聖域デート・煩悩編

「そういえば、お姉さんは寒いのが苦手でいらっしゃるんですよね」
 ぽつり。聖域の爽やかな風を浴びながら、シエルがそう一言こぼす。いつからか「お姉さん」と呼ぶようになった彼女は、どうやら姉さんとなかなか良好な関係を築いているらしい。この前も2人で出掛けるんだと言って、花が綻ぶように笑んでいた。
「どうしたの? 急に」
「あぁ、いえ。この間、お買い物に行ったとき仰っていたものですから」
 お買い物。そういえば俺もそのとき、荷物持ちに駆り出されたっけ。小物やら洋服やらインテリアやら、ついでに晩飯の買い出しも済ませていた気がする。
 あぁけど、そうか。思い返せばあの日からか、シエルが家に泊まりがちになったのは。同棲というか嫁入りというか、気づけば俺の部屋にもシエルの私物が増えていて。数の増えた着替えや食器に、姉さんもなんだか嬉しそうな顔をしていた。
「そ……それでですね」
 聖域は至極静かだ、余計な喧噪など聞こえない。それは俺たち以外に立ち入る人が居ないというのもあるが、まるで下界の荒廃した世界がまやかしであるかのように、時間がゆったりと流れている。穏やかで、何の危険も、恐怖すらも存在しない場所。俺は、ここが好きだった。
 そんな静寂に包まれる聖域のなかですら、シエルの声はモゴモゴと籠もったようによく聞こえなくて。なぁに、と努めて優しく続きを促せば、桃色に染まった頬を包み隠さず、シエルがずいと迫ってくる。
「先日の、お買い物の際……あの、お姉さんに選んでもらったんです」
「……? 何を?」
 先に言っておくけれど、俺はいわゆる草食系男子ではない。好きな子とは一緒にいたいし、キスもそれ以上も、何回やったって足りない。シエルが欲しくて堪らないと、いつだって本能が叫んでいるのだ。悟られないよう努めているけれど、隙あらば行為に持ち込みたいのは男としての性だろう。
 つまりその、誰もいない、2人っきりのこんな状況で据え膳をされては、さすがの俺も野獣にならざるを得ないわけで。しかしシエルを怯えさせるのも傷つけるのも、出来るだけ避けたい事象である。とりあえず距離を取りたかったので、彼女の肩をやんわりと押して離した。哀しませない程度に。
「…………あの。――し、下着を」
 メガネのレンズが数枚、弾け飛ぶような幻覚を見た気がした。
 目を伏せるシエルは正直、今すぐにでも触れたいほどには可愛いけれど。彼女自身、そういう意図があるのかもしれないけれど。だが“しかし”の可能性と、それに打ち勝つだけの理性が残っている限りは手を出すわけにはいかない。耐えろ。耐えろ俺の魂!
 それで、とシエルはまだ続けたいことがあるらしい。深く長く大きく深呼吸をして、その続きを待った。聞きたくないような気もするけど。そよ風がシエルの銀髪を揺らす。嫌みなくらいに綺麗な空気が。
「……カヅルさんに、確かめてほしくて。似合うか、どうか」
 このとき俺は、完全なる理性の敗北を実感した。