まばゆいひかり

 このところ、なんとなくイーブイが懐いてくれたような気がする。いかくされることも睨めつけられることもなくなったし、それどころか、ヨヒラのとなりでうたた寝するくらいにまでなってくれた。夜だって以前用意したお手製の布団で寝てくれるようになったし、ヒノアラシと三人で不格好な川の字を描きながら寝る日だってあったくらいだ。
 そう、イーブイはヨヒラだけではなく、ヒノアラシとも少しずつ打ち解けてきたようなのだ。先日なんかは二人で一緒にお散歩に出かけていたらしく、お土産に立派なナナのみをもらい、三人で分け合って食べた。
 大丈夫だよ、敵意はないよと伝えるだけでこんなにも変わるものなのだろうか――しかし、きっとそれはかつてセキとヨネがヨヒラにしてくれたことと同じなのだ。物理のみならず、精神的に手を差し伸べるということの大切さを、ヨヒラはイーブイと触れ合うことで改めて理解することができている。
 同時に――それをいっさいやろうとしない害意の塊のような人間が、たくさんいるということも。

「――んあ、イーブイ? どこ行ったの……?」

 そうしてここしばらくのことをぼんやりと考えているうち、どうやら足元の枝に集中しすぎてしまっていたらしい。近くで遊んでいたはずのイーブイはいつの間にか忽然と姿を消していて、ヨヒラは辺りをきょろきょろと見まわした。少し離れたところにいたヒノアラシに彼女の所在を聞いてみても、心当たりはないらしい。
 まだまだ生まれたばかりで機敏に動けるわけでもないし、おそらくそれほど遠くには行っていないのだろうが――拾っていたものを近くにいたゴンベに任せて、ヨヒラはイーブイの捜索に向かう。なんとなく、胸騒ぎがしたからだ。
 雲海峠は名前の通り高いところにあるし、気性の激しいポケモンも多い……もしも荒くたいポケモンに出くわしてしまっていたら? よぎるのは自分の体質と、かつて見舞われたサイホーンの「いわおとし」。事故を未然に防げれば御の字だが、すでに凶刃の餌食となってしまっていたらどうしよう。ポケモンに襲われることはなくとも、もしも逃げる途中で崖から落ちてしまっていたら――そんなことばかり考えていると、まるで耳のすぐ横に心臓がやってきたかのような錯覚に陥る。
 大丈夫、大丈夫だとおのれに言い聞かせながら、焦る気持ちをなんとか抑えて周囲を必死に探し歩いた。ヒノアラシにも手伝ってもらいながら白銀の毛並みを探していると、やがてちいさくか細い声が聞こえた気がして、ヨヒラの足は弾けるようにその場を駆け出す。高速で流れる景色を必死に確認しながら進んでゆくと、ほんの一瞬、瞳に鋭い光が刺さるのを感じ、反射的に足を止める。
 そこには、高い木の上から降りられなくなっているイーブイがいた。茶色いぼんぐりのみに紛れる白銀を確認して、ほっと胸をなでおろす。
 こんなの、通常色であったら見つけられなかったかもしれない――彼女が色違いであったことに感謝しながら、ヨヒラとヒノアラシは急いでイーブイのもとに駆け寄る。声かけをしながら手を差し伸べてみるものの、すっかり萎縮してしまっているようで、うまく飛び降りることができないようだ。ちいさな体を弱々しく震わせながら、イーブイは依然としてか細い声で鳴いている。
 で、あるならば。やるべきことはひとつだと、ヨヒラはせっせとぼんぐりの木に登ってゆく。もとより身体能力には自信があるので木登りなんかは屁でもない。あっという間にイーブイのもとへたどり着き、すぐに彼女を抱き寄せるまでに至った。
 イーブイもヨヒラに抱かれて安心したのだろう、震えもすぐに収まったように見えた――の、だが。

