バカな女だ

「俺、やっぱあいつのこと苦手だわ」
 世評通りの絶妙な乾燥感と耐え難い味わいを持つ、ここ数年で最高に激マズだと名高い配給品をエントランスにてつまみながら、正面に座るカレルへと話を投げかける。口振りからなんとなく察するに、今シュンが話している相手は恐らくカレルが思い浮かべている人物と同じだ。
「未だに根に持ってんのか? あいつに一泡吹かされたこと」
「ったりめーだろ! ……ま、死なずに済んだのは有り難いと思ってるけどさ」
 まだシュンが新人だった頃の話。思い上がって身の丈以上の任務を請け負ってしまい、自分自身への傲りもあってか危うく帰らぬ人になるところだった。当時のことが半ばトラウマとなっているのか、未だにコンゴウには苦手意識があるし、見るだけでそのときの恐怖や悔しさ、もどかしさその他諸々の恥ずかしいことを思い出して枕に顔を埋めたくなる。
 そして、そのコンゴウに喰われかけたシュンを助けたのが――他でもない、話の種となっている人物、防衛班の副班長、並びに第二部隊の副隊長を務める乾コズエというゴッドイーターなのだった。華奢な体躯とあどけない顔立ちにも関わらず、もうゴッドイーター歴は5年を越えるベテランで、年だってシュンたちよりいくつも年上。彼女と同期で幼なじみの大森タツミと同じく確かなリーダーシップを持ちながらも彼女自身はサポートを得意とし、またアラガミを攪乱することに長けた、防衛班になくてはならない存在だ。
「大人しそうな顔しといてよ、結局俺らのことバカにしてたってわけじゃんか……」
「俺“ら”はやめろ。バカにされたのはお前だけだ」
「んだと!? テメーだって俺と同じように、あいつにコケにされてたじゃねーか!」
 彼女は新人ゴッドイーターの教育において、傲りの出始めた者にアラガミという未知のバケモノの恐怖を再確認させるという役目を負っている。第一部隊隊長の圧倒的な戦闘力と並び、彼女のこうした教育は、激戦区と言われる極東支部の生存率を確かに底上げしていた。
 ……もっとも、自身の子供らしすぎる容姿を利用した彼女の手口は、多感な年頃でプライドの高い者が多いゴッドイーターたちにある種のトラウマを植えつけてしまったりもするのだが。もちろんシュンもそのうちの1人であり、しかし一番問題なのは実力以上のミッションを受注するという悪癖が未だ改善されていないことなのだが、これについては本人もまだ治す気などないのだろう。また同じくカレルも彼女の餌食になり、2人してなんとなく彼女に頭の上がらない日々が続いている。
「討伐数でも戦績でも一向に敵いっこねーし……どうなんだよテメェは、同じアサルト使いとして」
「どう、と言われてもな……俺とあいつじゃ、戦い方も目的も違いすぎるだろ」
 前述の通り、コズエはサポートを得意とする傾向にある。誰かを支え、補うことにおいて彼女の右に出る者は、少なくとも今の防衛班にはいないだろう。
 反面カレルは単体で戦い抜ける器用さを持っている。深追いしすぎるきらいはあるものの、様々な戦況に柔軟に対処する、順応の早さはピカイチだ。
 また、コズエは誰かを護るために戦うのに対し、カレルはひたすら純粋に、金を求めて動いている。たとえ扱う神機が同じであろうと、戦い方や信念、懸けるものがここまで違えば、比較するのは難しい。
「つーかよ、なーんか見てて腹立つんだよな。上から目線っつーかさ、俺らには仲間だなんだってグイグイ来るくせに自分の話はすぐはぐらかすし」
「そいつは同感だな。腹んなかを探られてるようで気持ちのいいものじゃない」
「だよなー。秘密主義っての? ほんとに……あ、なくなった」
 ――激マズ、なのに癖になる。謎の中毒性を持つ例の配給品は、シュンの口にはいたく馴染んだようで、話し込んでいるうちに平らげてしまったようだ。グミなようなガムなような、よくわからないそれの袋を適当に丸め、ゴミ箱へと放り投げておく。リサイクル資源にもなるとかで、分別はしっかりするように、というのがアナグラの教訓だ。
 またくだらない愚痴と世間話をしながら防衛班の居住区へと足を踏み入れると、今だけは会いたくないと思っていた人物――先ほどまで話題としていた、コズエの姿があった。自販機の前で品定めをしているのか、背中を向けているのでシュンたちの存在には気づいていないようである。
「……マジかよ」
「気づかれないうちにさっさと通ろうぜ。話しかけられたら面倒だ」
「おう、そうだな――って、おい、あれ……!」
 ぐらり。2人が保身のための話をしていると、不意にコズエの体が傾いだ。走り出す間もなく倒れ込んだ彼女の姿を見て、先に駆け出したのは予想外にもカレルのほうだ。
「おい、しっかりしろ! おい! ……ッチ、おいシュン! 俺はこいつを部屋に連れて行っとくから、お前は医務室から医者を呼んでこい!」
「お、おう……!」
 戸惑うばかりのシュンとは対照的に、カレルはどこか慣れているようにも見えた。まるで、こんな日が来ることを知っていたかのようである。
 だが今のシュンには深く考える余裕などなく、怯む両足を叱責して今来た道を引き返す、それだけで精いっぱいだった。

