バラと蜂蜜

 バラ色の絨毯を踏みしめながら歩く屋敷内は、噂に違わぬ品性を保った造りをしていた。これだけの資産があれば大抵の人間は華美なインテリアをここぞとばかりに飾りつけるものだが、どうやらこの屋敷の主はその法則に当てはまらないらしい――
 彼がスターピースカンパニーと懇意にしていることは情報として知っている。関係を持ちはじめたのはアベンチュリンがその名を受け継ぐよりも前であるため、顔を合わせるのは今回が初めてのことだが――いくら評判が良かろうとも警戒するに越したことはないだろう。
 アベンチュリンの疑心を煽るのは、玄関から応接間までの道中ですれ違った使用人が極端に少ないこと……それから、今回の会合に部下を連れてくるのは控えてくれと告げられたことだ。
 応接間の扉の前、彼はまるで何かに祈るように目を閉じて、ゆっくりとした深呼吸を繰り返す。
 ――大丈夫だ。今回だって、絶対に負けたりなんかしない。
 意を決して、ロードナイトの施された分厚い扉に手をかける。重苦しい扉の向こう側には、厳格さのなかに慈愛を秘めた瞳の男性と、見慣れた蜂蜜色があった。

 
  ◇◇◇

  
 アベンチュリンの元に一通のメッセージが届いたのは、数ヶ月前のことだった。差出人は面識こそないが見覚えのある名前で、いつものよくある宣伝メッセージか何かのようであったが――その隙間に、カンパニーからの傍受を掻い潜るような暗号化メッセージが残されていたことを、彼は決して見逃さなかった。……もしかすると、ある種の直感的な何かが働いたのかもしれない。
 暗号化されたそれをひとつずつ紐解いていくと、時候の挨拶から始まる折り目正しい文章が顔を表した。礼節を重んじた文面には、淡白ながらもひどく重たい感情が載せられている。

『君がエヴィキン人の生き残りであるという噂を耳にした。そんな君に、無礼を承知でひとつ頼みたいことがある』

 ただのイタズラだと撥ねつけられたらよかった。適当にかわして処理をする、いつもどおりのやり取りで流してしまえればどれほどよかっただろう。
 しかし、そうであってはいけないと叫んでいるのが聞こえたのだ。胸の奥から鳴り響く警鐘は、このメッセージを無視してはならない、逃げることなんて許さないといったふうに、どんどんとその音を激しいものへと変えていった。
 やがて頭痛でも起こりそうなくらいのけたたましさを覚えながら、彼に合意のメッセージを返信した。
 危険は承知のうえであるが、それでも勝利を確信した。この出会いはきっと何かしらの収穫をもたらしてくれるはずだと――ゆえにアベンチュリンは、此度もおのれの「命」を賭けて、その申し出に応じたのである。

 
  ◇◇◇

 
 既視感を激しく刺激する蜂蜜色は、きっともうこの銀河中どこを探しても相まみえることはないと思っていたものだった。
 希望を捨てきれない反面、諦めは常につきまとう。もう二度とそのきらめきを目に移すことはないと、砂塵の隙間で跳ね遊ぶそれと戯れる機会は一生訪れないと思っていた。
 今日ばかりは手だけではなく、足まで震えているようだ――動揺をさらけ出さないよう、サングラスの奥で数度まばたきを繰り返す。アベンチュリンが三度目の呼吸をする頃、屋敷の主はちいさく咳払いをして、粛々と口を開いた。

「紹介しよう――この子は私の娘、ダーリヤだ。見てのとおり、君と同じエヴィキン人の生き残りだね」
「はは、何を言っているんだい? エヴィキン人の生き残りが、僕以外に存在しているわけ――」
「その答えは、他でもない君自身が持っているのではないのかね」

 屋敷の主はいっさいの感情を孕まない声で語る。その言葉のひとつひとつがまるでナイフのようにアベンチュリンの胸を突き、遂には彼の喉から言葉という言葉を奪っていった。商人としてあるまじき失態だ。
 苦渋を隠さないアベンチュリンとは裏腹に、彼はやはり落ち着き払った様子で言葉を次ぐ。その口から吐き出される言葉はどれもが確かな重みを抱えており、嘘偽りなんてどこにもないと知らしめてくる。

「私の頼みごとはただひとつ。君にはこの子の――ダーリヤの、友人となってやってほしいんだ」

 ダーリヤ――なんと懐かしい響きだろう。二度と耳にすることはないと思っていた、紛うことなきエヴィキン人の名前だ。
 何も言えないまま、ダーリヤのほうへ目を向ける。相変わらずまばゆい光を湛えた蜂蜜は、鮮やかなバラ色のリボンで上品に彩られていた。
 華奢な体にはあまり似つかわしくない、物々しくもすらりとした義手もまた、強くアベンチュリンの目を引く――しかし、エヴィキン人の境遇を思えばそれが何によってもたらされたものなのかくらい、考えずともわかることだ。

「はじめまして、アベンチュリンさん! わたし、あなたに会えてとても嬉しいわ……!」

 ――共感覚ビーコンを通さずともわかる。これはかつてツガンニヤ-Ⅳで使われていた言語で、もう何年も耳にしていない音だ。いよいよ視界が揺らぐのを感じながら、アベンチュリンはダーリヤの瞳から目が離せなくなっていた。
 彼女は故郷の空のごとく抜けるような笑みを浮かべながら、まっすぐにこちらを――カカワーシャのことを見ている。

 
 2024/05/10