蒼天に映ゆる

「おう、待ってたぜ」
 天馬に跨って「いつもの場所」に向かうと、そこには相変わらずの人好きする笑みを浮かべたクロードがいた。気さくそうに目を細めてこちらを見る彼へ、返事の代わりに目を伏せてやれば小さく吐息を漏らす気配がする。その気配がご機嫌なときのものであるということは、もうとうの昔にわかるようになってしまっていた。
 待ち人が来たことで顔を明るくしたクロードが、飛竜の手綱をぐいと引いて周囲をまわりつつ、まるで連れ立つような調子でウィノナの横へやってきた。翼同士が喧嘩をしないギリギリの距離を保って飛ぶ、そういった技術にクロードはよく秀でている。飛竜の扱いにはどうやら覚えがあるようだ。
 ここはちょうど大聖堂の真上に位置するところで、二人が上空警備に入るときにこの場で落ちあうことはもはや常となっていた。待ち合わせるような機会がなくとも何らかの連絡を図れるよう、遅れる場合は尖塔のてっぺん部分に何らかの印を入れておくとか、ある程度の時間になっても現れない場合は諦めて一人で……とか、時が経つにつれ二人だけの習慣は自然と増えてゆく。そして、当たり前のように彼の合図を覚えている自分が、なんとなく腹立たしくもあった。
 よもやたった数節でこれだけの縁を結べるとは。クロードの協調性を前にして今までの人生を思い愕然とする反面、ウィノナは彼という男に人知れず目を瞠っているのだけれど――しかし、それを素直に口にしてやるようなつもりは、今のところないのである。
「あら、まるではじめから私とやるつもりだったみたいな言い方じゃない?」
「まあな。ヒルダの奴、前節の末くらいに『14の日に予定が入ったのー』って嬉しそうに言ってたんだよ」
「ふうん……それを覚えてたから、あの子の代わりに私が来ると思ったわけか」
「ご明察!」
 事もなげに言うクロードは、ぱちんと片目を閉じて得意気な笑みを浮かべてきた。この格好つけた仕草もこの数節で馴染んできたが、貴族の人間がやるにしてはいささか軽薄な印象だ。……別に嫌いではないけれど。
「でも、前節から約束を取りつけておくなんて、相手方もよっぽどのことみたいね」
「だよなー。何でも、あいつの造る首飾りをいたく気に入った貴族様がいて……そいつへの特注品を造るに向けての打ち合わせらしいぜ」
 めんどくさいって言いながら、なんだかんだで喜んでたからな――そう言うクロードはどこか誇らしげな顔をしていて、まるで自慢の宝物を認めてもらえた子供さながらの、無邪気な笑顔を湛えている。
 否、別に今回だけではない。クロードはあまり信用できないふうな男であるが、その反面、彼なりに金鹿の学級の人間をひどく信頼していたし、誇らしくも思っていた。だから仲間が褒められれば嬉しそうな顔をするし、貶されたり傷つけられたりすれば一矢を報いてやろうと裏の裏の裏あたりで画策する。
 そこには、クロード=フォン=リーガンという男の独特の価値観による信頼と友愛の証があった。
 ウィノナは思う。その誇りの一端に、この自分は入っているのだろうかと。途中から編入してきただけの、祖国すら異にする女であっても皆と同じように想ってくれているのかと。金鹿の学級に編入してもうすぐ半年が経とうとしている今日この頃に、ウィノナは自分もきちんと「級友」として数えてくれているのだろうかと、時おり考えるのだった。
  もちろん、先だっての宴の日に言ってくれた言葉を忘れたわけではない。ただ少しだけ、そう、もしかすると恐れているのかもしれない。彼の歓迎の気持ちを喜ぶ反面で、その手を容易く離されたときの、絶望にも似た何かを。
「――おっと、今日は少し風が強いな……穏やかそうな空に見えたもんだが」
「夕暮れが近いもの、仕方ないわ」
「そうだな……ウィノナ、落っこちないよう気をつけろよ? こんなところから落ちちまったら、いくらお前でもひとたまりもなさそうだからな」
「あなたこそ。その軽薄な口が二度と利けなくならないよう、しっかり注意しておくことね」
