アタックしてます十七歳

 りんりんしゃんしゃん。かわらずのいしを咥えたリーシャンがそこいらを跳ねまわる度に、心を癒やすような鈴の音が鳴り響く。
「ピアー、あんまり遠くまで行かないようにね~」
 シラシメに声をかけられて喜んでいるのだろうか。リーシャンはさっきよりも高らかに、ひどく楽しそうに木々の隙間や草むらを跳ねまわって遊んでいる。
 時おり野生ポケモンにぶちあたってはじゃれあうリーシャンを眺めながら、いつからか「もりをみるひと」と謳われるようになったシラシメはへにゃりと笑ってみせた。彼こそが件のリーシャンのトレーナーであり、切り株のうえにゆったりと座って木々のそよぐ声を聞いている。
 しかし彼の忠告なぞ知らんとばかりに、未だリーシャンはあっちこっち好き勝手に跳ねまわっていた。ぴょん、ぴょん、ぴょーんとある種の規則正しさをそなえつつ、今までで一番高い位置まで跳ね上がったリーシャンをがしりと掴んだのは、同じく彼のポケモンであるホーホーだ。
「あーあ……ありがとうね、チェリー」
 満足気に笑うホーホーは、リーシャンをシラシメに届けるとちょこんと彼の隣に降り立つ。余談だが、ホーホーが「チェリー」と名づけられたのはその両目がチェリーと言われる果物に似ていたからだ。
「今度言うこと聞かなかったらー、ボールに戻ってもらうからね」
 そう言ってリーシャンを膝の上に乗せる。彼は遊び足りないのかうずうずと辺りを見まわすリーシャンと、リーシャンをここまで運んでくれたホーホーを優しく撫でた。二匹とも気持ちよさそうに笑う顔がひどく愛らしい。
「うん……? ……ブルベリー、どうかした?」
 一瞬で空気がひりついたのは、シラシメの脇でまどろんでいたガバイトがさっと顔を上げたからだ。彼のガバイトは人やポケモンの気配に敏感で、何かが近づくとこうしてすぐに知らせてくれる、いわゆるガードマンの役割を担っていた。
 けれど気配の主を確認すると、ガバイトは張りつめていた空気をすぐさま和らげ、再びまどろみのなかへと帰ってゆく。程なくして寝息が聞こえ始めたのは心底気を許していることの表れだ。
「やっぱりここにいた。シラシメくん、見ーっけ!」
 草影の向こうから現れたのは他でもない、シラシメが長年恋焦がれてやまないナタネだった。
 今日も鮮やかな緑のケープを翻す彼女の来訪に、シラシメは目尻をうんと垂れ下がらせて笑った。

