春は新たな芽生えが見える

 鋼で出来た剣ならば、もう少し丈夫であるべきではないだろうか――ウィノナは目の前で砕けている鋼の剣に、心中で悪態を吐いた。
 鋼で造られた剣であるなら。このガルグ=マク大修道院の、おそらくフォドラでも有数の鍛冶職人が打った剣ならば、たかだか女が振るったくらいで割れてどうするというのだ。誰もいない訓練場の高く開けた空の下、ウィノナはこれみよがしにうなだれて刃の欠片をねめつけている。
 日も落ちて久しい夜のこと、ウィノナはたった一人で訓練に励んでいた。彼女にはなかなか人前で剣を振るえない理由があって、それは決して彼女が恥ずかしがり屋だとか姿勢に問題があるとかの問題ではなく、一言でいうならば彼女は非常に力が強かったのだ。さすがに荷馬車は無理であるが、常人ならば重たくて持てないような樽も軽々と持ち上げてしまうし、隣の学級にいるラファエルなんかもお姫様のように抱き上げることが出来るだろう。この細腕のどこにそんな力があるのだと聞かれたら、それは彼女の引く血筋に秘密があると答えるのみだ。
 そう、彼女には秘密がある。そしてその秘密はそうやすやすと話せるようなものでなく、つまり彼女は自身の剛力が知れることを恐れていた。だから士官学校にも体が弱いと嘘をついて入学したし、こうして人のいない時間帯を狙って訓練に励んでいる。そんななか、ひとりぼっちの訓練が起こした悲劇がこの鋼の剣の有り様というわけだ。
 ウィノナは金属片を拾い上げ、大きな大きなため息をついた。これをどうしてやろうかと。残念ながらウィノナには鍛錬の技術はないし、少しでも不安の芽は摘んでおきたい、むしろ根っこすら引っこ抜いておきたい気性からすれば、このまま置いておくことも出来るだけ避けたいと思えた。
 ……ならば、やはりこうするしかない。中程からポッキリと折れた剣の、剣先に値する片割れを両手で持ったウィノナが軽く――少なくともそう見えるほど彼女にとっては容易そうだった――力を込めると、鋼の剣だったものは情けなくも再び折れてしまったのだ。
 ぽき、ぺき、かきん。呆気ないほどの速さで鋼屑と化してしまったそれらは、ウィノナの足元に無造作に散らばっている。そして今度は分厚い靴底で踏みならされていくうち、きっとそのまま整えれば矢尻にでも使えるのだろうな、というほどの小ささになってしまった。
「――あ、いけないわ。どうやって運ぼうかしら」
 はたと気づいたときには遅く、訓練場のど真ん中で粉々になってしまったそれらを運ぶ方法を、ウィノナはまったく考えていなかった。彼女は魔導は苦手であるゆえ、魔法で浮かして運ぶことも転移させることもできない。ならば袋を取ってくるしかないが、そうするにはここを離れなければならないし、その間に誰かに見つけられてしまっては粉にした手間が無駄となってしまうだろう。ウィノナは無駄な行為が嫌いだ。だとしたらどうすればいいのか、考えても考えても良い答えは出てこない。
 訓練に集中していたせいか、疲れてまったく動かない頭は正解を導き出してくれなかった。こうなったらもう手で運んでいくかと、尖った鋼片を両手で掬おうとした瞬間――
「おいおいおい、いくら何でもそりゃあねえだろ」
 ――背後からかかってきた声に、ウィノナは大げさなほど肩を揺らした。
 咄嗟に大きめの欠片を掴み、声のした方向へ投げる。空気を裂く音とともに飛んでいったそれはすんでのところで避けられたようだが、柱の部分に突き刺さっているところを見ると、手加減する余裕もなしに投げてしまったことが窺えた。もしこれが人体に刺さっていたら、きっとただの怪我では済まなかっただろう。
 人知れず安堵の息を漏らすウィノナの前、ひゅうと口笛を吹きながら姿を現したのは金鹿の学級の級長であるクロードだった。相変わらずの人好きするような笑みはそのままに、けれどもその双眸は興味津々といった具合にウィノナのことを捉えている。