 

 なぜか医務室に運ばせることなくその場で簡単な診察を終わらせたドクターは、言葉を濁したままさっさとコズエの部屋を出て行ってしまった。
 意味深な態度のまま去られてしまい、シュンもカレルもどこか納得いかない、とでも言いたげな面持ちである。天井を見上げたまま、コズエも何かしゃべることはしなかった。
「なぁ……お前、その……どっか悪いのか?」
 痺れを切らしたシュンが恐る恐る訪ねるも、コズエはあやふやに笑って誤魔化すだけだ。
「だいじょーぶ、ちょっと眩暈がしただけだから」
「眩暈のひとつであんなことになるかよ」
 コズエの曖昧な答えに切り込んだのはカレルだった。射抜くような瞳は更に細められ、何もかもを見透かすようにコズエのことを見つめている。
 他の隊員よりも上等なベッドに沈んだまま、コズエは起き上がろうとせず視線だけを2人に投げかけていた。空よりも青く深い真っ青な瞳は、いつも彼らが見ているような頼もしくも溌剌としたものではなく、まるで迷い子が親を捜し求めているかのように不安を映したものである。それでもカレルは怯まない。赤と青が交錯して、勝ちを得たのは――カレルだった。
「……ごめん。私の身体、結構、弱ってる」
 ふらつく身体をなんとか起こして、コズエは再び頼りなく笑った。自嘲が混じったようなそれには、いつもの強くたくましい彼女は露ほども感じられない。年相応の、いやそれよりも弱々しい幼子のような。
「普段は……まあ、大丈夫なんだけどさ。最近わりと、キてるみたいで」
「……どうして」
 やっとのことで口を開いたシュンの問いかけに、コズエは思わず口をつぐむ。答えられないのか答えたくないのか、2人の顔を窺い見るもどうやらかわすことも嘘を吐くことも許してはくれなそうで、おとなしく、シュンの問いに応えることにしたようだ。
「――人体実験」
「……!」
「ゴッドイーター自体、実験体みたいなもんだけどさ。……なんとなくは気づいてるだろ? 私の身体、成長してないの」
 曰わく、の話だが。
 今年で21歳になったコズエは、どうやら偏食因子を投与された15歳から身体が成長していないらしく、そこにフェンリルの研究者たちが目をつけたのだそう。老いを知らぬ身体は、もしかすると半永久的にゴッドイーターとして戦い続けることができるかもしれない。偏食因子の副作用と思われるこの現象を解き明かすことができれば、ゴッドイーターの活動限界年齢を延ばすことだって可能になるのかもしれないのだ。
 このことが判明した20歳から、彼女は秘密裏に彼らの実験を受け、結果的に実年齢以上に消耗することになってしまったのだという。任務に出た後での反動が特に酷く、今はまだ軽いほうだが、そう遠くないうちにミッションひとつこなすのも難しくなるだろうと言われているそうだ。
「ま、ギリギリまでは戦いたいけどね。まだまだやりたいことは残ってるし、居住区のみんなも護りたいし」
 まるで自分に言い聞かせるように「大丈夫」とつぶやくコズエが、不意に右手のひらを見つめ始めた。ぐ、と握り拳をつくり、また開く。
 この行動が何を意味しているのかは2人にはまだわからなかったけれど、彼女が想像よりも重たくて暗いものを背負っていたことに気づけなかった自分自身に、少しの歯がゆさと、それから。
「ッんだよ……」
 底知れない苛立ちを、感じたようだ。
「なんでだ! なんで、ッなんで黙ってた!!」
 シュンが大きく声を荒げ、コズエの肩がビクつく。戸惑いを隠せずにいる顔を見るに、どうして彼が怒っているのかよくわからないようだった。
「俺らのことにはズカズカ踏み込んでくるくせに自分のことはだんまりかよ! なんで隠してたんだ、っせっかく!」
「おいシュン、落ち着け――」
「せっかく、信じてやってもいいかと思ってたのに……っ!」
 ぽろりとこぼれた一言はこの場にいる誰もが思ってもみなかったもののようで、そして言い放ったシュン本人が一番驚いているようだった。
 別に信じてるわけじゃないとか、お前のことなんか嫌いだとか、色んな言い訳が飛び出るも、先ほどの言葉を打ち消せるようなものは用意されていないようで。言われたコズエも隣で聞いていたカレルも、もはや言い訳など耳にも入っていないのかもしれない。開いた口が塞がらない、まさにその通りである。
「……ごめん」
 なんとか絞り出したコズエの謝罪に、シュンは再び熱を持つ。また考えなしに怒鳴り散らそうとした彼を制して、今度はカレルの番だ。
「アンタの言う『仲間』ってのは、思ったよりも軽いものらしいな」
 皮肉をたっぷり込めて吐き出された一言に、今度は恐怖でコズエが震える。ふるふると首を振ってはいるが、カレルにそれを拾う気はないらしい。フン、と鼻で笑って終わりだ。
「どうして実験を受けた」
「……?」
「少し考えてみればわかることだろう。寿命を縮めることにだってなりかねないだろうに、なんで」
 どこか冷めた目で見下ろされ、とうとうコズエはうつむいてしまった。握りしめたシーツがくしゃりと歪む。素直に吐き出すのはまだ難しいけれど、このまま逃げおおせる空気ではなかった。
「――じゃ、ないと」
「あ?」
「私じゃないと、できないことだったから」
 他の誰でもない、「乾コズエ」にしかできないことを探していたのだと彼女は言う。
 代えが利くゴッドイーターではなく、副隊長ではなく、自分自身じゃないとできないこと。他の誰かでは成し得ないことを、そして、誰かのためになれることを欲していたのだと。たとえ身を滅ぼす結果になったのだとしても、騙されていたのだとしても、断るだなんて、できなかった。
 吐露された彼女の本心に、カレルは大袈裟すぎる溜め息を吐いた。
「本ッ当にバカな女だな。損得勘定なしで他人のために動くだなんて、俺には理解不能だ」
 震える喉の奥に隠された彼女の真意に気づけないほど、カレルはバカではない。けれど、これははいそうですかで受け入れられるほど小さな問題ではないし、信頼その他は別にして、カレル自身も彼女の行動に腹が立つのを抑えられずいた。少し、ほんの少しくらいなら仕返ししたって許されるだろう。
 どうやら効果覿面らしく、わかりやすくも狼狽えるコズエの姿に、カレルは内心でほくそ笑んだ。
「で? タツミたちは知ってんのか、このこと」
「……言ってない」
「ハァ!? バッ、おま、バカじゃねーの!? 幼なじみのくせに!」
 バツが悪そうにうつむいたまま、コズエは「言うタイミング、見つかんなくて」と小さくつぶやく。きっとこれも嘘なのだろうと、今の2人にはわかってしまった。彼女のなかにある嘘と秘密は、思ったよりも多そうで。
「また機会見計らって、自分で言うからさ。とりあえずは内緒にしといて、お願い」
 へらりと笑う、その顔も。きっと、何重にも嘘で塗り固められたものなのだろう。