 吹きすさぶ風に乱れた髪を撫でつけながら、ウィノナは少し視線を下げてガルグ=マク大修道院を見下ろした。眼前にある尖塔も、生徒の住まう寮であっても、もちろん我らが学び舎も。どれもがおしなべて、ファーガスではあまり見ないような立派な建造物であると思う。誰が一体どんな意図でこの建物を造ったのか、どうしてわざわざこんなところに建ててやろうと考えたのか……そう溢していたのは確かクロードだったかと、ウィノナは数節前に聞いた彼の話を思い出す。
 周囲に広がるオグマ山脈は険しさもあれば優しさもあり、彼の言う「大地の恵み」をそっくりそのまま感じさせるものであった。この大自然があれば木の実であろうと肉であろうと食料に困ることはないし、獣のたぐいを相手にすれば訓練にだってなるだろう。街へ下りるにはいささか労力が要ることや、人里離れている点を除けばなかなかの立地なのではないだろうか。数多の人間が訪ねるおかげでそれなりの動線が確保されているとはいえ、商人の行き来や外界との交流にはやはりまだまだ難がある。けれどそんな欠点も簡単に覆してしまえるほどの魅力や利点がこの場所にはあるのだろうし、ちょうど三国の中心地に大修道院が建てられているという事実にも、やはりこのセイロス教とやらの影響力や権力を強く感じさせる。
 ――セイロス教“とやら”。そんな印象からもわかるとおり、ウィノナにとってセイロス教はあまり馴染みのあるものではなく、むしろ宗教というものへの不信感すら抱いていた。言ってしまえば嫌ってもいる。彼女からすれば宗教なんてものは弱く愚かな人間が縋るもので、どうして見えないものに縋ろうと思うのか、どうして助けてもくれない“何か”をそこまで尊んでいられるのかと、常々疑問は尽きなかった。
 仮に目に見える存在だったとしても。否、レアという大司教に忠義や信仰を尽くし、祈りなんかを捧げたところで、彼女らが信徒全員のことを助けてくれるわけはないのに。
 ウィノナは知っているのだ。どれだけ苦痛を感じていても、どれだけ助けを求めてみても、誰もこの手を取ってなんかくれないことを。みんな見て見ぬふりをして、こちらの声など聞こえないと目と耳を遮断して様子をうかがってくる。大人は大きな声でこちらの叫び声すらかき消して、まるで何事もなかったかのように、ただの子供のわがままだと簡単に一蹴してしまうのだ。誰もあの生き地獄にも等しい夜から救い出してはくれなかった。誰も、誰だって自分のことを気にかけてはくれなかった。
 ウィノナを助けてくれたのは、かつてのあの檻のような家でうずくまっていた自分に、優しく手を差し伸べてくれたあの男の子だけだった。
 ゆえに、結局のところ頼れるのはただ自分の力のみで、誰に縋ったり頼ったりする前にまずは自分から行動を起こさなければ、現実なんてものは何にも変わっちゃくれないのだと――ウィノナはこの数年でそう学んでしまった。学ばざるを得なかったのだ。
「……また、嫌なことを思い出してしまったわね」
 気持ちの悪い記憶がまた、うごめくようにこの脚を這いずっている。ウィノナはため息まじりに、風の音にすらかき消されてしまいそうな独り言をこぼした。大嫌いだ。大嫌いだ。粘ついたあの男を、ウィノナは心から厭うていた。
 芋づる式で蘇ってくる悪夢を思って胸糞の悪さに舌打ちをすると、ふと左方から注がれていたらしいクロードの視線に気がついた。いやに熱心なそれは出会った当初のような探る瞳の風合いではなく、ただひたすら、ごく単純な興味の表れであるような。あの頃ほど不快なものではなかったけれど、それにしたって無言で見るのはあまりにも無作法が過ぎるのではないか――ウィノナは斜めになった機嫌のままに、その心中を知ってか知らずか、不自然なほど真面目な顔をしたクロードに軽く睨みを利かせてやる。
 対するクロードはというと、ウィノナから視線が注がれた途端に一転し、彼女の反応を面白がるように……むしろ返答があったことを喜ぶように、にんまりと口角を上げた。
