つぶらなひとみ

「――よし、っと。ひとまずはこれで大丈夫かな。おとなしくしてれば治るだろうけど、もしも悪くなるようだったらギンガ団の医者に診てもらおうね」
「はあい……」

 帰宅後、ヨネは慣れた手つきでテキパキと、ヨヒラの足に適切な処置を施してくれた。おかげで先立ってのように痛むようなことはないし、少し動かしてもびくともしないあたり、しっかりと固定されているのがわかる。
 骨にも異常はなさそうだし、よほど動かさなければ数日のうちにすっかり良くなるだろう。
 この程度の痛みで泣きそうになった自分が少し恥ずかしいけれど……あの場にはイーブイという庇護対象がいたので仕方ないと、無理やり自分に言い聞かす。

「張り切るのはいいけど、無茶だけはやめなよね。ただでさえあんたはポケモンに襲われやすいんだから」
「うう……ごめんなさい」

 ヨネに優しいお説教をもらう傍ら、ヨヒラはふとイーブイのほうに目をやった。木から落ちてびっくりしたのか否か、帰路途中からずっとヨヒラにひっつきっぱなしなのだ。生後間もない小さな体にくっつかれると、どうにも心がむずむずする。なけなしの母性や庇護欲を刺激されて、今すぐにでもこの体を抱きしめてこねくりまわしてやりたくなるのだ。怯えさせたくはないのでなんとかこらえているが、それでも何かの弾みで爆発してしまいそうになる。

(でも……とりあえず、落ち着かせてあげないといけない、よね。どうすればいいのかわからないけど……)

 様子のおかしいイーブイに対して、ヨヒラの心配の念は尽きない。そんな彼女の心中を察したのか、ヨネは子どもたち三人をぐるりと見まわしてから、それぞれにちいさな言いつけを残しながら立ち上がった。
 ヨヒラには、きちんと安静にしていること。
 ヒノアラシには、みだりに炎を出さないこと。
 イーブイには、決して一人でどこへも行かないこと。
 微笑ましそうに目を細めて部屋を後にするヨネは、誰がどう見たって頼もしい姉そのものだった。
 ぱたん、と静かな音を立てて部屋の戸が閉まる。三拍の静寂の後、ヨヒラは優しくイーブイの頭を撫で、未だ震え続けている幼子を落ち着かせてやった。

「えっと……大丈夫だよ。あのときはびっくりしちゃったけど、ヨネさんが診てくれたからもう全然痛くないし……きっと、すぐに治ると思う」

 ヨヒラの落ち着いた声を受けてか、イーブイはおずおずと顔を上げた。不安げな表情は見ているほうまで胸が締めつけられるようで、彼女のとなりにいるヒノアラシも、ひどく神妙な顔をしている。

「……でも、あなたが色違いでよかった。じゃないと、あんなすぐに見つけられなかっただろうから」

 つやつやでキラキラの毛並みを撫でながら、ヨヒラはふと思い耽る。あのときイーブイをすぐに見つけ出せたのは、ひとえにこの子が色違いであったからだ。
 通常の茶色では景観に溶け込んでしまって発見が遅れていただろうし、件のミノムッチがイーブイの刺激によって暴れだした可能性だって考えられる。この子がたった一匹であのミノムッチに襲われていたらひとたまりもなかったろうし、それこそヨヒラの受けたこの傷がイーブイのものであった未来だってありえたはずだ。

「悪いことばっかりじゃないのかも。あなたがその色で生まれたことにも、きっと意味があるんだよ」

 それは、自分がこのヒスイ地方にやってきた運命にも同じことが言える。
 正直、ヨヒラにはまだ自分がここにいる意味を見つけられていない。どうして記憶を失ったのか、どうしてここにたどり着いたのか、何をするべくしてこの場所に立っているのか。あまりにもイレギュラーすぎる始まりは、数年経った今でもヨヒラに「ここにいる意味」を教えてはくれなかった。はじめの頃なんか、ここに来たのは何かとんでもないことを仕出かした罰なのではないかとすら思っていたくらいだ。
 それでも、この子を見ていると思うのだ。きっとすべてに意味がある。自分が生まれたことも、このヒスイ地方にやってきたことも、セキやヨネ、ヒノアラシ、そして他でもない、このイーブイとの出会いも。この世のすべてに意味がある。そして、きっとそれは自分自身のなかだけでなく、人やポケモンのあいだにだって存在するものなのだ。

「ねえ、イーブイ。あたし、あなたに会えてよかったな。もちろん、ヒノアラシともね」

 ちいさなお友だちをめいっぱい抱きしめて、ヨヒラは笑う。二匹への愛をたんまり込めて目を閉じると、同じように身を寄せてくるヒノアラシに対して、イーブイは再びぶるぶると震え始めた。
 どうしたんだ、とヒノアラシとともにイーブイの顔を覗き見ると――彼女は、ほろほろと大粒の涙を流して泣いていたのだった。

「い、イーブイ……!? どうしたの……っ!?」

 ぎょっとしたのはヨヒラだけでなく、ヒノアラシも同じであった。二人で慌てふためきながら、そっと彼女を抱いて膝の上に乗せてやる。心配のあまりよじ登ってきたヒノアラシも一緒に座らせて、まあるい頭をそれぞれ撫でた。
 どこか痛いのか、と訊いても、イーブイは首を横に振る。つらいのか、怖かったのか、そう訊いても答えは同じ。ホッとしたの? と訊ねると、今度は首を縦にも横にも動かさず、ただ俯いてヨヒラにべったりとひっついてきた。

「どうしたんだろ、急に……まあでも、哀しかったり苦しかったりっていう、つらい思いをして泣いてるわけじゃないなら、いいかな」

 さめざめと泣いているイーブイも、おろおろと落ち着かないヒノアラシもまとめて思いっきり抱きしめて、ヨヒラは目を閉じている。大切なお友だちのぬくもりを、精いっぱい感じるために。

 
  ◇◇◇
 

 やがて、泣きやんだであろうイーブイが身じろぎしたのを皮切りに、優しい拘束をそっと解いた。安心したのかうとうとしていたヒノアラシはその場にころんと転がっていたが、床に落ちたあたりではっと意識を覚醒させたようだ。
 対するイーブイは、たくさん泣いたおかげで両目を少し腫らしているようだったが――しかし、そこにはつい先日まで見ていたような険しい表情なんか欠片もなかった。ヨヒラの膝のうえにいたのは、きらきらと光を反射する白銀の毛並みを誇らしげにした、つぶらなひとみの可愛らしい女の子だ。
 

2024/01/28 加筆修正
2022/04/26