ぼくのあたしのプロローグ

 あたしが生まれたあの街は、ジョウト地方のアサギシティ。ホウエン地方からは遠く離れた港町で、船乗りや灯台、市場などなどとにかく活気あふれる街だった。
 少し歩けばすぐそこは海岸に面しており、夜になるとチョンチーやヒトデマンが海を照らしてそれはそれは幻想的な光景が広がっていた、と思う。パパに手を引かれて散歩に出たときの衝撃や感動は今も忘れられない、いわゆる思い出補正なのかもしれないけれど、それでもあたしはあの街が、あの光景が、あの街に住む人々やポケモンが大好きだった。
 時には船乗りのお兄さんと遊んだり、お兄さんのニョロゾやワンリキーにたかいたかいしてもらったり、たまに船の中を見せてもらったり、外国からのお客さんとお話したり。あの頃はまだユウキと一緒に行動することが多かったっけ、見たこともないポケモンと出会えたときはすんごく嬉しくて、2人してきゃあきゃあ飛びまわってたこともなんとなくだけど覚えてる。しましまのお馬さんみたいなポケモン、水色の小さなお猿さん、随分と首の長いナッシー。あそこは出会いの場所だった。今でもまだ見たことがないそのポケモンたちと、あたしはもう一度出会うことが出来るかな。
 ――どうしてそんなことを思い出したかというと。それはふとトウカシティに立ち寄ったことがそもそもの原因であって、エアームドから降りた瞬間あたしは懐かしいようなそうでもないような潮の香りを感じたのだ。どこから漂うものなのか、微かなそれをたどってあたしはふらふらとさ迷う。そしてたどり着いたのが104番道路、そこに広がる青い青い海だった。
「……なんで今まで気づかなかったんだろう」
 微かではあれど確かに香る海の匂い。それは注意しなければ気がつかないものかもしれないし、この海だってあたしは何度も渡ったはず。それなのになぜか、まるで初めてここに訪れたかのような新鮮な驚きに、今のあたしは包まれている。
 そのことがなんだか嬉しくて、少し情けない。
「エア、シャッ」
「……そうかなあ。余裕、できたからなのかな」
 薄いはがねのつばさを懸命に動かしながら、エアームドはあたしに自分の考えを伝えてくれる。
 納得といえばそうだった。確かにあたしは今までなにかに追い立てられるように、責められるようにここを通っていたと思うし、トウカに来るたび思っていたのはただ1人パパのことばかり。そんなんじゃあこの香りや周りの風景なんて目にも入らなかっただろう。
 ぐるり、辺りを見回してみる。草むらからちょこんと顔を出すのはマメパトだ。先日の一件から大きく変化した生態系により、新しくホウエンで見るようになった――否、3000年の昔から帰ってきたポケモンのひとつ。元はイッシュ地方でよく見られるポケモンのようで、まあるいフォルムと小刻みな動きがとても愛らしい。小さく手を振るとクルッポーとひと鳴きして、マメパトはその場を旅立った。
 目線をあげた先にある、青い海は広大だ。どこまでも、何よりも広く思うそれ。この向こうにはきっとあたしの生まれ育ったアサギシティすら繋がっていて、もしかするとここに流れる海水もアサギの海から来たものかもしれない。海流とか難しいことは今のあたしにはわからないから、まあ全部想像でしかないのだけども。
 ――ホウエンは、きれいだ。とてもあたたかくてのびやかで優しい、命が命のままに在れる場所である。色々なことがあったけれども、あたしはきっとここに来てよかったのだと思う。挫折も苦渋も経験したけどそれらは今のあたしの糧で、未来のために何か活かしていけるとも思えるから。
「……エアームド」
「シャ?」
「あたし――あたし、もう一度ホウエンをまわろうと思う」
 拾いたい、そう思った。今まで自分が取りこぼした「ホウエン」という世界の欠片を、あたしはいま手にしたい。目にしているようで見えてなかったこの土地と、自然と、人々と、ポケモンと、今度こそ歩み寄ってみせるんだと。立ち止まってはいられない。こんなところで1人ぽつんとたってるわけにはいかないのだ。
 未来を見据えて、前を見て。改めて、新しいスタートを切らなくては――!
「……エアームド、ついてきてくれる? みんなも」
 あたしの問に「ムッシャ!」と元気よく返事をするエアームド。ウエストポーチに納められたボールもがたがたと揺れては主張をする、それはもちろん同意の意思表示に他ならない。
 いつだってついてきてくれる。いつも一緒にいてくれる。かけがえのない仲間たちの心強い姿に、あたしは胸の奥がじんわりと燃えるような感覚を覚えた。
「ん、ありがと! じゃあ早速ひみつきちに帰らなくちゃ、いっぱい準備しないとね」
「シャーッ」
 乗れとでも言わんばかりに背を差し出すエアームドへ、あたしは飛び乗るようにまたがる。そして高く高く飛び上がり、この広大な大地を見下ろしながら空を駆けるのだった。
 新しい旅路への、プロローグとして。

 
20170325