二年目のわたしたち

 なんてことない平凡な朝が、至上の幸せであることを知っている。ぱち、ぱち、寝ぼけ眼を瞬きしても消えたりしない愛しい人が、すぐ目の前にいることも。
 ハーネイアのみならず、おそらく彼もまだ少し夢うつつの状態なのだろう。普段よりもとろけた赤い瞳が、ことさら柔らかく細められるのを眺めていた。おはよう、というやや掠れた声がひどく愛おしくて、ほんのりと胸が締めつけられる。

「ずいぶんよく眠っていたね」

 くす、と笑う声は寝起きらしくやはり掠れていて、カーテンの隙間から射し込む日光に彩られたまつ毛が震える様子を、ただ見ているのが精いっぱいだった。
 
 花屋でバイトするハーネイアの起床時間は早く、彼女が目を覚ましたとき一番に目にするのは、夢の中に旅立っているディルックであることが多かった。時にはまだベッドに入っていない日だってあるくらいで、いったいいつ寝ているんだろう、と疑問に思うことすらままある。
 ゆえに二人が起床を共にする機会は珍しく、朝一番にこうして声をかけられることにも、正直なところまだ慣れない。ワイナリーに迎えられてもう一年が経つのだしそろそろ慣れるべきなのではないかと思うも、いつまで経ってもこの胸は新鮮などきどきでいっぱいで、幸せを感じるたびに鼓動はうるさくなるばかりだ。

(一年経ってもこうなんだったら、もしかしてずっとこのままだったり、するのかな。……でも、なんか、それでもいい気がする。全部、ディルックさんのくれるものだから)

 やさしく頬を撫でてくれるディルックの手のひらをぼうっと受け入れながら、寝ぼけたままの頭をのんびりと動かして、取り留めもないことばかりを考えている。
 彼との間に生まれるものであるなら、それらはすべて大切なプレゼントに他ならない。たとえそれがマイナスに分類される感情であったとしても、彼の与えてくれるものならば、そこにあるだけで嬉しくて、どれもが大事に抱え込みたい宝物だった。
 
「ディルック……さん、は?」
「うん?」
「よく……ねむれた、ん、ですか?」

 ぼんやりとした口から飛び出てきたのは、なぜだかディルックの安眠を案じる旨の言葉だった。まるでオウム返しのようなそれに疑問を抱けるようになるのは、おそらくもう少し先のことなのだろうけれど――
 ハーネイアの見当違いな返しに、ディルックはにわかに目を見開いた。彼女の返答が予想外だったのだろうか、しかし、その驚愕の表情もすぐに柔和な微笑みへと変わる。目いっぱいの愛情を詰め込んだような、朝日できらめくルビーがふたつ、ハーネイアの目の前でまたたいた。

「うん、よく眠れたよ。ハーネイアが一緒にいてくれたからね」

 その声色はひどく明るくて、まるで昔のディルックが――初恋を奪ったあの日の「彼」が帰ってきたような心地にさせるものだった。彼のもたらしてくれた言葉と当時の憧憬が一気に胸いっぱいに広がって、ハーネイアは言葉をつまらせながらも、綻ぶように微笑む。

「うれしい……です。ディルックさん、だいすき」

 喜びのままに彼の腕のなかに潜り込むと、ディルックもまた陽だまりのように笑いながら、この身を抱き込んでくれたのだった。

 
2024/04/01