催花雨

「じゃじゃーん! たくさんご迷惑をおかけしましたが、このヨヒラ、今日から完全復活です!」

 それは、まるで演説のような口振りである。ヨヒラは両手をおおきく振りながら、晴れやかにそう言ってみせた。
 かつては全身をくるんでいた包帯もいっさいなくなり、健康的な様子がうかがえる。細っこい手足には傷痕のひとつも残っていないらしく、あのときの凄惨な有様を思えば奇跡的な回復と言っていい。
 ヒノアラシと並び立ってぺかぺかと笑っているヨヒラのすがたは、かつての彼女からは想像もつかないほどまばゆく見えた。

「一時はどうなることかと思ったが……ああ、これでひと安心だな。ようやっとオレたちも、枕を高くして眠れるってもんだぜ」
「ほんとだよね。セキなんて文字どおり夜も眠れなかったらしくて、ほら、目の下にクマが――」

 ヨネの揶揄を視線で制して、セキはヨヒラのもとに近づく。
 いっときよりふくふくになった頬はいくらか血色も良くて、あの日に見た真っ白なそれと比べれば雲泥の差だ。柔らかなそれを両手で包んでもみくちゃにすると、やぁ[D:12316]! とポケモンのなきごえのような返事をもらって思わず笑ってしまった。本人は少しご立腹のようにも見えるが、機嫌なんてすぐに直るだろうと踏んで、あえてそのままにしておく。
 ちゃんと、ここにいるんだな。彼女が生きてここにいる実感をしっかりと得てから、セキはヨネに目配せし、リーフィアにあずけていた包みをヨヒラに渡す。首を傾げるヨヒラに開けてみろ、と合図を送ると、彼女は傍らの石に腰掛けてそれを開いた。

「あっ――こ、これ……!」

 包まれていたのは真新しいコンゴウ団の装束だ。ヨネのお下がりではない、正真正銘ヨヒラのためにあつらえたもので、もちろん上衣や下衣、股引、靴まですべてそろえてある。
 ぼうっと見とれたままのヨヒラを確認して、二人は顔を見あわせて満足そうに笑った。

「前のやつは、先の事件でボロボロになっちまったろう? だからセキと相談したのさ、あんたの快気祝いとして新しいのを作ってもらおうって」
「おう! ヒナツ監修のもと、なかなかいい具合に仕上がったと思うぜ。ほら、ここなんか――」

 セキが指差すのは下衣の裾のあたりで、そこにはいくつか刺繍が施されていた。少し明るめの青紫で刺されたその意匠は、セキがずっと気にしていたあの花のかたちを模している。
 そう、ほかでもないヨヒラと同じ名前の――あじさいの花弁だ。
 少し前から紅蓮の湿地にも根づくようになったその花は、どうやら噂によると花の色にいくつか種類があるらしい。なんでも土の質によって色が変わるのだと、花に詳しいギンガ団の団員が言っていたか。
 とはいえ、それ以上のことは正直あまり覚えておらず……まあ、また今度、必要なときに聞きにいけばいいと思い放置してある。気のいい男であったので、きっと色よい返事をしてくれるだろう。
 彼に教わったとおり、あじさいの花の色を皆に説明して、どれが一番ヨヒラに似合うかを考えた。青、紫、赤、青紫、紅紫……多種多様なそれを提示した結果、セキもヨネも、ひいてはヒナツですらも、満場一致で青紫と答えたのだ。この色には皆の気持ちが込められている。

「着替えておいで。いつまでも部屋着のまんまじゃ辛気臭いだろう?」

 ヨネの言葉を受けて、ヨヒラは潤んだ瞳をこすって笑った。元気よく返事をして、ぱたぱたと家のなかへ戻っていく。ヒノアラシもそれについていっていたが……まあ、オスとはいえポケモンなのだからこの場は大目に見てやろう。

