辟斐?繧医≧縺ェ蛹也黄

 夢中になって駆けている最中、とうとうわたしの両足はもつれ、その場に倒れ込んでしまった。璃月港を飛び出してから気づけば人気のない郊外まで出てきてしまっていたらしく、転んだわたしを助けてくれる人なんて、当たり前だがどこにもいない。
 痛む膝を押さえながらなんとか立ち上がろうとするも、寝不足による体調不良も相まってかうまく起き上がることができず、わたしはこみ上げる吐き気に抗いながら、惨めに地べたを這いずって体を運ぶ。
 休むのであれば、せめて日陰のあるところに――そう思ってすぐ目の前にあった木陰を目指し、必死に体をくねらせて進んだ。なんとかたどり着いた木漏れ日の下に座り込み、ぼやける世界を眺める。正直なところ、意識はひどく朦朧としていた。

(少し休めば、よくなるはず……そうしたら、今日はもう旅館へ帰ろう)

 こんな状態で出歩こうとしたのがそもそもの間違いだったのだ。璃月は故郷よりも気温が高く、夏には熱中症患者が出てしまうくらいであるらしい。わたしはおのれの浅はかさを思い知るように唇を噛み、旅館に帰ったら冷たい水をたくさん味わおうと決意する。
 背後から忍び寄って来る足音に気がついたのは、そうして引きつるような深呼吸を何度か繰り返した頃だった。どう考えても不穏なその音色にわたしの心は乱れたものの、疲れきった体は視線で存在を確認するのがやっとであり、そこから何をすることもできなかった。
 彼らが宝盗団のメンバーだと理解したあとも、わたしの体はちいさく震えて強張るのみだった。弱った体にできることなんて、その下卑た笑顔がゆっくり近づいてくるのを見守ることくらいである。

「よう、嬢ちゃん。こんなところで何してんだ?」
「……ちょっと、休んでて」
「ハハッ、そうかそうか! ま、この暑さじゃあ仕方ねえか」

 悪党とはかくもにこやかなものなのか、リーダー格と思しき男は口振りだけならひどく友好的である。両目はぎょろりと値踏みするような視線ばかり投げてきているが、すぐにでも手を上げそうな気配は見せない。
 ――しかし、そう思ったのも束の間だった。男はわたしの目の前にしゃがみ込んだかと思うと、無骨で汚らしい手をためらいなく伸ばしてくる。目当てはわたし自身ではなく、わたしの抱える荷物のほうだ。
 
「おいおい、ずいぶんと立派なカバン持ってんなあ? その中身、俺たちにもちょっと見せてくれよ」
「あっ……!」

 言うや否や、男はひどく乱暴にわたしのカバンを取り上げた。それを無作法にひっくり返して、中身をがらがらと地面に散らす。読みかけの本、旅館の鍵、ハンカチ、宝物の栞――わたしの大切なものたちが、見るも無残なかたちであっという間に土にまみれた。
 しかし、彼らが目につけたのはもちろんわたしの宝物たちではなく、カバンの底からぽとりと出てきた「神の目」と、ひどくちいさなモラ袋だった。「神の目」は故郷にいた頃授かったもので、モラ袋は数日分の生活費をちいさくまとめたものである。
 貯金のほとんどは旅館に置いてある荷物のなかだ。さすがに全財産を持ち歩くのは危険極まりないので、そこから必要なぶんだけを崩し、取り分けるようにしていた。彼が手に取ったのはそのひとつだ。
 男はわたしのモラ袋を無遠慮に覗き込んだあと、つまらなそうに肩を竦めてわたしのことを嘲ってきた。「神の目」は子分に投げ渡している。

「ケッ! 身なりのいい女だからもしかしたらと思ったが、これっぽっちしか持ってねえのか」
「か、かえして……」
「あ? 返すわけねえだろ! こいつは俺たちがうまく使ってやるよ、おまえみたいなクソガキよりはな!」
「だっ……だめ! それは、お父さんたちの――!」

 いくら少額であるとはいえ、あのモラ袋のなかには家族のぬくもりが残っている。先立つものがなければ何にもならないからと言い訳混じりに連れてきた、捨てていくことのできなかった家族との思い出のひとつだ。
 それにしがみついてしまうのは、捨てなければならないはずの過去に縋る、醜くて弱い「わたし」が生きているからに他ならない。殺さなければいけないとわかっているくせに、考えるよりも先に体が動いていた。わたしはモラ袋を持つ宝盗団に吐き気も忘れて飛びついて、勢いのあまり取り落としたそれを拾い、体を丸めて必死に守る。

