天泣

『とりあえず、この子はあたしが面倒見とくよ。リーダーとはいえあんたは男だし、女のあたしといたほうが何かと都合がいいだろうからね』

 ヨネに手を引かれるヨヒラは、どこか物珍しそうに集落をきょろきょろと見まわしつつ、やがて見えなくなっていった。突然の出会い、波乱万丈の復路、あっという間の終着――それが、つい昨日の話だ。
 昨夜はぐっすり眠れたのだろうか。集落への帰路でぽつぽつと話したおかげか緊張はそこそこ解れているように見えたし、ゴンベが呼びに来なかったあたり勝手に家を飛び出した、なんてこともなかったのだろうが――姿見とにらめっこして朝の支度を済ませながら、セキは突然の来訪者について思いを馳せていた。
 とりあえず、今日は朝イチで様子を見に行ってやるとするか。それはリーダーの役目でもあるし、一番に彼女を見つけた人間の、いわゆる責務というやつだ。
 軽く頬を叩いて、セキは同じく朝支度に勤しんでいたリーフィアの頭を撫でた。行くか、と声をかけるとリーフィアはあくびを噛み殺しながらうなずき、セキの隣に寄り添う。
 最後の確認もすっかりと終え、ああ、今日もなかなかの色男だなと肩をすくめたセキが、玄関の戸に手をかけた、そのとき――

「おはようございますっ、セキさん! 昨日はありがとうございました!」

 ガラガラガラ、ぴしゃん、なんて物語のなかでしか聞かないような音を立て、目の前の戸が勢い良く開く。そんなに乱暴にしちゃあ扉が壊れちまうだろうが――なんて考える間もなく、やけにけたたましい、もとい、ひどく元気な様子のヨヒラが姿を現した。
 小走りで追いついてきたヨネがちょいと! と声を発するまで、セキは現状を飲み込むことができず、呆気にとられたままだった。

「まったく……セキの家を教えた途端急に走り出すんだから、本当にびっくりしたよ。それにしてもヨヒラ、あんた随分足が速いんだね」
「えへへ……あたし、飛んだり跳ねたりするのは結構得意みたいです!」

 打って変わって、ヨヒラはまさに明朗快活と言って相違ない様を見せる。にこにこと笑って、ハキハキとしゃべって。不安そうに目を伏せていた昨日とはまるで別人だ。
 とはいえ、ひと晩経ったくらいで心身がすっかり休まるとも思えないし、ただでさえ記憶喪失に陥っている身分なのだ。十代も前半と思しき少女となれば、その苦痛や不安は尚更だろうに。
 許されるなら声をかけてやりたいが、しかし、知り合ったばかりの自分がそこまで踏み込んでいいものだろうか? ――わからない。普段のセキであれば「考えるよりはまず行動!」として意気揚々と声をかけるのであろうが、今の彼はただの「セキ」ではなく、「コンゴウ団のリーダー」なのだ。
 新米と言うほどではないが、経験豊富とも言いがたい。まだまだ青くさく、身の振り方にも注意を払わざるを得なくなった彼は、立場と持ち味の狭間で揺れ、少しばかり動きが鈍っているように思える。
 ゆえにセキは、楽しそうに笑いながらヨネと話すヨヒラを見るばかりで、黙りこくったまま思案を巡らせるのみだった。

 最中、昨日よりも薄くなった異物感に気づく。その違和感のなさがどこに由来するのかと言われたら、おそらくそれはヨヒラが身につけているコンゴウの装束だ。
 ヨネのお下がりを譲ってもらったのだろう、サイズについても申し分ない……というか、お世辞抜きでよく似合っている。まるで昔からずっとそこにいたような、これからもそこにいてくれるような、独特の安心感があった。
 セキの視線に気がついたのかヨヒラははにかむように笑い、その場でくるりとまわってみせた。

「なかなか様になってるじゃねえか。……ああ、よく似合ってるぜ」
「本当ですか? よかったあ、早起きしてヨネさんに着方を教えてもらったんです」
「そんな大したことはしてないけど……そうだ、今度ヒナツに着こなしとか教えてもらうといいよ。あの子は随分とシャレてるからね」

 確かに、服装のことに関してはヒナツにまかせておけば問題ないだろう。彼女はコンゴウ団でも随一のセンスを持っているし、なんなら髪結いだって得意だったはずだから。
 初めて聞く名前に対して、ヨヒラは興味津々な様子を隠さずに食いつく。何も覚えていない彼女にとって、もしかするとこの世界は宝物のようにキラキラと輝いて見えているのだろうが。
 
 そうしてあれこれと談笑に勤しんでいるおり、ずっしりとした足音が聞こえてふと顔を上げる。同時に目に入ったのは何者かの影だったが、すぐにそれがサイホーンと、それを相棒にするタカノリであることに気がついた。どうやら、珍しく朝の散歩に繰り出しているらしい。
 軽く挨拶を交わすと、タカノリはサイホーンと共にこちらに近づいてきた。

「おや……もしかして、その子が昨日噂になってた子か?」
「そうなんだよ、ヨヒラっていうんだけどね。しばらくはあたしが面倒見ることにして――うわっ!?」

 刹那、サイホーンが激しく唸り出す。地響きのような怒声はついぞ聞いたことがなかったもので、その場に居合わせていた全員が息を呑んだ。そのどよめきはやがて集落の全域まで広がってゆくだろう。
 そして思い出したのだ、ヨヒラがポケモンに嫌われる性質だということを――

「おい、落ちつけサイホーン! 一体どうしたっていうんだ、今までこんなに荒ぶることなんてなかったのに」
「ッ……ヨネ! ヨヒラを連れて避難してくれ、ここはオレとリーフィアがなんとかする」
「ああ! ――ほら、行くよっ」

 有無を言わさずヨヒラの手を引くヨネの背中は、セキの心中をすべて察したかのごとく、一目散に去ってゆく。
 二人が見えなくなった頃にはサイホーンもすっかり落ちついていたが、その平穏と引き換えに、タカノリからの疑惑の眼差しがぐさぐさとセキに刺さっていた。

「……なあ、セキ。あの子、何かやばいんじゃないのか」
「わからねえ。オレも昨日会ったばかりだし、ろくすっぽ話してもねえんだ」
「だが、老いぼれたちがどうこう言う前になんとかしておいたほうが――」
「ああ。オレも今、まさにそう思っていたところだ」

 こんな閉鎖的な環境にいる以上、噂なんてものはすぐに広まる。年寄りたちはコンゴウ団の人間のなかでも特に早起きだし、なんなら今の騒ぎを目にした者だってゼロではない。なぜならもうすでに、戸の隙間から訝しげな視線がいくつも飛んできているのだ。
 きっと、奇異の目を向けられる。どこから来たかも、何者なのかもわからない記憶喪失の少女のせいで、ポケモンの様子がおかしくなるなんて。

「頼むから『疫病神』だなんて言わないでやってくれよ。あいつも……ヨヒラもきっと、シンオウさまのお導きによって現れた、ともに笑う仲間なんだろうから」

 セキの嘆願を聞いたタカノリは、穏やかに笑むサイホーンを撫でながらも、いまいち頷きかねているようだった。

 
2024/01/24 加筆修正
2022/03/05