 

 踊り場の自販機前に座り込み、買ったばかりの飲料を開けることもなく、ただぼうっと見つめていた。キャパシティオーバー、まさにそれなのかもしれない。その場で受け止めきるには到底無理なことを、自分たちは知ってしまった。
「あいつ、こんなん1人で背負い込んでたのかよ……」
 あの口振りから察するに、きっと彼女の抱え込んでいる秘密はもっとたくさんある。なんとなくだがわかってしまった。あの笑顔の裏に隠された深淵というものに、ほんの少しだけど触れてしまったから。
「俺……やっぱあいつのこと、苦手だ」
 嫌いとか、合わないとか、そんな部類ではない。ただ怖い、それがシュンの感想だった。あの闇に飲まれる気がして、踏み込んだらもう戻れない気がして、そして。
 その闇にもっと近づきたいと思う自分がいることが、何よりも一番怖かった。
「なあ……カレル。俺たちゃ別に、誰かの想いを背負って生きる、なんてガラじゃねえけどさ――」
「感傷に浸ってる暇があるなら任務のひとつでもこなせ。あいつの穴は俺が稼がせてもらうぜ」
「なっ――!」
 入隊してからの付き合いな上、同性で年頃の近さもあってか、カレルはシュンの扱い方というものを心得ていた。こうして闘争心を刺激すればすぐに奮起すること、カレルにはもはや手に取るようにわかっていたのだ。
 思惑通り、転がして遊ぶだけだったジュースを一気に飲み干して飛び出したシュンの背中を見ながら、カレルもまたひとりごちる。
「本当に、姉妹そろってバカな女だ」と。