たそがれティータイム

「お嬢さま、少し休憩なさってはいかがですか?」
 ポットに並々そそいだロズレイティーをトレーに乗せ、セロシアは机に向かい熱中しているリーリエのそばへ歩み寄った。
 セロシアが話しかけるその瞬間までひたすら眉間にしわを寄せていたリーリエだが、彼の声とロズレイティーの甘く刺激的な香りにはっと意識を取り戻したようだ。きょろきょろと辺りを見まわす所作は幼い少女そのもので、彼女の動きにあわせて揺れるポニーテールが愛らしい。
 夕焼け色に染まった窓の外を見て、いよいよ自分が時間も忘れて勉学に励んでいたことを自覚したのだろう。沈みゆく太陽を見ながら大きな瞳をしばたたかせるリーリエに、セロシアは少しだけ顔を暗くした。血筋と性格上仕方ないのかもしれないが、やはり彼女も無意識でおのれに無理を強いる質であるのだ。
「あまり無理はなさらないでください。ピッピやアブリボンも心配していましたから」
「はい……ああ、もうこんな時間だったのですね。すみません、わたしったらこの本に夢中になってしまって、つい」
「いいえ。お嬢さまの勉強熱心なところはぼくたちもよーく理解しておりますから、謝るようなことではございませんよ」
「うう……少し情けない、です。よりによってセロシアさんに……」
 使い慣れたデスクの前、リーリエはあわあわと視線を彷徨わせながらとうとう顔をおおってしまった。隙間から見える頬がほんのり赤く染まっているのが見えて、どうやら本気で恥ずかしがっているらしいことがわかる。
 ……何をいまさら照れることがあるのだろう。セロシアの率直な感想はそれであったが、年頃の女の子がなかなかに複雑な精神をしているということは身を持って知っているので、ひょんな疑問は無理やり喉の奥に押し込んでかき消した。返事の代わりにリーリエお気に入りのティーセットでロズレイティーを淹れ、彼女のとなりに差し出してやる。途端、ロズレイティー特有のあまいかおりが立ち込めた。
「あ……これはロズレイティーですね」
「お勉強のお供にはこれだと思いまして。よく奥さまやグラジオさまともお飲みになりましたよね」
「ええ、ええ。ロズレイティーって、昔は刺激が強くてなかなか飲めなかったのですけど……それをむしろ楽しめるようになったとき、わたし大人になれたのかも、ってとても嬉しかったのを覚えています」
「ふふ、ぼくも覚えていますよ。あのときのお嬢さまったら、嬉しさが隠し切れていませんでしたから」
「む……むう、忘れてください、それは」
 ぷう、と頬を膨らせたリーリエは、セロシアが用意したシャラサブレを誤魔化すように口に含む。数回咀嚼したあと、まるで綻ぶように微笑んだ顔が誰よりも可愛らしく映ったせいで、再びこの腹の奥で衝動がぐつぐつと煮えたぎった。
 ――この場で彼女を抱きしめてしまえたら、どれほど楽であるのだろう。
 彼女は主人で、自分は従者。その高くも分厚い壁なんて知らないまま、ありったけの想いを彼女に伝えることができたら。そんな世界が存在したなら、きっと自分はたとえ片時でもリーリエを離したりはしないのだろう。
 主従として穏やかな日々を過ごせば過ごすほど、セロシアは胸に潜むどす黒い欲求と戦う羽目になる。決して従者が抱いてはいけない気持ちを彼女に向けてしまったあの日から覚悟はしていることだけれど、穢れがなければ自覚もないリーリエを前にしてしまうと、たまにどうしても抑えきれない何かが込み上げてくる気がするのだ。
 思い出に浸りながらティータイムを楽しむリーリエの所作ひとつ、まつ毛の一本ですら目を離せないまま、まるで地獄の裏にあるような天国にセロシアは立っているのだった。

 
4月10日は主従の日!
20210410