸念したい。グラジオさまやルガルガンに憧れることへではなく、そう、その先にあるものについて――
「……あの少年も、グラジオさまみたいになってしまうでしょうか」
 自分で言うのもおかしな話ではあるが、わたしはグラジオさまを盲信していると思っている。彼のすべてが愛おしいし、何だろうと受け入れる覚悟だし、どこまでも、最期までついていくとこの魂に誓ったのだ。彼のためなら何でも出来るし、彼が望むなら何だって差し出そう。それがわたしの生きる意味であり、生き甲斐であり、存在価値というものだから。
 しかし、だからといってツッコミどころをスルーすることなど出来るわけもなく。グラジオさまの――その、いささか思春期じみたあの言動について思うところは多々あるのだった。純粋で純朴そうなサトシ少年があの影響を受けてしまったら、赤き眼差しだのなんだのとよくわからないことを言うようになってしまったら、と心配せずにはいられないのである。
 もっとも、こんなことを考えているとグラジオさまに知れでもしたら、しばらく拗ねて口を利いてくれなくなるのだけれど。前に一度だけ尋ねたことがありはするのだが、そのときはどうにも恥じらったようなぶすくれたような顔をして目をあわせてもくれなくなった。グラジオさまのお好きなアマサダをいくつも買い込んでようやっとお許しいただけたのだ。
 ――本当に、男の子だなあ、と思う。大人ぶって、カッコつけて、背伸びして、強くなりたくて。けれど根っこは見合わないまま、人間くさくて仕方ない。そんな、まだまだ未熟な精神面が可愛くて仕方ないなどと――これもまた、お墓まで持っていかねばならないわたしだけの秘密なのである。

 
20170630