千尋に至る海の溝

 ホウエン地方ミナモシティ――ここには数々の美術品を展示した立派な美術館がある。
 地方全体を見ても最大級と言って過言ではないこの建物は、かつてアサギシティに住んでいた頃にも何度かテレビで見た覚えがあって、実を言うとその頃から気になってはいたのである。地方の垣根を越えて取り上げられるほどの施設なのだ、数多の人間を集めているのも非常に納得がいく。吸い込まれるような人々を遠目に見ながら、ユウキは逸る胸をわくわくと高鳴らせていた。
 そんなふうに興味を惹かれていたこの施設、いざ足を踏み入れてみると、ホウエン地方の歴史や文化というものになんとなく触れられたような気がした。何百年も前の人間が描いた絵、古代の文字、他の地方の絵画、見たことのないポケモン……ほかにもたくさんの展示物がユウキのことを出迎える。ホウエン地方のみならず、海の向こうのもっと遠い世界を、大地の広がりを感じさせるこのミナモ美術館を、ユウキはたった一日で好きになった。
 一部コーナーはまだ未完成であるとのことだが、きっとここにもそれはそれは素晴らしい展示品が飾られるのであろう。完成した暁にはまた見に来るのも悪くない、そう思えるほど自分はここを気に入ってしまったようだった。
 そして、こんなにも深く気に入ってしまったからこそ、「一緒に見たい」と思う相手がこの脳裏には浮かぶのだけれど――
「チイロと一緒に、来たかったな」
 ユウキが思い浮かべているのは他でもない、双子の妹であるチイロのことだ。双子らしく同じ日に同じ腹から生まれた彼女は、ユウキにとって血を分けた兄妹、半身、もしくはそれ以上にもなりうるほどの存在である。
 ジョウトでいるときからずっと一緒だった。ポケモンをもらうのも、旅に出るのも、はじめの一歩を踏み出すのもすべてチイロと一緒にやった。赤子の頃にはずっとおそろいのパジャマで寝起きをしていた、そんな写真だっていくつもある。けれどいつしか自分たちの間には埋められない溝ができているような気がして、ユウキは先日顔をあわせたときの、どことなく沈んだチイロの表情が忘れられなくなっていた。
 ――ユウキはすごいね。どんどん強くなっちゃって、あたし、置いて行かれるみたい。
 そう言っていたのはなぜなのか。強くなるのは当たり前で、なぜなら自分は他でもないチイロを、家族を守るために強さを追い求めているのに。もちろん旅を経てポケモンと触れあい、色々な人間の営みを見ながら、ひたすら戦い強くなる、そのことに喜びを見出しているのも確かであるけれど、やはり動力源というのはチイロ個人に他ならない。
 どうしてあんな顔をしたのか。どうして、あんなにも悲哀に満ちた表情をさせてしまったのか。わからない。ユウキにとって、チイロという存在は彼女自身が思うよりずっとずっと大きなものなのだ。
 誰にも取って代わられることのない「半身」という揺るぎない繋がりは、きっとこれから何年経ってもチイロ以外にはありえないのだから。
「次に会ったときは、もっと楽しく話ができたらいいな……」
 生まれて初めての兄妹喧嘩にも満たないモヤつきを抱えながら、館内の自販機スペースにて、ユウキは無機質な天井を仰ぐのであった。

 
20201107