駆け引きなんて脱ぎ捨てて

「ウィノナちゃん! よかったー、あたしたちすっごく心配してたんだよお」
 ウィノナと連れ立って大広間に戻ったとき、出迎えてくれたのは金鹿の学級の面々だった。ラファエル、イグナーツ、マリアンヌ、リシテア、レオニー……誰も彼もが顔を明るくしてウィノナのことを見ているようだ。
 特にヒルダとローレンツは声を上げて一目散にこちらへ駆け寄り、級友との数年ぶりの再会を心から喜んでいる。
 もちろんそれはウィノナも同様で、彼女も彼女で柔らかく笑み、級友からの出迎えを享受していた。
「あら……ヒルダ、私のことを覚えてくれていたの?」
「当ッたり前じゃない! 覚えてるどころか……ほら、千年祭の日にウィノナちゃんだけ来なかったでしょ? 大丈夫なのかなーって、ローレンツくんとずーっと話してたんだからー」
 ねー? とヒルダに目配せされたローレンツは、仰々しいまでの所作で優雅に頷いてみせる。続いて彼の口から出てきたのはウィノナの容姿を讃えるような賛辞で、傍らのヒルダに半ば無理やり遮られるまでその口上は止まらなかった。
 賑やかで、騒々しい。けれどこのやり取りがどうにも愛おしく思えて、クロードは改めて金鹿の学級の面々が揃った現実を噛みしめている。皆が揃って本当によかった。
 しかしそんなおり、ふとローレンツはウィノナに注いでいた視線をクロードに向ける。訴えるような彼の目がいったい何の意図をもっているのか、クロードにはまるでその手に取るようにわかったのだけれど、正直このまま放っておいたほうが面白いので無視をした。
 クロードの態度に歯噛みするローレンツが、やがて意を決して口を開く。
「その……ウィノナさん? 君は学生時代とずいぶん雰囲気が違うように見えるのだが」
「あー、それあたしも思った! なんかこう、格好良くなっちゃったっていうかー? 良い意味で別人って感じー」
 ヒルダはついとウィノナの手を取り、やがてぺかりと微笑んで彼女の瞳をじっと見つめた。五年前はこういうこともなかなか出来なかったじゃない? という一言から始まり、次から次へと相違点をあげだす口はもはやまったくとまらない。
 責め立てるわけではないがあれやこれやと列挙するヒルダの口を塞いだのは、彼女のくちびるをちょんちょんとつつくウィノナの人差し指だった。五年前からは想像できない――クロードからすれば馴染みのある仕草だけれど――彼女の行動に、ヒルダのみならずローレンツまで目を見開いて固まっている。
「女って、秘密があればあるほど魅力的に見えるっていうじゃない? それと同じ。まあ、言ってしまえば昔の私のほうが偽物だったってことよ」
「あぇ……じゃ、じゃああの頃のウィノナちゃんはずっと自分を偽ってた、みたいな感じ?」
「そんなところね。苦労したのよ? か弱くてお淑やかな貴族のお嬢様のふりをするのも――なんて、その辺りはヒルダならよくわかってくれるかしら」
 ウィノナの指摘を受けたヒルダが目を逸らす。今さら何を隠すこともないだろうにと思ったけれど、まあ、今話すべきはそのことではない。
「そうか、ならば君たちがよく連れ立っていたのは……」
「ええ、あの人にはもう全部知られてしまっていたから。まあ、でなければこうして金鹿の学級に誘ってもらうこともなかったのだけど」
 ――ねえ、クロード?