「それにしても、本当によく会うねえ」
 鉢合わせる度、こうして他愛ない会話を交わすようになったのはいつからだったか。
「初めて会ったのもハクタイのもりだったよ。まさかシラシメくん、ここに住んでたりして……」
 何気ない動作で隣に座ってくれるようになったのはいつからだったか。
「あははは! なんちゃって、さすがのシラシメくんでもそれはないよねー」
 笑顔を向けてくれるだけで幸せだったのに、それ以上の関係を望むようになったのはいつからだったか。
「って……シラシメくん、聞いてる? もしもーし!」
「あうぇあ!?」
 意識を取り戻した瞬間、目の前にあったのは少しだけむくれたナタネの顔。
 出会った頃より大人びて――年下の自分が言うのもおかしな話だが――すっかり大人の女性になっているはずなのに、こうして時おり少女のような振る舞いをするから彼女はたちが悪い。
 もちろん何か裏があってのことではなく、ありのまま生きているからこそのコレだ。別に男に媚びようとしているわけでも、何かしらの魂胆があるわけでもなくて、彼女はただ思うままに行動しているだけである。
 人間とはギャップに弱い生き物だ。年上のお姉さんである彼女が幼い振る舞いをするという、そのギャップにシラシメは日頃から感情をめちゃめちゃにされていたりする。
 こんなんじゃ他の人までナタネさんのこと好きになっちゃうよ――そうやってライチュウに相談したのは、つい数日前のことだった。
 突然のナタネの顔面に心底驚いてしまったシラシメは、背中をふかふかの草むらにくっつけながら青い空を仰いでいる。あまりの衝撃にお気に入りの切り株から落ちくれてしまったのだ。
「えっと……大丈夫? 立てる?」
「は、はぁい……いてて」
 おそらくシラシメのリアクションが予想外だったのだろう、ナタネはいささか面食らったような顔をしながら、彼のほうへ手を差し伸べる。
「もう……本当にぼーっとしてるんだから」
「あはははは……面目ないです」
 普段はのんびりとしているくせに、バトルの時だけ人が変わる……そうなったのはいつからだったろうか。
 昔から機敏に動くのは苦手だった。人よりもワンテンポツーテンポ遅れるのが常だった。そんな性格、気性、性質が災いして、いつしか「人とは違うものが見えている」と陰口紛いのことを吐かれるようにもなっていった。
 両親があまり家に寄りつかないのも、もしかすると自分がこうだからかもしれない――そんなふうに疑心暗鬼になっていたのは、とうの昔のことだけれど。
 ただ、今のシラシメにとってそんなことは最早どうでもいい。別に誰に何を言われようと自分を曲げようとは思わない。少しずつ少しずつ、森と過ごす時間を、一人と数匹で過ごす時間を増やしていけばいいだけ。
 群れて強くなった振りをしている愚か者たちに染まるよりは、こうして自由で穏やかなひと時を過ごすほうが何倍も建設的だし気持ちがいい。
 森が好きだった。森と生きていくことが好きだった。自然は自分を否定しない。ただ柔らかく包み込んで、すべてをあるがままにしてくれる。ここにいれば心身がひどく癒やされたし、心に起こる数多の波紋がすぐに静かになってゆく。
 そして何よりこの森は、自分と彼女との出会いを、彼女を守るための力をくれた。
 常人なら苦く思うような経験ですら、彼女と出会わせてくれた大事なきっかけの一つだと思ってしまうほどに、シラシメはナタネに惚れ込んでいたのだった。
 ――だって彼女は、つらいときに自分を助けてくれた初めての人だったのだから。
 腰についた土を払いながら立ち上がるシラシメを、ナタネが訝しげに見つめてくる。なんですか、と微笑みながら答えてやると、彼女はうーんと首を傾げて問うてきた。
「シラシメくんさあ、もしかして恋人にでも会ってるの? 本当にいつでもいるんだもんね」
「そうですか?」
「そうだよ。あたしはジムリーダーだから、パトロールも兼ねてここには度々足を運んでるけど……そのあたしより入り浸ってなあい?」
 ここまで純粋かつ素朴な疑問をぶつけられると、今までの七年間は果たして何だったのかと少々悲しくなってくる。天然なのか鈍いのか、幸か不幸かこの恋心はまったくと言っていいほど気づかれてはいないようだ。
 ならば、少しだけ攻めてみることは許されるだろうか。彼女の心を揺さぶってみてもいいだろうか。普段自分が彼女にやられていることの、ほんの上澄みくらいでいいから、彼女の心に少しだけ、優しく爪を立ててみたい。
 シラシメは、先ほどまでとは打って変わってイタズラな笑みを浮かべた。途端ナタネは怯むような顔をしたが、今さらどんなリアクションを取ろうと遅いのだ。
「……恋人は居ませんけどー」
「あら意外。お年頃なのに」
「んー……僕、ずーっと片想いしてる人が居るんです。その人に会いたくて――」
 ナタネは、シラシメのもったいぶったような視線と、途切れた言葉のその先に集中している。
 出方を窺う様子はかつてのジム戦を思わせるようで、それはつまり彼女がシラシメという存在に一心になっているということだ。
 その事実がひたすらに嬉しくて、どこか快感でもあって。ああ、このまま時がとまってしまえば、ハクタイに祀られている時間の神が願いを叶えてくれればいいのに……なんてことばかり考えてしまう。
 そうこうしているうちに何かを察したのだろうか、ややあってナタネは顔を真っ赤に染めて俯いてしまった。顔を覆う指の隙間から覗く頬、同じく赤くなった耳、唸るような声。そのすべてが可愛くて、嬉しくて仕方ない。
 あのナタネが自分を見てくれている、自分を意識してくれている……これ以上に、この心を満たすものなんてあるだろうか。
「――あのときの、ピーピー泣いてた可愛いシラシメくんはどこ行っちゃったのかしら」
「え〜? やだなぁ、成長したんですよ、この僕もー」
 なんとか調子を取り戻したナタネが顔を上げる頃には、普段通りのへにゃりと力の抜ける笑みに戻っていたけれど。その裏にある「何か」の存在を知られてしまった今、もうきっと、彼女が純粋な気持ちでこの笑顔を見てくれることはないのだろう。
「――意地悪になったね!」
 減らず口のついでにあっかんべと舌を出して去っていく彼女に、シラシメはけらけらと笑った。

2021/10/13 加筆修正