 余裕を崩さないまま近づいてくるクロードに、ウィノナは決して警戒を解かなかった。
「おお、怖い怖い。なんだよ、そんなに警戒することないだろ?」
「あなた……一体どこから見て」
「おっと、それを言っちゃあ面白くないじゃないか。当ててみろよ」
「……そう、一部始終といった感じね。ならもう猫を被る必要もないかしら」
 クロードは目を丸くする。おそらくは動揺のわりにあっさりと現状を受け入れてしまった様子と、ウィノナの本性に面を食らっているのだろう。
 けれども彼の戸惑いなんざ知らぬといったばかりに、ウィノナはクロードと鋼の山を交互に見て頷いた。正確には、彼が身につけている外套を見て……なのだが。
「ちょうどいいわ、クロード。あなたの外套を貸してくれないかしら」
「待て待て待て、何にもちょうど良くないが? お前、俺の外套をいったい何だと思ってんだ……」
「これを運ぶのに都合が良い布切れ、だけれど」
「……俺が持ってる麻袋を貸してやる。少し小さいが、手や外套で運ぶよりはマシだろ」
「あら、気が利くのね。助かるわ」
 ――クロード=フォン=リーガン。彼は、ウィノナにとって未知の人間だった。
 隣の学級でいまいち付き合いがないというのも理由のひとつであるのだが、彼は何をどう見ても腹の内がわからないのだ。へらへら笑っているようでいて、けれども決して愚か者ではない。何かしらを探るような目で見ているようにも思えるけれど、心の底から人付き合いや学校生活を楽しんでいるようにも見える。一言で言うなら掴みどころがないのだ。
 彼は絶妙な均衡の上に立っている。それは非常に興味をそそる気質であるし、言い換えれば彼が魅力的な人間であることの証左でもあった。
 けれどもウィノナは彼が苦手だ。養父たちとはまた違うものであることは理解しているが、探るような目を向けられるのがあまり得意ではなかったから。クロードの向けてくる探りの意図が、今まで相手してきた人間と異なるものだとわかっている。わかっていてもやはり居心地は悪いし、なんとなく恐ろしかった。
「おまえ、ずいぶん雰囲気が違うように見えるが……そっちのほうが素ってやつか?」
「さあね。ご想像におまかせするわ」
「そして見た目に似つかわしくない豪腕と、紋章持ちという事実。いや~驚いたぜ、うちのラファエルだとしても、さすがに鋼の剣を焼き菓子みたいに折ることなんざ出来ないだろうからな」
「……何が言いたいのかしら」
「俺はお前に興味があるよ、ウィノナ。どうだい、うちの学級に来てみないか? 青獅子よりは気楽に過ごせると思うんだがな」
 ウィノナの目の前にあるのは、ゆるゆると細められた翡翠色の双眸。鋼片と柄だったものでいっぱいになった麻袋を抱えながら連れ立って歩く道中で、クロードは事もなげにさらりと誘うようなことを言う。
 彼の誘いについて、魅力的だと思ってしまったことは確かだ。正直なところ青獅子の学級はウィノナにとって少し居心地が悪かった。ディミトリという大きな大きな存在があって、彼と仲の良い幼なじみや従者だって何人もいる、清廉潔白で信心深くて優等生だらけのあの場所は、心も体も穢れきったウィノナには息がしづらいのだ。
 もちろん金鹿の学級が不良だらけだとか、悪人もいるとか、そんなことを言いたいわけではない。ただ、崇高な騎士の国も、その国の生徒が集うあの学級も、足を踏み入れれば踏み入れるほど場違いや仲間はずれだと後ろ指を指されるような心地になってしまうのである。
「――考えておくわ」
 だから、ほんの少しの気分転換には相応しい場所であるかと思った。
 なんとなく、本当になんとなく。クロードという男の気安い笑顔の裏側に、新しい風が吹く予感を覚えたから。

 
20201109 加筆修正
20200831