「……にしても、本当に元気になったな。万が一のことも考えてはいたんだが」
「ほんとだよね。これもシンオウさまのご加護かな」

 目を閉じてシンオウさまに黙祷するヨネにならい、彼女の横顔を見ながら、セキもそっと目を伏せる。
 サイホーンの群れに襲われて助かるだなんて、それこそ奇跡というに他ならない。ギリギリの状況で発揮されたセキの勇気とヨネの機転が、たったひとりのちいさな命をつないだのだと、その実感が確かにここにある。
 とはいえ、大怪我から快復したからといって彼女をとりまく問題のすべてが解決したわけではない。彼女の周りのポケモンは今でも度々様子をおかしくするため、一人で出歩くことは控えさせているし、老いぼれのなかには今でも疫病神だなんだと後ろ指をさし、彼女を追い出そうという動きがある。
 それはきっと、ヨヒラがこの集落にいるかぎりなくならない問題かもしれない。ずっとずっと、あのちいさな背中につきまとって、時には足を取ろうとするのかも。自分たちが傍にいられるならいくらでも守ってやれるが、しかし、それこそ「ずっと」というわけにはいかないだろう。

「……はやく、郷に帰してやらねえとな」

 ならば、今度こそヨヒラが壊れてしまうほどの深い傷がつけられる前に、あの子を故郷に帰してやらなければ。セキは、彼女のことを想いながらその決意を改めてかためる。
 ……きっと、それこそがヨヒラの安寧につながるのだろうから。

「おっ……おまたせしました!」

 やがて、ヨヒラが中から戻ってくる。
 新品の装束をまとった彼女はもうれっきとしたコンゴウ団の一員と言って相違なく、くるりとまわってみせる様子も、またひと味違って見えた。可愛らしくて、とても元気なお嬢さんだ。

「うん、うん! よーく似合ってるじゃないか、見違えたよ」
「ほんとうですか? やったあ!」

 ヒノアラシとともにぴょん、と跳ねるヨヒラは、一見すれば天真爛漫を体現するようであるが――しかし、二人だけは知っている。彼女のそれが「すべて」ではないことを。その明るい笑顔の裏に大きくも激しい感情の波があることを、ここ数ヶ月一緒に過ごして、痛いくらいに理解してしまった。

「……で、だ。これはオレからの贈り物なんだがよ」

 セキは上衣の袂に手を入れ、かくしのなかを探る。やがて取り出された包帯だらけの手のひらのうえにあったのは、ちょうどヨヒラの装束と同じ、あじさいの花弁のかたちをした髪留めであった。
 これは、先日黒曜の原野のほう――もとい、コトブキムラに立ち寄ったとき作ってもらったものだった。あそこは外部からやってきた人間ばかりで、ポケモンへの警戒心こそ強いものの、彼らの持っている技術には目を瞠るものがある。
 ヨヒラの装束のための刺繍糸などを調達する際に、細工の得意な者に声をかけたのだ。あじさいを模した髪飾りはつくれるか、と。

「おや、抜け駆けかい? あんたもすみに置けないねえ」
「うるせえな……ほら、ヨヒラ」

 口を開けたままのヨヒラに歩み寄り、その髪をひと束すくってやる。こぼれたそれをしっかり押さえるように、耳にかかった髪をぱちん、と留めてやった。
 男の作業だからあとでちゃんと直せよ、と言うと、ヨヒラははにかむように笑いながら、このままでいいと返す。セキがつけてくれたことに意味があるというその言葉は、なんとなくセキの胸のうちをざわつかせるものだった。
 うるさくなりそうな胸を黙らせていると、遠慮がちな声が続く。

「えへへ……こっちにつけてもらうと、セキさんのピアスとおそろいみたい」

 ――ピアス。耳慣れないその響きは、どうやらセキがつけている耳飾りのことであるらしい。
 左のかくしに入れていたものを右手で取り出して、向かい合ったままそれをつけた。なるほど、確かにそれならばセキの耳飾りと同じ左側になる。
 無意識の行動はなんとなくセキを気恥ずかしくさせて、いやにニヤついているヨネの視線が、あらゆるところにぐさぐさと刺さる。恨めしそうな目を向けてみても、ヨネはいっさい意に介した様子を見せず――セキにはもう、黙ることしかできなかった。

「えへ……えへへ。セキさん、ヨネさん。ほんとに、本当にありがとうございます」

 ただ、ヨヒラ本人は何を気にしたふうもなく、幸せそうに笑っているのみで。その笑顔に救われたような、けれども胸が騒ぐような、複雑な心地になる。
 願わくばこの装束と髪飾りが、いま彼女がここにいることの、明日へのあかしとなるように。
 丸くてちいさなヨヒラの頭を撫でながら、セキはゆったりと目を細めるのだった。

 
2024/01/24 加筆修正
2022/04/04