もだもだ・一二三直線

「おれ、あんまり恋愛とかよくわかんないんだけどさ」
 出し抜けな言葉を受け、アリサは手放しかけていた意識を無理やり引き戻した。声の主は隣に座るカツネだ。珍しくムツミが不在のカウンター席にて、食材が積まれた棚の向こうに何かを見ている。
 欠伸をかみ殺しつつぐっと体を曲げて覗いてみると、そこには窓際の席で談笑中のカヅルとシエルが居た。先日の休暇中に結ばれたらしい2人は、会話が聞こえてこないにも関わらず仲睦まじい雰囲気をこの距離で伝えてくる。うらやましい、それが率直な意見だ。
「どうしたんですか、急に」
「……うーん」
 カウンターにへばりつくカツネは、メロンソーダに刺さっていたストローを咥えながら唸る。上体を預け、何ともすっきりしない表情だ。雫の垂れそうなストローを奪ってグラスに差し直すと、不服そうな顔で睨まれた。
「幸せそうだなって、そんなんはわかるんだよ。好きな人が傍に居て、一緒に笑ったり泣いたり出来て、『いいなぁ』とは思う」
 思わず目を見開いた。カツネのなかにも、親密な男女を羨む気持ちがあるだなんて。今までの彼の動向からは全く窺い知れなかった事態に、前のめりになりそうなのをぐっと堪える。
 やはりこれは、件のカヅルが双子の弟であるということも起因しているのだろうか。他でもない、とりわけ近しい身内の恋愛には、さすがの彼も乱されるか。覚醒しきった脳内が、ぐるぐると回り始める。
「けど、その過程が意味不明っていうか。『好き』っていうのがよくわかんなくてさ。おれ好きな人いっぱい居るもん、姉ちゃんとかカヅルとか、もちろんアリサとか」
 どくりと跳ねた現金な心臓を鎮めるべく、アリサが大きく深呼吸をする。彼にとっての無二である家族と同列に挙げられた、これは喜ばしいことなのだけれど。その「好き」が家族愛なのか友愛なのか恋愛なのか、今すぐにでも問い詰めたいけれど。ここで勇み足になっては意味がないのだ。
「どんなに好きな人がたくさん居ても、キスしたり、それ以上だったり……結婚とか引き合いに出されると、なんか違うなって思う」
 本気で悩んでいるのだろう。いつになく真剣な横顔に、大人しくなった胸がまた高鳴りそうになる。普段へらへらと笑ってばかりいるから、こうして真面目な顔をされると本当に弱いのだ。
 けれど彼の口から紡がれる言葉は、それとはまた別の意味でこの胸をざわつかせる。彼のなかにあるあやふやな恋愛観を目覚めさせる要因に、自分はまだ遠いらしい。振られたわけではないけれど、前進しているわけでもない。なんとなく苦い心地がする。
「あ、でも――」
「でも?」
 ぽん、と手のひらを打ちつけながら、カツネが振り向く。だらけきっていた上体を起こし、先ほどとは打って変わってどことなく晴れやかな笑みを浮かべていた。何か答えを見つけたのだろうか。
「もし誰かとそういうことするんなら、アリサがいいかなーとは思うけどね」
 ――今度こそ。
 今度こそ、まるで弾け飛ぶかのような胸の高鳴りに、思わず仰け反って椅子から転げ落ちてしまうアリサだった。