夢を託して

 スゥ、とセンリは深く息を吸う。
 吸い込んだ空気を丹田まで落とし込み、数拍の後にゆっくりと吐き出した。
 閉じた瞳を開き、目の前に鎮座するケッキングを見据える。センリが構えればケッキングも臨戦態勢をとり、やあやあ今こそそのときだと言わんばかりに姿勢を低くした。
 トウカジムの最奥部の道場にて、今にも二者のぶつかりあいが始まろうとしている――

 

「…………ケッ」
 ――と思ったのもつかの間、ケッキングは先ほどまでの気迫などどこへやら、ごろりと仰向けに寝転んでなまけ始めてしまった。
 これにはさしものセンリも肩を落とし、どっかりとその場に座り込んでまた深く息を吐く。ダメか、とつぶやく姿は脱力感こそ溢れているが、しかし諦めや失望は微塵も感じられない。むしろ慈愛に満ちた目でケッキングを見つめ、特性との付き合い方を改めて思案しているようだった。
「やはり、手っ取り早く“スキルスワップ”で特性を変えさせるのが最良かな……ううん、しかしそれだとダブルバトルに限られてしまうし、なによりケッキングやなまけを引き取るポケモンの負担が大きい――」
 仮にもジムリーダーを務める人間であるからして、センリが考えるのはただの戦略だけではない。ポケモンの負担や負傷を出来るだけ減らすこと、心身のケアも欠かさずあるべきことが大事である。ポケモンはただの道具ではなく、心ある生き物、パートナーなのだから。
 そしてダブルバトルやマルチバトルだけでなく、おそらく一番機会が多いシングルバトルこそ柔軟に対処していくべきだろう。優先順位をつけつつもどれだって手を抜かず真摯に向き合う、それこそが強さを追い求める男――トウカジムのジムリーダー、センリであるのだ。
「奥が深いな、おまえたちは」
 センリの無骨で大きな手がケッキングの頭部を撫でる。なまけのターンこそ終わったはずだが未だに寝転んだままの彼は、のろのろとした動きでセンリの手のひらに我が身をすりつけようとした。エネコやパッチールとは打って変わった、いわゆる剛毛とも呼ぶべきケッキングの毛が擦り付けられると少々痛みもあるのだが、しかしセンリはケッキングを拒絶しない。むしろ両手で余すことなく撫でくりまわしていた。
 心地よさそうにケッキングがうとうととまどろみ始めた頃、入口の障子がひかえめにノックされる。どうぞ、と静かに返事をすると、現れたのは愛娘であるチイロだった。
「パパッ、差し入れ持ってきたよ! アヤカさんに頼まれたの!」
 ぺかりと笑うその顔は、センリの妻そっくりだった。
 まあるいお盆に乗せられたのは真っ白でふかふかのタオルと急須、湯のみ、色味の違う緑の大福がひとつずつ。肩にかけられた袋にはおそらくケッキング用のきのみが納められているのだろう、不自然にゴロゴロと膨らんでいた。休憩しよ! と明るく言い放ち、チイロはまっすぐセンリのもとへやってくる。
「こっちがチーゴ大福で、これがロメ大福! 近くの和菓子屋さんで人気なんだって」
「ほう、それは楽しみだね」
「ケッキングにもチーゴとロメ持ってきたんだ、すっごく立派なやつだからきっと満足してもらえるはずってアヤカさんも言ってたよ!」
 センリの傍らにお盆を置き、いそいそときのみを取り出しながらチイロが言う。確かに彼女の持つきのみは平均よりも大きく、その芳しさから上等なものであることが容易に想像できた。テキパキと湯のみにお茶をそそいでセンリに差し出すと、予想外にもチイロは寝転がったままのケッキングによじ登って抱きつく。
「あったかい……」
「はは、今の今まで鍛錬していたからな。体があたたまってるんだろう」
「いいなー、お昼寝にぴったりだよね」
 昼下がりという時間帯、あたたかな気候と程よい温もりに包まれて、チイロもケッキングと同じようにまどろみに身をゆだね始めた。うつらうつらとへばりつく愛娘の姿を見ながら、センリもまた微笑む。
「そういえば、おまえは昔からケッキングと仲良しだったな。ホウエンへ遊びに来るたびこうして引っ付いていたよ」
「そーだっけ……あー、それで落ち着くのかなあ」
 もはや半分寝かかっているらしいチイロは、センリへの返事も舌足らずとなっている。ケッキングも懐かしい感触を覚えているのだろう、大きな手をゆるりと動かし、傷つけたり潰したりしないよう注意を払ってチイロの背中に手を置いた。ぽん、ぽん、あやすようなリズムはチイロの眠気を促進させる。
「ケッキングは扱いづらいポケモンだ。能力は高いが特性がネックだし、ナマケロからヤルキモノ、そしてケッキングへ進化を経る、その時々のギャップに苦しむトレーナーも多い」
 1人と1匹を眺めながら、センリは子守唄のような語り口で続ける。その目は優しく細められていた。
「けれど――そう、裏を返せばそれらを克服したとき、本当に心強い仲間になってくれるはずだよ」
 かつて自身が新米トレーナーであった頃を思い出しながら、感慨深そうに言葉を紡いでいくセンリ。初めてナマケロを捕まえたときのこと、言うことを聞いてくれなくて手を焼いたこと、今もなおなまけとのうまい付き合い方を模索し続けていること。
 けれど、たとえどれほど悩まされようとケッキングを手放そうと思ったことは一度もない。元来の責任感の強さはもちろん、必ず彼と強くなる、前を見つめていきていくと他でもないおのれに誓ったからだ。
「おまえなら必ずうまく付き合えるだろう。何故なら私と母さんの子供なんだからな」
 そんな自分と愛しい妻の血を引く愛娘なのだから、きっとケッキングとも睦まじく過ごしていけるだろうという確信に今のセンリは満ちている。ユウキとチイロ、2人も子宝に恵まれた彼は、愛しい子供に未来を託そうと己が努力を決して惜しまない。
「――おやすみ、チイロ」
 いつの間にやら眠りに落ちてしまったチイロの頭を撫でながら、センリは差し入れのロメ大福にかじりついた。

 
20170304