柱の影から誰が見る

「シラシメくんっ! ほんっっ……とーに、ごめんなさい……っ!」
 パァン! と勢い良く手のひらを打ち鳴らすナタネさんは、僕に向かって思い切り頭を下げている。
 ひどく申し訳なさそうな様子は逆に罪悪感すら湧いてしまうほどで、見ていられなくなった僕はすぐに謝罪をやめてもらうよう頼んだ。大好きな人に、自分のせいでそんな顔をしてほしくなかったからだ。
 なんとか頭だけは上げさせたものの、それでもナタネさんは罰が悪そうな顔のまま、もにょもにょと口を動かしている。
「そんなに気にしなくて大丈夫ですよ~。委員会からの招集なんでしょう?」
「うう……それはそう、だけどさあ――」
 いわく、今回はジムリーダー全員に招集がかかっているらしい。会合の予定が入っていたのは僕自身も知っているが、おそらく日付が確定したのがついさっきのことなのだろう。
 ダンサーとして著名なメリッサさんや、むしろジムリーダー自体が副業であるマキシさんなど、この地方のジムリーダーには様々な面子が揃っている。ゆえに全員を集めるとなるとそれなりに困難なようで、委員会も日程の調整には毎回難儀しているらしいのだ。
 ジムリーダーというのは得てして多忙な身なのだろう。僕のような一般トレーナーにはよくわからない領域であるが、いま目の前にいるナタネさんの日常を思えば、それも納得するところだ。
 彼女は副業らしい副業こそしていないけれど、ハクタイシティの人々を助けたり、ハクタイのもりをパトロールしたり……ジムリーダーとしてチャレンジャーに立ちはだかる以外にも、彼女の責務というのは大量に積み重なっているのである。
 だから僕だって、明後日という日が針に糸を通すような可能性のうえに成り立ったものであるということは理解しているつもりだ。それについて苦言を呈するだとか、ナタネさんの気持ちを無下にするような真似をするつもりなどいっさいない。
「今まではなんとか回避してたんだけどね……今年は、どうしても無理みたいなの」
 依然としてしょんぼりしたまま、ナタネさんはそう語る。
 どうしてナタネさんがここまで明後日に気をやっているのかと言われたら――それは他でもない、明後日の九月十六日が僕の誕生日であるからだ。
 あのナタネさんが僕の誕生日のために予定を調整してくれるなんて、数年前の僕ならまったく考えられなかったことだろう。ゆえに僕にとってはこうしてナタネさんが頭を悩ませてくれている、それほどまでに僕の誕生日に意味を見出してくれているという事実だけでも、まるでプレゼントでももらったような気分に浸れるのである。
(本当に、全然気にしてないんだけどな~……)
 僕の言葉は届いているのか否か、こんなところにナタネさんの生真面目でしっかりした部分が発揮されるとは。
「もちろん、この埋め合わせはちゃんとするから……! 本当にごめんね」
 こうして見ると、まるでナタネさんのほうがショックを受けているように思える。この場に似つかわしくない考えではあるが、ナタネさんのなかで僕という存在が膨らんでいるという実感に、ついニヤけそうになる頬を律するので精いっぱいだ。
「大丈夫ですってば。たかだか誕生日ですし、来年だってありますよ」
「でも、今年の誕生日は明後日だけだし……」
「うーん……そうですねえ。じゃあ――」
 僕の声色が変わったことを察したのだろうか、ナタネさんはほんの一瞬肩をゆらして僕の顔を覗き込む。
 怯えているようでも、期待しているようでもある橙の瞳。陽だまりの暖かさと生命の息吹を感じさせるその色が僕の言葉で揺らいでいるという事実は、この胸を強く鷲掴みにした。
 どこか嗜虐心をそそる様子を前に、僕は喉を鳴らしそうになるのを必死に抑える。こんな欲にまみれた自分を知られるわけにはいかないからだ。
「“埋め合わせ”の日は、まる一日ナタネさんを独り占めにさせてくださいね。もちろん、ロズレイドたちにも渡しませんよ」
 我ながらひどくみみっちいセリフを吐いたとは思うが、僕が大人気ないことなんて、ナタネさんはもちろん、共に暮らすポケモンたちも嫌というほどわかっていることだろう。
 最近はオレンジすら難色を示すようになってきていて、さすがにトレーナーとしての申し訳なさや情けなさを感じていたりするのだけれど――それでも、僕はやめようと思わなかった。思えなかった、といったほうが正しいかもしれない。
 ナタネさんの後ろに控えていたロズレイドが大きくため息を吐くのが見える。おそらく他のポケモンたちに何かを伝えに行くのだろう、はたまた空気を読んでくれたのかもしれないが、彼女は音もなく廊下のほうに消えていく。
「も……もう。いっつも、そういうこと言うんだから……」
 いつもならポケモンたちを蔑ろにしちゃダメだとか、冷静な判断を欠くのはよくないとか、ちょっとしたお言葉をいただいたりするのだけど……今日は予定を反故にしてしまう負い目があるせいか、普段のようなお説教が飛んでくることはない。
 うっすらと笑う僕をまえに、やがてナタネさんは僕の思惑や様々なことを察してしまったようで――困ったような、観念したような、ひどく複雑な顔をして頷いたのだった。

 
夢主の誕生日でした
2022/09/16