どうか背中を向けないで

「むむむ……」

 背中に突き刺さる視線を感じるのは、どうやら気のせいではないらしい。それなりに人通りのある自然公園の片隅で、セロシアは極力顔に出さないようにしながら、しかし、みだりに振り払うこともできないままでいる。
 じっとりと刺さるそれは嫌な感じこそしなかったが、その反面、無視ができないのも事実だった。なぜならその犯人は、セロシアが誰よりも敬愛する大切な人であるのだから。
 可愛らしく唸るその人――リーリエを振り返って、セロシアはどこか曖昧に微笑む。

「あの……お嬢さま? どうかなさったのですか? ぼく、もしや何か粗相を――」
「わたし、考えていたのです。ずばり、執事とは何たるか、ということを」
「執事とは、何たるか……?」

 オウムがえしのようになってしまったおのれを恥じつつ、セロシアはリーリエの話に耳を傾ける。
 いわく、今回のイベントに際して執事について思い悩むクダリから相談を受けたらしいのだ。執事に大切なものは何なのか、どうすれば執事然とした振る舞いができるようになるのか――その疑問は、常日頃からセロシアという専属の執事と連れ立つリーリエに、うってつけの問題であったように思えたのだが。

「わたし、考えれば考えるほど、よくわからなくなってしまって」

 その場はそれらしい答えを返したものの、クダリと別れてからも「執事」についてずっと考え込んでしまい、遂には思考のドツボにはまってしまったようなのである。
 確かに先ほど合流してからずっと様子がおかしかったが、よもやそんなところに問題があったとは。リーリエのよく動く頭が今、他でもない自分のことでいっぱいになっている――執事としてはすぐにこの悩みを解消するべきなのだろうが、彼女を想う一人の男としては、それは何物にも代えがたいほど甘美な時間であった。

「わたしにとって執事といえばセロシアさんですから、あなたの立ち居振る舞いについてお答えすれば、それがわたしの思う執事像そのものだと思ったのですけれど……」

 ううん、とリーリエは目をつむり、考え込むような素振りを見せる。彼女に呼応してゆらゆらと揺れるのは傍らに佇むポットデスだ。案じるようにリーリエの顔を覗き込んでいるが、集中しているのかリーリエがそれに気づくことはない。
 一方、セロシアの甘い時間は一転、じわじわと肝の冷える心地がしていた。もしや、お嬢さまは自分が執事として相応しくないとでもお思いになったのだろうか――? できれば杞憂であってほしいと切に願いながら、セロシアは彼女の言葉を待つ。急かして良いことなんかない。

「なんと言えばいいのか……うまく伝えられなかった気がするのです。わたしの思うセロシアさんは、とても優しくて、格好良くて……ありのままを申し上げたつもりなのですけれど、クダリさんはイマイチ要領を得ないようなお顔をされていて」
「そ、そうなのですか?」
「はい……。わたし、何か変なことを言ってしまったのでしょうか?」

 少し落ち込んだふうなリーリエに、ポットデスが優しく寄り添っている。彼が動くたびに茶器がカチャリと音を立てるが、不思議と耳障りな感じはしなかった。
 おのれの気づきが杞憂であったことに安心しつつ、セロシアはリーリエにやさしく手を差し伸べる。大切な主人が顔を暗くしているのは、それこそ執事として見過ごせる問題ではないからだ。

「ええと……もしよろしければ、どんなふうにお伝えしたのか、教えていただいてもいいですか?」
「もちろんです! ええとですね――」

 クダリとの会話を思い返しているらしく、リーリエはゆっくりと目を閉じる。彼女は元来記憶力がいいので、きっと一言一句違わずに思い出すことができるだろう。
 なんとなく、期待と不安を滲ませながら、セロシアはじっとリーリエの言葉を待った。

 
 ――執事といえば、確かリーリエもおつきの人と一緒にパシオに来ていたよね? 名前は確か……
 ――セロシアさんのことですね。彼はわたしにとってとっても大切な、すっごく頼れる執事さんなのです!
 ――じゃあ、参考までにその人について教えてもらってもいい?
 ――もちろんです! ……そうですね、セロシアさんはとっても格好良くて、優しくて、バトルの腕も立って……一時期離れていたこともありましたが、わたしが困っているといつも駆けつけてくださる、まるで王子さまみたいな人なのです!
 ――執事なのに、王子さま?
 ――お、おかしいでしょうか……? でも、本当に王子さまみたいなのです。セロシアさんは、いっつもキラキラしていて、眩しくって、時々眩しすぎて目も合わせられないくらいなのですから……――

 
 そこまで言って、リーリエは唐突に言葉を切った。おのれの言葉に潜む「何か」にやっと気づいたのか、みるみるうちに白い頬が桜色に染まる。
 柔らかな頬を押さえ、「どうしましょう……」と視線を彷徨わせるすがたは可愛らしくてたまらなかった。けれど、醜い衝動も感情もすべてを抑えきって、セロシアはいつもどおりに笑う。それが執事の務めだからだ。

「わ、わたし、何かとんでもないことをしでかしてしまったのでは……?」
「あはは……まあ、多分大丈夫ですよ。クダリさんが他の人に相談するようなことがなければ――」

 セロシアは知っている。クダリがノボリとひどく仲が良いことも、彼が執事とは何たるかを求めて、パシオのあちこちを歩きまわっていることも。というか、よっぽどどんかんな人間でなければ、リーリエのこの物言いを聞けばほとんど察してしまうはずだ。
 彼女がセロシアに対してただの執事以上の感情を抱いていることや……他でもないそのセロシアが、それにずっと気づかないふりをしていることを。

「――それよりお嬢さま、気分転換にティータイムはいかがですか? 先ほどデントさんにおいしい茶葉を教えていただいたので、ぼくでよければ淹れさせてください」
「あ……本当ですか? ではお願いしたいです」
「かしこまりました。……ああ、安心してね、きみのぶんのお菓子もあるよ」

 物ほしそうな顔をするポットデスに目配せして、セロシアは早速ティータイムの準備に取りかかる。これ以上リーリエに喋らせないよう、ひそやかに話題を変えるためだ。
 リーリエの護衛役をジュナイパーに任せて、彼は一旦その場を去った。どこか淋しそうなリーリエの視線にもまた、まったく気づかないふりをして。

 
2022/04/23