「ッ……このガキ! 痛い目見なきゃわかんねえようだな……!」

 刹那、男は逆上したようにわたしの背中を蹴りつけてきた。それに連なるように他のメンバーたちもぞろぞろと集まってきて、わたしの丸まった体は即座に取り囲まれてしまう。
 乱暴なかかとは何度もわたしの背中を抉り、汚して、まるで火でも出そうなくらいの痛みをもたらしてきた。その熱は塞がっていたはずの傷口が開いたような錯覚までもを与えてきて、わたしから正常な思考のいっさいを奪っていく。
 いやだ、やめて、ごめんなさい、許してください――まるでうわ言のように泣き叫びながら、わたしは体を開くこともできずに、ずっとモラ袋を抱えて縮こまっていた。半ば錯乱したように声をあげるわたしに対して、もしかすると宝盗団の人たちも面食らっていたかもしれない。
 背骨を躙るような痛みがふっと和らいだのは、どこか遠くで水しぶきが起こるような音が聞こえてきた、その直後のことだった。

「……、う……?」

 惨たらしい猛攻がすっかり収まって、なんの音沙汰もなくなった頃。わたしはおそるおそる瞼を開き、縮こまっていた暗がりから、明るい陽射しのほうへと目を向けた。
 ぼやけた視界に映ったのは、間抜けな顔を晒してひっくり返る宝盗団たちと――水元素と返り血をまとって晴れやかに笑う、タルタリヤさんのすがただった。
 おぞましく揺らめいたマフラーにおびただしい量の血を塗りたくられた彼は、その様相には似つかわしくないほどの笑顔を浮かべて、ゆっくりとわたしの元へ歩み寄ってくる。
 ――その足音は、さながら暗転へのカウントダウンのようだった。しっかりと土を踏みしめる戦士の歩みが、まるで死刑宣告のように、わたしの世界を一気にひっくり返す。
 ひゅ、と喉の奥から奇妙な音が鳴ったのは、きっと気のせいではない。

「大丈夫? ……ああ、ずいぶんと縺イ縺ゥ縺上d繧峨l縺溘∩縺溘>縺?縺ュ」

 二度目の瞬きをしたあと。視界の真ん中にいたはずのタルタリヤさんは忽然と消え、代わりに得体の知れない化物が姿を現した。
 突拍子もなく現れたのは燃えるような輪郭をまとったおどろおどろしい怪物――そう認識した途端、わたしの口からは言葉にならない叫び声ばかりが漏れる。
 ――近寄らないで! そう吐き出したつもりだけれど、きっとこの怪物にはわたしの言葉なんていっさい通じないのだろう。彼が歩みを止める気配は微塵もなく、まるで処刑を焦らすサディストのような足取りによって、わたしたちの距離はゆっくりと、たしかに縮められていった。

「縺ゅ≠縲√%繧薙↑縺ォ諤ッ縺医■繧?▲縺ヲ窶ヲ窶ヲ縺セ縺」縺溘¥縲∝ョ晉尢蝗」縺」縺ヲ縺ョ縺ッ繧阪¥縺ェ縺薙→繧偵@縺ェ縺??」
 
 言うことの聞かない体をなんとか動かして逃げようとするも、疲れと痛みが今頃になって響いてきたらしく、わたしはさっきまで身を預けていた木の幹に背中を擦りつけることしかできなくなってしまった。歯の音も合わない愚かなわたしには、目の前に迫りくる恐怖のかたちをしたそれを、ただひたすらに受け入れるしかできないらしい。
 どれだけ泣いて喚こうとも、その化物がわたしのつま先まに迫るのをとめることはできない。やがて真っ赤に染まった手のひらが頭上へと振りかざされ、わたしは今度こそ死んでしまうのだと本能的に理解した。諦めてからは早く、祈るように両目を閉じる。
 しかし、その手のひらから暴力的な衝撃が飛んでくることはなく――むしろ、その場に似つかわしくないほどの優しさを持って、わたしの頭を撫でてきた。困惑のあまり目を開けると、そこにはやはり燃える怪物の姿があったが――その奥に真っ青なふたつの光と、ぼんやりとした笑みが見えた気がした。
 怪物はわたしの頭に置いていた手を下ろし、今度は無遠慮にわたしの頬を掴んでくる。ぼやけたそれは人のかたちを成していないふうに見えるのに、なぜだか指先に似た感触を得ることができた。

「菫コ縺ョ縺薙→縲√o縺九k?」
「え……あ、ゔ、っ」
「菫コ縺ョ逶ョ繧見て。……ほら、どう?」
「ぁ……っ、は、ッたる、たりや、さん――」
「うん、そう。俺だよ。……落ちついた?」

 三度目の瞬きをした瞬間、怪物はさっと姿を消し――代わりに、タルタリヤさんがそこに座り込んでいた。相変わらずの人懐っこい笑みは返り血で汚れているが、今は不思議と、そこに恐ろしさを感じない。
 むしろ、その笑顔に言いようのない安心感を抱いてしまったのも事実で――途端、急激に襲いくるのは抗いがたい眠気だった。わたしはそれに抵抗することができず、気を失うかのように目を閉じる。
 最後に見たのは、おおきく見開かれた彼の瞳。流れる血だまりすべて洗い流すような、深い、深い海の色だった。

 
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2024/06/26