あなたのためのパンケーキ

 名前を呼ばれるのが好きだ。普段明るくハキハキとした声がほんの少しだけ柔らかくかすれて、あまえたふうに変わる瞬間が。それによって形づくられた、かけがえのないその響きが。

「四天王のチリ」は、あまいアメを携えながらも、ことポケモンやバトルにたいして誰よりも真摯に向きあっている。もちろん、四天王としてのみならず、一人のトレーナーとしてもだ。彼女が日々真面目に励んでいることは、日頃の振る舞いを見ていればすぐにわかることだろう。
 また、彼女が身をおいているポケモンリーグは癖の強い人間が多く、彼女の存在がある種の緩衝材、もしくは潤滑油となって、周囲の空気をうまくまわしているのだろうと思う。
 それ以外にも、彼女はその容姿や人好きのする性格も相まって数多の人から慕われているし、時には不穏な熱視線をいただくことすらある。数日前には出待ちよろしいお嬢さんに出くわしてしまって、トップチャンピオンが通りかかってくれなければあわや大惨事に発展するところだった。
 つまるところ、わたしが見ているかぎりでもチリはなかなかに気苦労が多く、負担のかかる日々を過ごしているようなのである。もちろん悪いことばかりではないし、苦難こそあれ毎日楽しそうに過ごしているふうであるから、彼女にとってこの日々はひどく愛着のあるものであるはずだ。
 けれど、否、だからこそ。そうして色々背負い込みがちな彼女が、肩の力をすっかり抜いて寄りかかってきてくれる瞬間を、わたしはこのうえなく愛おしく思っていて。いつもよりふにゃ、と垂れ下がった目尻は少しの幼さすら感じさせるし、一人で立つのも億劫だと言いたげなようにもたれかかって、だらしなく後ろをついてくる様子も、今となってはひどく可愛らしくてたまらない。
 たまの休日にあらわれるふにゃふにゃのチリが、わたし本当に好きだった。

「なあ、シーナ~。チリちゃん、そろそろおなかすいたわぁ」

 そうして、チリはあまえるとき、決まってわたしの名を呼ぶのだ。彼女だけが使うわたしの呼び名。「ヴィーシニャ」を言いづらいと言っていた彼女が、故郷の発音に近いかたちで編み出した、二人だけの愛称。
 それはまるで合図のごとくわたしたちの空気をあまったるくさせて、たった二人の世界をまたたく間に作り上げる。

「チリちゃんな、シーナのパンケーキ食べたいねん。いちごいっぱい乗ったやつ」

 こどものようにあまえてくる、わたしだけの恋人。
 あれがほしい、これがほしいと列挙するようであるが、しかし、彼女が持ちかけてくる“わがまま”はどれもひどく容易く、いとも簡単に叶えられるものであることを、わたしは彼女と過ごすなかで誰よりもよく知ってしまった。
 簡単かついじらしいものであるからこそすべてを叶えてあげたくなるという、おのれのどうしようもない性分も同時に。

「ふふ……じつは昨日ね、いちごをたくさん買ってきたの。そろそろあなたが食べたがるんじゃないかと思って」
「やったー! やっぱシーナやわあ、ありがとなー。あいしてるでぇ」

 世界でいちばん愛おしい人は、今日も、ひどく可愛らしい。

 
2022/12/20
貴方は×××で『どんな言葉よりも』をお題にして140文字SSを書いてください。
#shindanmaker
https://shindanmaker.com/375517