「う、うひゃっ――! きゃあ!」

 ぼんぐりの木に住み着いていたらしいミノムッチが、ヨヒラの気配に驚いて飛び出してきてしまったのである。とっさの出来事に思わずバランスを崩してしまい、一瞬のうちに真っ逆さまの世界へ飛び込む羽目になり、体勢を直す間もなく地面に打ちつけられた。イーブイを抱き込んでやれたことがせめてもの救いだろうか。
 幸い、落ち葉が緩衝材になってくれたおかげでかつてのような大怪我を負うことこそなかったものの、どうやら足を捻ってしまったようだ。立ち上がろうにも痛みがそれを邪魔するし、このままではイーブイとヒノアラシを連れ帰ってやることができない。
 途端、ヨヒラの背中をいやな汗が伝う。ここら一帯には、パラスやマスキッパのように気性の激しいポケモンがたくさん生息しているのだ。このままここに留まっていたらどんな被害が及ぶかわからないし――おのれの不甲斐なさを実感して視界を滲ませていると、やがてぽてぽてした足音と聞き慣れた呼び声が耳に滑り込んできて、反射的に顔を上げる。
 確かにヨヒラの名を呼ぶその声は、他でもないヨネのものだ。不測の事態にそなえてヒノアラシが彼女らを呼びに行ってくれていたらしく、彼の機転に心の底から感心した。

「ちょいと、大丈夫かい!? ……ああ、この木から落ちちまったのか」

 見知った顔というのは、こんなにも安心感を与えてくれるものなのか――ヨネが来てくれたことで気が抜けたのか、ヨヒラは今にも泣き出しそうなくらいに弱ってしまった自分を恥じる。結局は誰かに頼らないといけない、一人では何にもできない自分がひどく歯がゆかった。
 あたし、なんにもできなかった――ぐず、と鼻を鳴らしながら、ヨヒラはヨネの名前を呼ぶ。そのひと言でだいたいを察したらしいヨネは、ちいさく息を吐いてヨヒラの頭をやさしく撫でたあと、おもむろにその場にしゃがみこむ。ヨヒラの足を診るためだ。

「捻っちまったんだね。歩けそう……では、ないか」
「う……ご、ごめんなさい――」
「そういうのはあとだよね。そらっ、失礼するよ」
「えっ、ひ、ひえ……っ!?」

 登ったと思ったら落ちて、落ちたと思ったらまた浮いて。ヨヒラは、ヨネの腕によって思いっきり抱え上げられてしまった。歩けないのだから当然といえば当然であるが、突然のことにいささか頭がこんらんしている。
 確かに、今までにも寝落ちたすえに布団まで抱えて運ばれたことはあるが――鮮明な意識のなかでこんなふうに担ぎ上げられたのは初めてだったので、思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。
 体勢こそ不安定に見えるが、しかし、その細腕からは考えられないくらいちからもちなヨネのおかげで、見た目よりも数倍の安定感がある。アヤシシさまは呼ばないのか、と問うてみたが、今日はテルと一緒にいるので呼ぶに呼べないのだと言っていた。
 今朝ヨネが持っていた背負子は、ゴンベが代わりに背負っている。対価としてご褒美のコトブキマフィンを増やすと約束したようだ。
 悪路とは思えない安定感で進むなか、ヨネは様子を窺うようにちらりと視線をやってきた。その目はとても優しくて、また視界が滲みそうになる。

「イーブイのこと、助けてやろうとしたんだろ。偉いじゃないか」
「……でも、結局はこうやってヨネさんに助けてもらってるし」
「あはは、そりゃあ最初から全部うまくいくわけはないさ。まずは気持ち、そして次は行動に移すことが大事なんだ。……あんた、本当に頑張ったんだね」

 あいた手のひらで背中を撫でられ、とうとうほろほろと涙があふれた。格好良くも頼もしくもない自分への情けなさと、それらすべてを包み込んでくれるヨネの優しさが、ちいさな胸をくちゃくちゃに掻き乱す。ぐずぐずに泣きじゃくるヨヒラをヨネはちっとも叱らなかったし、それ以上何かを言うこともなかった。
 会話らしい会話はないが、決して空気が重いわけではない。聞こえてくるのはヨヒラが鼻をすする音と、みなが枯れ葉を踏みしめる足音、それから、少しだけ不安そうに鳴くイーブイのなきごえくらいだろうか。
 きゅう、とちいさく声をあげるイーブイに目を向ける。滲む視界のなか、ヨヒラの目に映ったのはひどく気遣わしげにこちらを見る、彼女のまっすぐな双眸だった。
 

2024/01/28 加筆修正
2022/04/24