「珍しくご機嫌斜めじゃないか。どうした、腹でも減ったか? このままこっそり街に降りて、二人で食堂でも行くか」
「うるさいわ。というか、言いたいことがあるならさっさとおっしゃい。じっと見られるのは気味が悪いもの」
「はは、悪い悪い。お前の横顔があんまり綺麗で見とれてたんだよ」
「あら、これまた随分な賛辞ですこと。盟主の嫡子様ともなると女遊びにも慣れていらっしゃるのかしら?」
「冗談。俺はあいにくと、女をとっかえひっかえするような趣味はないんでね」
 苛立ち混じりのウィノナの言葉と、それを受けてくすくすと笑うクロード。彼は交流を楽しんでいるのか、はたまたウィノナの反応が好ましいのか、よくはわからないけれどひどくおかしそうに肩をすくめてみせる。クロードの動きに呼応するかのごとく、彼の操る飛竜もまた、ウィノナと彼女の乗る天馬へと小さく鳴いてみせていた。
 なんなのよ、と語気を強くして言ってやると、彼はお手上げとばかりに腹のうちをさらしてくる。けれどもその合間にすら彼は気分を損ねる素振りもなく、にんまりと緩めた口角はそのままだ。
「見とれてたのは半分本当だよ。もう半分はこの間みたいに笑ったりしないのかなって、気になっちまっただけなんだが」
 ――この前。クロードの言う“この前”に心当たりのないウィノナが怪訝な顔をしていると、彼は答えを指し示すように南方へと進路を変える。反射的に彼に付き従い、ある程度まで進んでいくと目に入るのは帝国領で、方角と彼の口振りに合点のいくことがあった。……クロードが言っているのはもしや前節の鷲獅子戦、ひいてはそのあと無理やり駆り出された、祝賀会のことであろうか。
 ウィノナが察したことに気がついたのだろうか、クロードはゆっくりとその場で静止し、懐かしむようにグロンダーズ平原のほうをじっと見つめている。彼にならって視線をやるとどんどんとあの日の記憶が思い起こされるようで、ああ、そういえばあの日に初めて彼の前で笑った気がするなと思い至った。
 あのときウィノナが浮かべたそれは今までのような作り笑いや愛想笑いでなく、ただひたすら、純粋にこぼした笑顔であったはずだ。宴が楽しかったのも、あの日クロードという男に気を許してしまったのも、上機嫌になってしまったのも紛れもない事実であるのだけれど、笑った本人が、否、本人だからこそ忘れているような事実を、どうしてこの男は覚えてしまっているのだろう? 理由はよくわからないが、まあ、おそらくそれなりに良い意味で誰かの印象に残るというのは、あまり悪い気はしないものだ。
 けれど、だからといって簡単に笑顔を見せてやるほどウィノナは優しくもお人好しでもない。むしろクロード=フォン=リーガンという男をからかって遊ぶ種ができたと、内心でほくそ笑んでしまうような調子なのである。
「……いやね、私の笑顔はそんなに安くないのだけれど」
 そう吐き出したときに気がついた。クロードの、なんてことない言葉のひとつでまたもや上機嫌になってしまった自分に。ついさっきまで過去に縛られ気を重くしていた自分が、クロードという男の言動で簡単に機嫌を直してしまったのだ。気づきたくなかった、否、気づかないふりをしてしまいたいほど、その事実が自分のなかでひどく大きなもののような気がして、ウィノナはおのれのなかで鳴り響く警鐘の音を聞いている。
 知りたくなんかなかった。彼の生身の様子を見るたび気分を良くしてしまう自分が、思っているより遥かにずっと、彼に好意的だということに。
「おーおー、これはまた挑発的なお言葉で」
「言葉だけで女に笑ってもらえると思ったら大間違いよ。……どうしても笑ってほしいなら、あなたの本気で私を笑わせてみなさいな」
 すうと目を細め、年齢以上の艶っぽさで笑みをかたどってやった刹那、ウィノナはぎらりと野心を覗かせたクロードの目を見るのだった。

 
20201123