「公子」の導き

 人間には、生まれつきの素質というものがある。それはいわゆる才能と呼ぶべきもので、多かれ少なかれその人の運命を決定づけるものであるだろう。
 しかし、結局のところそれもただの判断基準のひとつでしかない。最終的には当人の信念や経験、それら様々なものが複雑に折り重なって、戦士としての「強さ」を形成していくのだ。
 才能なんてもので簡単に諦めてしまうような人間は、俺の道にはついてこれない。言ってしまえば俺のミラだって、戦いの才能なんてものにはまったく恵まれていない、凡人以下の子供だった。ゆえに彼女はおのれのなかに眠る「争いの種」との間で接触不良を起こし、長らく憂き目にあってきたのだろうと思う。
 けれど、それはもう昔の話だ。彼女は初めて会った頃の、モンドという檻のなかに囚われていた小鳥じゃない。彼女はもう「俺のミラ」となった。
 ミラは俺がどんなに過酷な試練を与えても、文句こそ言えど決して弱音を吐いたりしない。食事を受けつけなくなるくらい心身が疲弊しても、悔しげに泣いて、膝をかきむしるような姿を見せても、その口から弱音や諦めの言葉がこぼれ落ちることは一度もなかった。
 だからこそ、俺は彼女に期待しているし、彼女のことを愛したのだ。彼女の覚悟に応えたい。それほどまでに強い意志で、俺についてくるためだけに強くなりたいと思っている、その確固たる信念を見届けたいと思っている。どこまでついてこれるか? どのくらい強くなれるのか? はたまた、その「意志」の先に彼女は何を見るのだろうか――それらを考えるだけで、俺は血潮が沸き立って仕方がない毎日だ。
 新兵訓練なんかとは比べ物にならないやりがいと高揚感を、俺は彼女との日々で過剰なほどに摂取していた。それこそ、彼女のなかに在る「争いの種」なんてものが、もはや気にならなくなるくらいに。
 
 今日は璃月港から少しだけ足を伸ばし、天穹の谷のほうまで来ている。人通りの少ないこの場所であれば思う存分暴れられるし、仮に元素が暴発しても被害は最小限で済む。
 
「ああ、ほら。姿勢が傾いてるよ。もっと集中して」
「うっ……わかっ、た」

 俺の指摘を受けたミラは、まだまだ不格好ではあるがしっかり姿勢を正し、駆けまわるイノシシをしかと射抜いた。端々に不慣れな様子は見えるものの、その成長は目覚ましく、俺は弟子の成長に密かな喜びを感じている。
 俺が技術を仕込むにあたって、意外にもミラはメインの得物に弓を選択した。俺が普段から使っているせいもあるのだろうが、どうやらそれ以外にも何かしらの意図があるらしい――もっとも、その辺はあまり触れられたくなさそうだったので、追求することは控えておいたが。
 俺自身弓の扱いは苦手なほうであるけれど、人に何かを教えることは復習になるし、おのれの鍛錬につながる。それが気骨ある彼女相手なら尚のこと――ゆえに俺は、訓練において積極的に弓の指南を行っていた。
 やがてはもっともっと深いところまで、俺の技術を伝授してやりたい。例えば、彼女にも風元素で双剣を創り出す技術を習得させ、それをたやすく操れるように。そして、やがてはこの俺と手合わせができるようになるまで、彼女を鍛えたいのだ。
 そうして、彼女の「戦い」における根幹に、俺という存在を刻みつけてやりたい。生まれたての戦士に俺のすべてをつぎ込んで、一人前かつ唯一無二の戦士として仕上げてみたいのだ。
 ……ああ、もしかすると師匠もこんな気持ちで俺のことを鍛えてくれていたのだろうか――なんて、そんなわけはないか。あの恐ろしい人が俺にたいしてここまでの感情を持っていたはずはない。
 
「ねえ、ミラ。ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いい?」

 俺がそう言うと、ミラはちいさく肩を跳ねさせてから訓練用の弓を降ろした。その瞳には確かに怯えの色があるようで、おそらく俺がまた厳しく指摘の弾丸を飛ばしてくるとでも思っているのだろう。
 そんなことはないよ、と落ちつけるために、まるい頭に手のひらを置く。ただそれだけで張りつめた緊張の糸を少しばかり緩ませる、その素直さがいやに愛おしく見えて頬が緩んだ。

