こうかは ばつぐんだ!

「あっ……そ、そういえば、シラシメくんってじてんしゃ乗れないんだっけ……」
「…………」
 新しいじてんしゃがほしいんだよね――そう言ったのはナタネだった。
 あたし一人じゃ見方が偏るかもしれないし、よかったら一緒に選んでもらっていい? 愛する人からの可愛らしいお願いを前にして、よもやこのシラシメに断る理由などあるはずもない。
 けれど、正直なところほんの少し憂鬱だった。ナタネのことは大好きだし、彼女の言うことならばすべて叶えてさしあげたいけれど、それはそれとしてあまり好ましくない事情もあるのだ。
 ゆえにロズレイドたちに選んでもらうのはどうか、とさり気なく逃げの一手を打ってみたのだけれど、返ってきたのは照れ臭そうな笑みと「シラシメくんと一緒に選びたいんだ」というこれ以上ないくらいのお言葉で。
 とうとうシラシメは断りきれず、足取りの軽い彼女の背中を追いかけることとなったのだった。
 
 いささか憂鬱ではありつつも、なんとかおのれを奮い立たせてサイクルショップじんりきにやってきたのはほんの十分ほど前のこと。今までほとんど立ち寄ったことのない店内は思ったよりもすっきりとしていて、陳列物はどうあれなんとなく心浮くような気がする。
 シラシメの気分が上がったことを察したのか、ナタネも出発直後よりは嬉しそうなふうに見えた。気を遣わせてしまったな、とにわかに反省する。
 当初よりは会話も弾むなか、じてんしゃを吟味しながらぐるぐると店内を練り歩いていたときのことだ。シラシメにとって、最も恐れていたと言っても過言ではない質問が投げかけられたのは。
 ――そういえば、シラシメくんは自分のじてんしゃ買わないの?
 刹那、シラシメの時間は停止する。歩みは止まり、言葉もつまって、とうとう動けなくなってしまった。
 不自然に途切れてしまった会話のキャッチボール。さすがのナタネも違和感を覚えたのだろう、じてんしゃにやっていた視線がシラシメへと戻った直後、血色が良かったはずの顔面はすっかり真っ青になった。
 ――そして、会話は冒頭に戻る。
「ご、ごごご、ごめんね!? あの、あたしっ、べつに他意があったわけじゃなくて――」
「わかってます。大丈夫ですよ、これくらい……」
 なんとか絞り出した言葉は想像よりも掠れていて、おのれの情けなさに視界が歪みそうになった。
 幸か不幸か、ハクタイシティの南にはクロガネシティとこの町を結ぶ立派なサイクリングロードがある。ハクタイジムに立ち寄るたび目に入っていたあの荘厳なゲートを前に、シラシメはいつも思っていた。
 この町に生まれておいて、どうしてここまで無様なふうに育ってしまったのだろう、と。
「移動ならチェリーに頼めば余裕ですし……べつに、じてんしゃに乗れないくらいで人生を損してるとか、そんなんじゃ、ないので」
 負け惜しみを述べる間にも、シラシメのターコイズはみるみるうちに濁ってゆく。
 以降、二人の間でじてんしゃの話題はタブーとされ、結局何年経ってもこの話が出ることはほとんどなかったのであった。

#いいねされた数だけ書く予定のない小説の一部を書く
2022/11/01