わたくし、絶対挫けません!

 ――ここの模様が、お花みたいで可愛いから――

 あの言葉に嘘はなかった。実際リーリエは植物のたぐいが大好きだったし、ラナキラマウンテンよろしく雪のようにまっしろなタマゴに、言いようのない魅力を感じていたのは紛うことなき事実である。
 ただ、惹かれた理由が決してそれきりではないという、ほんの些細な違いがあるだけ。まるで自分に言い聞かせるようにしながら、リーリエは自分の膝とタマゴを交互に見て、か細いため息をついている。
 あの色合いに見覚えがあった。まっしろで少しひんやりとしたカラーリングが、セロシアの――リーリエの慕っている執事の連れているアローラキュウコンを、なんとなく想起させるものだったのだ。
 だからつい、世話係を請け負った。いささか悩みはすれども、快諾と言って相違ないくらいの頃合いに了承した。このタマゴに興味があったのは本当だし、マオの言うとおり、この子の世話をきっかけにポケモンに慣れていけるならそれに越したことはない。
 記憶の奥底にある傷が癒えるその日が、この子のおかげで近づくかもしれないなら。
 頑張りたい。やってみせる。純粋な決意にいっさいの偽りはなく、それは間違いなくリーリエの本懐というものである。
 けれど、そういった清廉な考えの裏側には、どうしても人間の雑念というものが潜んでしまうもので。セロシアへの淡い想いが、リーリエに少し、ほんの少しだけうっすらとした下心を湧きあがらせた。
 このタマゴの向こうに、優しくて、格好良くて、まるで王子様みたいな彼の背中を見てしまったのだ。
 セロシアとアローラキュウコンはとても仲が良い。彼らはジェイムズに負けず劣らずポケモンバトルの腕が達者で、近づくことこそできないものの、彼らが研鑽を積むためにバトルしている様子をリーリエは度々眺めていた。
 リーリエの目には、二人の巧みなコンビネーションがひどく優雅で綺麗に映る。アローラキュウコンの毛並みも相まってのことであろうが、時として思わずため息を吐いてしまうほど、二人の流麗な戦いは彼女の幼い心を鷲掴みにして離さない。いわゆる“恋する乙女フィルター”がかかっていることは否定しないけれども、しかし、リーリエにとってのセロシアはいつだって憧れの対象で、見れば見るほど眩しいくらいの、ひときわ目立つ存在なのである。
 とはいえ、いくらアローラキュウコンを彷彿とさせる柄だからといって、このタマゴから本当にアローラロコンが孵るかどうかはわからない。模様に似つかわしくないポケモンが生まれてきた事例なんてそれこそ本で何度も読んだし、ジェイムズだって昔話でそんなことを言っていた。
 けれど、もしも奇跡が起きたなら。このタマゴから本当にアローラロコンが生まれてきたら、そのときはきっと、自分のポケモン恐怖症にも、セロシアへの恋心にも何か好転があるのではないかと、そんな願掛けじみたことを考えながら、リーリエは今日もまっしろなお花のタマゴを抱いている。

「――さま、お嬢さま?」
「ふぁいっ!?」
「おっと……驚かせてしまったなら申し訳ございません。もうすぐ、ポケモンスクールに着くものですから」

 何を隠そう、今はポケモンスクールへの送迎途中なのである。突然投げかけられた憧れの人の声に、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
 事の次第は、いやに考え込んでいたリーリエを案じて、助手席に座るセロシアが声をかけてくれたことのようだった。不意のことながら間抜けな声を出してしまったことを恥じ、大げさに両手をぱたぱたと動かしながら謝罪する。

「す、す、すみません……! わたくし、タマゴのことばかり考えていて」
「いいえ、いいえ。無理もありません。今回のことは、お嬢さまにとって初めての連続ですからね」
「は、はい……でも、わたくし恥ずかしいです。あんなにおまぬけで、下品な声をあげてしまって――」
「あはは、そんな心配いりませんよ。とても元気で可愛らしいお返事でしたから」

 ね、そうですよね――にこやかに笑うセロシアは運転手に声をかけ、そのまましばし談笑に励んでいた。
 なぜ送迎にセロシアまでついてきているのかと言われたら、その理由は彼がリーリエの通うポケモンスクールで非常勤講師をしているから、ということに他ならない。本来なら毎日出勤したいところなのだが、執事業との兼ね合いもあり、教壇に立つ日を少しばかり調整しているのだ。
 彼と一緒に登校するのは週三回。週末は作業で別々の下校となるため、登下校共に彼と征くのは、一週間のうちたった二日だ。
 たかが二日、されど二日。なけなしの七分の二は、リーリエにとってかけがえのない、大切な時間であった。

「あ、でも、お嬢さま。今日はぼくの授業もありますから、授業中までぼーっとしていてはダメですよ」
「もちろんです! わたくし、セロシアの授業はとても楽しみにしていますから」
「本当ですか? それは教師冥利につきるというものですね」

 セロシアの担当分野は、ざっくりいうと「ポケモンとのコミュニケーション」である。
 彼の授業は、親しき仲にも礼儀ありといったふうな、ポケモンとの関わり方を改めて考えさせられるような内容が多い。この間なんかは遠い地方の風習に関する授業を受けて、いつか自分もその地方に赴き、それらを肌で感じてみたいと強く思わされたものだ。セロシアの話すことは、ポケモンとの触れ合いに難があるリーリエにとって、贔屓目なく興味深い内容なのである。
 もちろん他の生徒にもセロシアの授業は評判が良くて、彼の人柄も相まってかなかなかの人気を集めている。そのことがリーリエはとても誇らしくて――そして、ほんの少しだけ妬ましかった。

 ――わたくし、本当に最低です。みんなに対して、こんなことを思うなんて。

 タマゴにすら届かないくらい、かすかな声でひとりごちる。案の定それは静かなエンジン音にすらすっかりかき消されてしまったようで、前方の二人はいっさい反応しなかった。
 勝手なことを考えてしまう自分に嫌悪感が募ってゆく。大切な友人に嫉妬心を抱くなんてひどく恥ずかしくてみっともないことなのに、まだまだ幼いリーリエにはその感情をうまくコントロールして抑え込むだけの経験などなかったし、そのくすんだ感情をずっと胸の奥にくすぶらせたまま、なんとなくすっきりしない日々を過ごしている。
 しかし――否、だからこそ。このタマゴが孵ったら、この子から、本当にアローラロコンが生まれたら。きっとこのもやついた感情にも整理がついて、何かしらの進展が訪れのではないかと。それを引き寄せられるだけのせいちょうを遂げていたいと、そんなことを考えてしまうのである。

「――わたくし、頑張ります。絶対ぜったいっ、挫けたりしません……!」

 気合いを入れるために優しく頬を叩いて、リーリエはくっと上を向く。窓の外には、サトシたちの待つポケモンスクールがもう目の前まで狭っていた。

 
アニポケを見返しています
2022/05/30