「君は、『戦うこと』が嫌いかい?」
「え……?」
「君にとって、『戦うこと』って何なんだろう」

 哲学じみた俺の問いかけに戸惑っているのか、手首越しに見えるミラは迷うように視線を落とした。
 彼女が闘争を嫌っているのは、一年にも満たない付き合いの俺ですらたやすく見て取れることだ。宝盗団相手に抵抗らしい抵抗もできず丸まっていたあの背中は、「争いの種」なんていっさい想起できないほど弱々しく、痛ましかった。
 俺は、よりによってそんな彼女に闘争の世界へと足を踏み入れさせている。まるでその「運命」を捻じ曲げるかのように、ひどく乱暴な方法で、だ。
 たとえそれが彼女自身の望んだことであったとしても、そこにノイズがあっては決して強くはなれないし、俺とともに歩むことだってとてもじゃないが無理だ。だからこそ、俺にはそのノイズを取り除き、彼女の決意を腐らせぬようにする義務がある。それが、師匠として、はたまた一人の人間として、彼女に果たすべき「責任」であるから。

「わ……わたし、は、」

 ミラの手は、あからさまに震えていた。
 細い指が握りしめている訓練弓にはところどころに汗染みがあり、ここ数ヶ月の彼女が訓練と真剣に向き合っていることがありありと伝わってくる。俺としては誇らしい限りだ。
 
「その……正直、戦うことが好きじゃないのは、そう。人を殴るのも、殴られるのも、ずっと怖いし、痛いし……」
「うん」
「でも、だからってやめたくない! そんな、怖いってだけでやめちゃうような軽い気持ちで、一緒に行きたいって言ったわけじゃないもん」

 訓練弓を強く握りしめながら、ミラはそう続けた。
 思えば、最初は弓を引くのすら覚束ないくらいだったっけ。それが今や少しずつ実地訓練もできるようになり、百発百中とはいかずとも、命中率も上がってきた。
 武器を握ったことすらなかったであろう少女の成長は、「執行官」としての俺ですら、贔屓目なしに評価できる。きっと、元来努力家な性質なのだろうな。
 
「……わたし、弱い自分を殺したかった。最初はほんと、死んじゃいたいくらいの気持ちで璃月まで来たんだけど……でも、タルタリヤはそんなわたしに新しい名前を与えて、弱いわたしから生まれ変わらせてくれたでしょ。だから、今のわたしはタルタリヤのそばにいて、タルタリヤのためになるのが一番の目的なんだけど……でも、タルタリヤと一緒にいるためには、強くならなきゃいけない」

 ミラは、堅氷の瞳を静かに閉じて思い耽る。きっと、そのさざ波がかけめぐる心中を落ち着けようとしているのだろう。
 
「この道の先に何があるかとか、タルタリヤが何を目指してるかとかは、まだよくわかんないけど……わたしの目的やここにいる意味はずっと、あなたの近くにある道を歩むこと。だからきっと、わたしにとって『戦うこと』はただの手段でしかないんだと思う」
 
 そう言い放つミラは、先立ってまでの怯えなんて知らぬとでも言いたげに、まっすぐ俺のことを見据えていた。
 ――相変わらず、美しい瞳だ。きっと、これから先どれだけの苦境に立たされても、どれだけの痛みに苛まれても、彼女の瞳が濁ることはないのだろう。俺は、この澄んだ瞳をひどく愛している。
 彼女の答えや思想は、俺の掲げるそれとは異なるものだったけれど――しかし、だからこそ面白いと思う自分がいるのも確かだった。
 この少女は、どこまでもこの俺のことを楽しませてくれるらしい。震える足で立ち上がって、か弱い腕で武器を握って、それでもいっさいの弱音は吐かずに、懸命に前を向いている。俺のためにその在り方を根底から変えようとしている、その事実は何よりも俺を掻き立てて、またひとつ彼女への感情を強いものへと変えた。
 人は皆、戦うことの意味を理解しないと強くなれない。才能なんてものはやはり関係がなくて、むしろこの意志の強さこそが彼女の持つ才能のひとつであり、彼女が一人前の戦士になりうる可能性を示しているのだ。
 俺の愛した少女はもうすでに、戦士としてのおおきな一歩を踏み出している。

「……うん、いいね。合格だ。俺は好きだよ、そういうの」
「は……」
「アハハ、そんな顔しないの。――さ、訓練に戻ろうか」

 俺の「好き」という発言に反応したのか、ミラは一瞬で表情を崩し、うろうろと視線を彷徨わせる。その少女じみた振る舞いもまた、俺の関心を強く引きつけてたまらないのだった。

 
2024/09/20