 こちらに目をやりながら言うウィノナの顔は、先ほどまでとは打って変わって、どこか浮ついているように見えた。
 浮ついているというか、なんとなく気分が浮いているように思えるのだ。クロードの名を呼ぶときに少しだけ声が高くなることも、どこか晴れやかな声色になっていることも、生来のものに加えて自然と共に培われた聴力がしっかりと拾ってしまっている。
 じわり。胸のなかに住み着くような、ある種の疑念が芽生えてしまった。それは裏を返せば期待と名のつくものになるのかもしれないけれど、しかし時として自意識過剰、もしくは糠喜びにも発展してしまう難儀なものだ。クロードの心を占めるそれが、以降の級友たちの会話をうまく拾えなくしてしまった。
 どこか上の空なままに五年ぶりの邂逅を終える。煙る意識の隙間に見たのは、訝しむような目を向けるローレンツの顔だった。

 

「ああ、でも、よかった。みんなが受け入れてくれてほっとしたわ」
 水汲み桶を両手に引っさげて、ウィノナは厩舎までの道をゆっくりと歩いている。ひとつくらい持たせてくれ、そう言っても彼女は「大丈夫よ」「盟主様とあろう人にこんな雑用させられないわ」の一点張りで、ついぞ持ち手にすら触れさせてはもらえなかった。
 彼女の手にかかればたっぷり満タンのそれですら軽々と持ち上げられる程度のものなのだ。クロードは頭の隅っこにて、この剛力こそが出会いのきっかけになってくれたことを思い返した。たった五年やそこらの期間でしかないはずなのに、なぜだか今の自分には、あの日がもはや遠い昔のことのように思える。
「ラファエルなんて大喜びだったな、『オデ、まさかお姫様だっこされる側になるなんて思ってもみなかったぞ!』って」
「ふふ……そうね。そうしたらイグナーツが絵筆を持ってやってくるんだもの、私、とてもおかしくて」
「そのまま写生大会にまで発展しちまったんだもんな……ったく、戦争を前に何やってんだか」
「いいじゃない。何事にも息抜きは必要だし、本来の同窓会って、きっとそんなものなのよ」
 級友との再会に思うところがあるのだろうか。くすくすと笑うウィノナの顔は、先刻よりもいくらか満ち足りたもののように見える。その顔に抱くのは熱い想いと、ほんの少しの嫉妬心だ。
 そうこうしているうち、やがて目的地の厩舎までたどり着いた。そこにはマリアンヌの友人であるドルテはもちろん、五年前にウィノナが好んで乗っていた天馬の姿もある。ぶるぶると小さく鳴きながら鼻を擦りつけてくる天馬と、愛馬からの触れあいを嬉しそうに受け入れるウィノナの姿からは、かつて懇意にしていた頃の思い出が呼び起こされるようだった。
 ――今しかないと思ったのが半分、半ば衝動的に、口をついて出たのが半分。クロードは、じわじわと胸の奥にくすぶる疑問を吐き出した。
「なあ、ウィノナ。お前、本当に俺のことが好きらしいな?」
 カマをかけたはずだった。言ってしまえば、ただの冗談や軽口のつもりだったのだ。
 ウィノナは冗談が通じない人間ではない。むしろ自発的に人をからかって遊ぶ性格であると、クロードは士官学校で共にした一年間で知っている。彼女は人の軽口で取り乱したりすることも少なく、表情を崩さないまま逆に冗談をやり返してくることすらあったほどだ。
 だから、この問いかけも適当にやり過ごしてくれると思った。適度にはぐらかして、うやむやにして、種を蒔くだけ蒔いたあとは相手にすべてを委ねる……クロード自身がよくやることだ。そうやって他人の脳内をぐちゃぐちゃにかき乱すのは彼の十八番のようなもので、それこそリシテアやローレンツといったからかいがいのある人間は度々彼の標的にされた。
 人をからかって遊ぶという点で、クロードはおのれとウィノナが似たものを持っていると自負している。だから「大丈夫」だと思ってしまったのだ。
 解き明かしたくてたまらなかった。五年をかけて家を潰し、国を捨ててまでここに立っている理由を。彼女の掲げた到達点がなぜクロード=フォン=リーガンであったのか、どうしてここに向かってくれたのか。
 一縷の望みとささやかな恐怖を抱きながら、クロードはウィノナの顔を見ている。
「……そうね。私、好きでもない人間のためにここまでする馬鹿ではないわ。私はあなたのことが好き。そうね、人生全部を擲っても構わないと思えるほど、私はあなたに夢中よ」
 けれど、ウィノナは否定もごまかしもしなかった。あまりにも単純かつ真っ直ぐな言葉で、クロードの問いかけを肯定してしまったのだ。
 素直に言えば、ひたすら嬉しい。愛しく思う女から同じ気持ちが返ってきたこと、果たして喜ばない男がいるだろうか? 足元がふわりと浮つくような心地がして、戦時中でもなければこの細い体を抱き上げて踊り出しそうな調子である。
 しかしクロードが心を浮かせている一方、真っ直ぐすぎる愛の告白を吐いたウィノナのほうは、何も変わらずただ静かに天馬のたてがみを撫でている。彼女に引っついたままの天馬も相変わらず落ちついていて、何某かを喋るように何度も何度も鳴いていた。
 力の強い彼女は意外と彼らの世話に向いているらしく、「人よりも力加減に気を遣わなくていいから助かるのよ」と笑っていたのはいつかの上空警備のときだったか。熊や狼なら特に何とも思わないらしいが、反面犬や猫、鳥のたぐいはもはや近づくことすら恐ろしく、視界に入るだけで身構えてしまうと言っていたことを覚えている。
 馬は敏くも繊細な動物だ。人間の些細な変化にも反応して暴れたり怯えたり、それはかつて故郷で乗りこなさんとした飛竜だって同じであった。
 何が言いたいのかといえば、つまるところ今のウィノナはクロードの問いかけにも、おのれの答えにもまったく動じていないのである。厩舎に並ぶ馬の一頭すら様子を変えないあたり彼女の安定が表れていて、つまりウィノナは本当に、なんの嘘も偽りもなく肯定を突きつけてきたのだ。クロードのことが好きだと、他でもないクロード本人の言葉に肯定をぶつけて、大きすぎる気持ちを現してきたように思う。
 嬉しいのはもちろん事実だ。気持ちが通じ合っているという確証。クロードがウィノナを想い焦がれるのと同じように、ウィノナもまたクロードに愛情というものを向けている。その現実はクロードにとって何物にも代えがたく甘美なもので、もはや至福の好意であるような気すらした。
 クロードは手を伸ばす。ウィノナの細い肩を抱きとめようと、肩に手をかけてこちらを向かせた。かの王子と同じ色をした瞳に見つめられ、クロードもまた同じく熱を持って彼女を見つめ返し、今まさに抱きしめんとした、のだが――
「いやね、そんな顔しないでちょうだい。わかってるわ、あなたが夢を叶えたり、他に好い人ができたりしたら、私はちゃんと身を引くから」
 ウィノナの態度は打って変わって、否、五年前より軟化こそすれ、やはり変わらずクロードのことを拒絶するように距離を取るのだ。
「心配しなくても大丈夫、ちゃんと弁えてるもの」
 そう言ってクロードの手を剥がし、ウィノナは足元に置いてあった水汲み桶を持って立ち去ろうとする。微笑む顔は美しく、そして何か吹っ切れたようにひどく晴れやかな顔であった。クロードの手が反射的にウィノナの腕を掴み、彼女の行動の邪魔をする、その瞬間も決して表情が動くことはない。
 喉が渇く。カラカラになったそれを今すぐ潤したいと思うのに、けれども今はひたすらに、ウィノナの言葉が聞きたかった。
 らしくない。らしくないのだ。こんなに心を乱されて、こんなにもしがみついてしまう自分は。
 貼りついた喉から発せられた言葉は、クロード自身の想像よりも数倍掠れたものだった。
「お……お前、今なんて」
「今? ……色々言った気がするのだけれど、一体どこのことを指しているのかしら」
「強いて言うなら全部だな……」
「あら……困ったわね、もうこれ以上説明のしようがないのに。……そうね、あなたの言うとおり私はあなたのことが好きよ。愛してると言ってもいい。でも別にあなたに同じものを求めることはしないから、あなたはあなたの好きなように恋人を作ってちょうだいな」
 ね、と念押しするような言葉をつけて、今度こそウィノナは背を向けて歩き出してしまった。
 彼女は意志が強い人間だ。一度こうと決めたら最後、その意見を曲げることはない。曲げさせるにしても本人を納得させなければまず無理だし、納得までの舌戦にはなかなかの体力気力を消費する。その頑固と言うに他ならない気質をわかっているからこそ、クロードは今すぐに彼女の誤解を解き、すれ違いを解消することは困難であると判断した。
 ウィノナからの好意を受けて浮いていた気持ちはどこへやら、今度はちょっとした落胆が彼のことを襲っている。
 伝わっていないのだ。クロードの想いも、どれほど彼女に焦がれているかも、離れていた期間にどれだけ後悔して、どれだけ彼女を求めていたかも。もちろんそれは言葉にすることを避けてゆらゆらしていたクロード自身のせいなのだけれど、それにしたって、ああ、彼女にはただの行きずり程度の気持ちしかないと思われている。
 そんなことはないのに。そんな生半可な気持ちなど、初めて彼女の笑顔を見たあの日に全部捨ててしまったのだから。
 クロードは思案を巡らせる。どうすれば彼女にこの猛る想いが伝わるか、どうすればこの気持ちを受け取ってそばにいてもらえるか。通じあっているなんて嘘だったのだ。卓上の鬼神なんてとんでもない、所詮はたったひとりの想い人すらまともに手に入れられないようでは。
「まったく……盟主だろうが王子だろうが、所詮はみんな人の子なんだぜ?」
 やがて見えなくなるだろうウィノナの背中に目をやりながら、クロードは厩舎の傍らで数多の策を巡らせるのであった。

 
20210122 加筆修正
20200820